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2017年06月08日

【鉄道作品日本形?】幻の近鉄ハイデッカー特急車案(1952)をレゴで造ってみた

 この車両については以下のツイート参照ください。
 この種の幻の車両にしては有名であり、情報も多い車です。








(画像は鉄道ファン誌 1985年9月号より)


 但し、余りに先進的すぎる発想とデザイン。
 大阪線用なのに、何故か18m級。
 ソファタイプのゆったりしたものといえ、固定クロスシート中心の内部など、何処まで本気に、真面目に考えていたものか疑わしくもなってきます。

 でも、素敵な車ですよね。
 近鉄は10000旧ビス・10100新ビス・2227形など歴史を抑えてきましたから、そろそろこの「イロモノ」に挑んでも良いと判断。

 それに、皆様の「しまかぜ」に合わせる楽しみもあります。
 よく言われるよう、ハイデッカーの前面展望車とサロン的なインテリアは50000系で実現したのですから。



 カラーリングは旧特急色に合わせています。
 装飾部分の色の資料はないので、濃青への対比で濃赤にしました。


 制御車が電動車2両を挟む、4両編成が想定されていたようです。
 今回は、中間車1両が間に合いませんでした……。


 どことなく、アメリカンな風情。
 ただ、アメリカにこの種の展望電車は無いのですけども(笑)。

 アメリカのドーム系展望車と牽引機関車を合わせたイメージなのでしょうか。
 その流れは、10000形旧ビスにも共通しますよね。


 先頭車。
 前頭部の造形はさらっと出てきます。但し製作中に試行錯誤を繰り返す。2x2のカーブスロープ濃青は手許にたまたまなかったら、完成していませんでした。
 前面二枚窓の湘南顔の延長にあるデザインですが、絞込が入っているのでスマートなのです。

 迷ったというと、ハイデッキ部のガラス屋根。
 他に色々考えたものの、消去法で45度スロープに落ち着いた次第。偉大だ45度スロープ!


 中間車。屋根が深くて、まるで客車のような重厚なスタイル。
 車内はボックス席と、一端がビュフェとして構想図には描かれていました。レゴ的にはPF動力車ですけども。

 時間が許せば、インテリア、造ってみたくなる電車であるのは言うまでもありません。 

 それでは、JBF2017でお会いしましょう!
 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

【鉄道作品日本形】153系「新快速 ブルーライナー」リメイク完成。



 前回記事こちら。リメイクの経緯と、実物解説も
http://legotrain.seesaa.net/article/450391456.html

 153系 ブルーライナー塗装(BW塗装)編成は最盛期には6両x20本に達しました。
 低運転台車と高運転台車(クハ165も含)はほぼ半数づつ。勿論、全車冷房車です。

 湖西線から姫路までの広範な範囲で運用についていましたし、京都〜大阪〜三ノ宮では今と同じ15分間隔での運行を行っていたのです。その本数が必要でした。

 ただ、新快速が6両編成の2ドアデッキ付き車両で務まったというのが当時の情勢ではあり。阪急は当時ですでに今と同じ8両編成だったのに。

 また、当時は新快速はデータイムのみの運行。
 それ以外の時間帯は、12両編成を組んで快速電車に。これで何とかなってたのは長閑な時代であったのでしょうか(笑)。
 
 1980年1月に117系が投入されると、転属や引退はあっという間でした。
 転属先でのBW塗装もほとんど長続きせず、湘南色に戻されたはずです。しかし、153系そのものが酷使と初期新性能電車ゆえの華奢さの故に、1983年までに全車引退してしまったのですが。

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 片方の顔は高運転台車にしても良さそうなものですが、個人的好みで両方低運転台です。おでこの広さがチャームポイント!
(子供の頃は高運転台車の方が好きだったんですけども、好みは変わるもの)

 黄色いヘッドマークはコダワリです。

 今度のリメイクでは車高の1プレート下げ。屋根の改修(ポチスロ屋根に)

 車高下げで青帯が相対的に太く見え、どことなく落ち着く。



 屋根改修では新灰→新濃灰に変更し、クーラーなどの屋上機器が映えるように。
 AU13形クーラーや、他屋上機器もボリューム感出す。


 国電貫通パノラミックウインドの低運転台。これが当面の「標準仕様」になりそうです。とはいえ、あまりバリ展出来る顔ではないですね。153系でも湘南色。401/421系。クロ157。やや変形でクモヤ791。あ、155系159系居りました。過去作ありますので、こちらもリメイク! 並べたり混結したりで遊べますから。

 側面は今回もトレイン窓維持。
 国電の窓の形状としてはお世辞にもリアルではないですから、今様の表現に改めて、「貴重品の」トレイン窓捻出する戦略も必要かもと?


 先頭車同士の連結という萌える<<続きを読む>>
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

【鉄道作品日本形】153系「新快速」の大改修計画

 153系「新快速 ブルーライナー」は2010年ころの作。
 もう7年も前の作であり、いろいろ古くなってきたので2015年のJBFを最後に、最近は休車状態。

 但し、今なおも大好きな電車の一つ。
 嘗て高槻という街に住んでおり、通過していく姿は恨めしくもあり、憧れを募る存在でもあり……。
 但し153系には快速(東海道線で言えば「普通」)運用もあり、また大阪〜神戸や、湖西線等で時折乗車機会はありましたが。阪急6300系ほどの意地悪ではなかったのですね。思い入れはなおさら深く。

 そして、新快速(急電)の歴史語る上で忘れてはならない存在でもあります。
 15分間隔での「待たずに乗れる」スペシャル・ラピッド・サービスは1972年の153系投入と同時に始まったものでした。その後の姫路から湖西線方面までに広がるネットワークもまた今の隆盛に繋がるものでありましょう。
 1980年。117系のモハ52以来の急電専用形式、117系の投入で153系は退役します。わずか8年間の活躍ではありましたが、その意義は大きなものでした。

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 左が改修前、右が改修後。

 旧作(左)の問題点は、車高が高くてそれゆえ、どうしても「ウマヅラ感」が抜けきれなかったこと。改善の為の小改良は繰り返したものの、根本的な解結にはついぞ至らず。


 さて。右に見える。115系を先日制作しました。
 115系では車高を思い切って1プレート下げてしまう。

 実は153系新快速のあとで同じ寸法で155系・475系も制作しているので、国電急行形・近郊型が揃ったときの整合性の面で寸法は弄りにくかったのです。しかし、そろそろ思い切る時期と判断。
 そうすると115系。ウマヅラ感は皆無(まぁ、もともと高運転台は有利ですが)。その上横幅方面のワイドさまで感じられるほどに。
 1プレートの差異って、物凄く大きいのです。

 153系の改修は、115系に合わせることになりました。
 1プレート分の寸法は窓下からの捻出です。

 厄介なのは窓下の帯巾です。2プレート分もテストしましたが帯巾狭すぎて違和感あり。資材面でも不利なので(そんなにミディアム青のプレートは手許に無い!)、思い切って窓下帯1ブロック分に。

 正面窓は色々まよいました。
 115系同様にクリアブロックを斜めはめ込みも試しましたがどうも違和感。試行錯誤の末、以前922新幹線軌道試験車や、82系気動車で行った表現がベストの様です。

 貫通扉はピラーの細さを表現するため、新型の2x2窓で。

 スカートまで付けてみると、まぁまぁ納得のできる顔になりました。


 仮想連結状態。実物の連結状態の写真を見ると一目瞭然ですが、貫通国電顔の高運・低運は結構高さが違うのですよ!
 低運顔の「おでこ」はとっても広く、それが愛嬌ともなってました。
 高運顔はおでこも狭く、凛々しさになっています。其々に良さがあると。
(ただ、153系や401/421系など両方の顔がある車種だと、どうしても低運顔に惹かれますけども)



 ならんだところ。


 やはり、改修前153系は今の水準では苦しいですね(苦笑)。

 改修にあたっては屋根肩もポチスロに。7年前とは供給状態がガラッと変わってしまい、プレート中心で組むよりも寧ろローコストになってしまいますから。AU13ももう少しスマートにしたいと。

 今度のJBFに、地元の題材としてぜひとも間に合わせたいところです。
(そして何時かは155系や475系も改修して……)
 
 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月21日

【鉄道作品日本形】阪急100形(新京阪P-6/デイ100)製作中 先ずは116号!


 基本的なアウトラインは、2014年に試作したもののままです。
http://legotrain.seesaa.net/article/399701688.html



 3年ぶりにテストモデル引っ張り出してみたら、殆ど再検討なしで行けてしまうこと判明。
 あぁ、「3年間進化がないだけ」とは思いたくないものですけども(笑)

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 阪急100形は1927年に製造された、京都線用(当時、新京阪電鉄)の大型電車。

 地味な箱型電車と云うなかれ! 当時日本最大出力かつ最大重量の弩級電車であり、参宮急行の2200形(近鉄2200形)と双璧を為すものでした。客室設備も広々としたボックスソファであり、国鉄の二等車級(ただ、戦時中にロング化ですが)。製造も74両に及び、主力車として君臨したのでした。

 言うまでもなく日本の電車史・鉄道史に残る車輛です。
 戦後も活躍続けましたが、1973年に退役。

 関山にとっては写真でしか知りようのない車ですが、中学生の時分に古い雑誌の写真から惚れ込んだものでした。また、6300系に乗りながら窓配置やら走りっぷりに100形の時代を偲んだりしたもの。正雀通過するときは、目を凝らして116の保存車を探して……。




 作ってみたのは、先ずは現存する。動態保存車の116号。

 阪急さんも、良い形状の車を残してくれたものです。
 一番、P-6元来の形状・特徴を綺麗に残し、そして1950−1959年の間はクロスシート装備の特急車だったという華やかな歴史も。動態保存もその時代の復元というのが粋ですね(戦前設定だと、どうしても馴染みのない姿になってしまいますから)。


 写真では分かりにくいですが、シルヘッダーは旧茶を使うことで色差表現です。
 また、中央の側窓6個分は1+2+2+1という分割を意識して上部窓柱を丸プレートにしてますが……さすがこのへんは自己満足の領域。


 パンタ側(京都寄)はダミーカプラー。台車につけた排障器もこだわり。
 電連箱と方向板も忘れずに。


 非パンタ側(梅田寄)はバッファカプラー。実際には固定編成で使うことになり中間に入ってしまいそうですが。阪急はそれほど編成替えをしないので、「実用上」問題はないでしょう。


 屋根は光明丹仕上げ(1950年代までか?)。マルーンの車体と好対照を成します。
 今のレゴだとダークオレンジが光明丹色であり、こうして使えるありがたさ!

 屋上機器の一部。例えば高圧引き通し線やそのカップラは良い表現が思いつかず今回は割愛。オーバースケールのディテールでみっともなくなるなら、省略する勇気も必要ですたぶん。

 縁の付いたグロベンもまた特徴でした。国電についてるとびんぼ臭い装備品なのに、P-6では不思議と筒型通風器はカッコよく見えたものでしたね。

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 さて最後に。現状で車体のみ完成ですが、元 貴賓車の1500形1500号。1930年製造。1950年格下で特急用の中間車になったもの。広窓は一味ちがう印象でした。

 そんなわけでP-6はあと2両ほど造って、1950年代の京都線特急再現を目指したいと思います。



 そうなると、100/2800/9300と三代を4両づつ、揃えられる由。
 6300は……薬師山さんの、並べられると良いのですけども。
 
posted by 関山 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

【鉄道作品日本形】阪急9300系のリメイク完成「伝統と、大胆」



 短期間での制作ですが、完成。(製作中記事)

 阪急9300系は2003年に導入された、阪急でも久々の新車。1974年以来長らく活躍してきた6300系 京都線特急車を置き換えるもの。

 また、阪急では久々のアルナ工機以外への車輌発注ともなりました。

 日立のA-TRAINという枠の中で、最大限に「阪急電車」のブランドに挑戦。伝統を護りつつ大胆さもあり。半流線型と言いたくもなる前面形状に、大きな側窓。飾り屋根まで載せるこだわり。そのスタイルは神宝線用の9000系にも続きました。
 が、その後はより堅実な1300/1000系へ移行。虚飾のないシンプルさという意味でより阪急の伝統に相応しいのは1000系列の方なのでしょうが。然し、それでも9000系列の大胆さと過度なまでのエレガンスに憧れ抱くのです。

 9300系は京都線の特急・快速急行に充当。ただ、今の「特急」は往年の急行並みの停車駅数であり。
 まぁ、快適と高速を多くの利用機会与えてる意味で、評価してよいのかも知れません。幼時に6300系特急の止まらない駅で、何時も通過してく特急恨めしげに見てたことは忘れられません(今はその駅も特急停車駅です)。

 レゴでは2014年に一度制作しています。
 当時としても不本意は残る出来ではありました。3年越しのリメイクが実現した由。リメイクにあたってはyamatai氏のCADや、三井氏の展示用作品を意識したのは言うまでもありません。両者あってこその作品です。

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 9300形 実物の1号車で梅田よりの制御電動車。パンタグラフ2基。

 半流線型の前頭部は3面折妻+貫通扉の半ポッチ突出で形成。
 折妻の内部はプレートでガッチリ固定であり、見た目より強度有り。

 前面窓は実物の印象よりも大きめ? ただ(三井氏のように)3プレート分の横組にすると0.5プレートの整合性が取れません。


 サイドビュウ。4幅分の横組という作りゆえ、かなり変なところに分割線が入りますが、これも思ったほど違和感はないみたいです。

 3幅分の窓って元来のレゴの寸法に殆どありませんので、その意味で新鮮!
 なお、窓位置や窓寸法的に1-2次車想定ではあります(9300/9301/9302F)。

 阪急の特徴たる銀色の窓枠は、上辺のみの表現。
 車番は良い表現が思いつかず割愛。社紋(hイニシャル)はメタリックの丸プレートで表現。
 



 9300形の屋根上。9300系の特徴たる飾り屋根は、2014年版のL形パネル式の修正になりました。古い表現ですが、満足はしています。
 
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 9870形。実物の3号車。
 実物では機器の殆ど搭載されない付随車ですが、<<続きを読む>>
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月14日

【鉄道作品日本形】阪急9300系再製作中……/いばらき×立命館DAY2017告知【5月21日】

 阪急9300系は2014年に一度造っています。

http://legotrain.seesaa.net/article/398794769.html

 あの当時なりに頑張りはしましたが、やはり不本意の残る作ではありました。同時期に造った900・920形、1010系、2800系はその後も運用機会ありましたけど、9300系は半ば休車状態。パーツも少しづつもぎ取られ……。

 その後、yamatai様のCAD(9000系)が作図され、2017年に取りうる方向性が模索される。記事→
 http://legotrain.seesaa.net/article/447893506.html

 そして、なんと三井様の阪急三番街展示用の9000系も制作されてしまったのでした。記事→
 http://legotrain.seesaa.net/article/449351329.html


 衝撃と言わずとして、なんと言えと!

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 そんなわけで完全解体。ゼロからのスタート。
(資材は大量に使いまわしできるので実に経済的!)

 ライバル作は敢えて見ずに(笑)、実物写真と脳内イメージだけで9300系を形に。まずは側面検討用の中間車1両の車体を造ってみる。

 
 窓枠は全周表現するとクドくなるので、上辺のみ再現。これは2800系と同じく。
 9300系の大きな側窓は3段分の横組で。1x1ブロックのトランスブラックがリリースされたからこその手法です。確かyamatai氏も作図されていたような……?
 3段分の横組なので、つじつま合わせにもう1段横組。車体の殆どが横組みという変態的構造となりました。

 ドアは強度とコストを優先の沓摺のみ表現。
 屋根肩の白い部分は広めに。この系列の特徴である「飾り屋根」は他表現も検討したものの、元の1x4L形パネル方式に落ち着きました。高さは2プレート分から1プレート分に減じてますが。


 で、肝心の前面。
 2x3の窓枠使用でも良かったのですが、無駄な対抗心が……。4段分の横組み併用のめんどくさい形状で、前面だけは銀サッシ表現入りに。
 今回は内部のクリップ止めは一切行わず(メンテ地獄ですからね)、2016年末の伊豆急100系以来採用の、ジャンパプレートによる3面折妻再現で見た目よりは強度に配慮。

 ただ、でも……微妙に失敗。
 前面窓、微妙に小さい印象。そして窓と標識灯の間がどうしても1ブロック空いてしまうのですが、そこはそのままにするとやや間が抜けて見える。
 で、写真にあるように手すりを付けてみると、あぁクドすぎる胸焼けする。

 あぁ、スッキリ仕上げってるライバル作が眩しすぎる。
(……無謀過ぎる対抗心ですけども。然し、意地はある)


 でもまぁ、側面との繋がりは悪くないです。
 9300系とか9000系って、大胆というかトリッキーなスタイルの電車ですよね。今更ながら。


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 ここで前面、再改修。

 横組箇所を上方に2プレート移動。方向幕などを横組部に組み込んでしまいました。実物も前面窓の中に方向幕ですからね。
 貫通扉も窓を小さく。側面の窓や扉窓と上下方向の位置と高さを揃えてます。阪急電車のデザインってこういうとこは「揃って」ますから。

 で、窓下のサッシ及び手すりの表現(普通に1x2タイル 新灰)は、ライバル作模倣しちゃいました。他表現も考えましたが、無理。横方向に伸びる灰色のラインのお陰で、前面のウマヅラ化を防いでいるのはさすがプロのデザインと唸らされましたよ……。

 スカートは濃灰に変更。

 今度は前面窓が大きすぎの印象か? ただ、現状で取り敢えず納得はしています。


 側面との繋がり。ライバルに追いつけたかどうかはともかく、少なくとも2014年版よりは良くなったと(笑)。
 人の評価よりは、自己評価優先が大事なんですよ。たぶん。


 斜め上から。

 さて、あとはこれを週末までに4両編成に仕立てるだけです(笑)。
 関西は阪急沿線での展示というのは、最高のモチベーションになるのでした。

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 5月21日[日] いばらき立命館day
http://www.ritsumei.ac.jp/events/detail/?id=337

 1000-1630:入場無料
 立命館大学 大阪いばらきキャンパス

 立命館大茨木キャンパスでの、地域交流イベント(ポスター改めて見ると随分盛り沢山ですね!)。

 こちらに立命館大鉄道研究会(のレゴ班)が全力参加されています。関山も既存作と新作の茶色い電車もって駆けつける由。
 同じ関西でも神戸(6月 恒例)だと京都線電車はもってきにくい雰囲気ですけど(笑)、こっちは問答無用で京都線沿線ですものね!


 (会場には……実はJRの茨木駅の方が便利であったりしますが、まぁ諸事情ありまして)
 関西の皆様のお越し、お待ちしております。

 また、翌月曜日はレゴ仲間と茨木観光(万博公園と国立民族学博物館)を予定してます。興味ある方はメールください。
 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

【鉄道作品日本形】中央線快速101系と中電115系。明日・明後日(5月5-6日)は立川立飛ららぽーとへ!



 明日明後日、ららぽーと立川立飛での催しに合わせての地元・中央線の作品です。


 5月5日は10-21時
 5月6日は10-19時
の展示となります。→詳細

 1.8m x 5m。地上2線・高架2線の複々線の運行です。テーマは「首都圏と、東日本の新幹線」。新幹線は200系・E3こまち・E4MAX・E6こまち新・E7北陸新幹線が勢揃い。めったにない機会ですよこれは!
 会場は立川駅からモノレール2駅です。

 多摩地区というか東京の方、是非遊びにいらしてください。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 さて。新幹線はともかく、問題は在来線部門。特に地元題材。
 さりげなく中央線の作品で古今で編成になったものは未だありません。借りるってわけにも参りません。

 101系はもともと予定にあったものを繰り上げ制作。
(151系と80系を造ってますので、電車史的に101系は欲しいですよね?)
 115系は、先にサヤ420形電源車(=421系近郊型)を作って近郊型の可能性を見出したところだったので、他用途(さて何だろ?)にキープしといた資材からの制作です。

 車体は4月28-29日に作り上げていたのですが、意外と電車は車体ができてからの、屋根や足回りの工数も多いんですよね(床下機器は簡易バージョンなのに)。
 竣工が例によってぎりぎりになってしまいました。
 でも、出来たてのほやほや新作です。


 101系。国鉄最初の新性能電車。
 そして、1957年から1980年代まで活躍した中央線快速の主力でした。
 
 プロトタイプは試作車の900番台、デビウ当時のクリーンなイメージです。


 クモハ101−モハ100−モハ101−クモハ100。の4両編成。
 ただ、通勤形電車のドア周りは単調作業が延々と続き、しんどかった。

 でも、こうした完成してみると満足度は高いです。
 32ポッチでも省略のないドア数と戸袋窓、ちょっとドヤりたい(笑)。


 この101系独自の、柔和な顔が堪りません。
 そして、窓の傾斜も。


 101系は目鼻着いたところで、もう1編成中央線な何かがほしい。
 思い出されたのが中距離電車。立川から甲府や松本を目指す普通電車には、数年前まで115系が使われていましたし、中にはスカ色復元編成も。
 そして、嘗ては新宿まで乗り入れていました。1986年、国鉄末期まで。
 1-2時間に1本ほど。荷物電車クモニ83形を頭につけた編成で、立川〜新宿はノンストップで走ってた由です。
 あぁ、あの時代に乗ってみたかったものです。

 115系は冷房車なので、1980年代設定。クモハ115-モハ114 800番台−クハ115。

 側面は先のサヤ420のままスカ色に。トレイン窓の呪縛から逃れると、自由!
(そもそもタン色のトレイン窓は考えたくない値段になってしまってますし)
 前面は以前の475系など急行形電車と同じ作りではありますが、車体高を1プレート下げることで、問題であったウマヅラ感の解消ができています。それどころかやや幅広感も?

 クモニ83は800番台の大井工場製。張上屋根の美しい荷電でしたね。
 顔は101系の援用です。
 もっと窓は狭く細いのですが、傾斜とか左右の窓柱を考えると、ここが落としどころでした。屋根は横組みブロックで、屋根と幕板の間の濃青の細線を表現しています。
(先の西鉄1300形の手法です)



 そんなわけで、やや(物凄く?)古いラインナップではありますが、地元の中央線です。
 Awazo氏のEF13(EF10の見立て)や、アイン氏のEF60も含めて1960-80年代な雰囲気を出せるかと。
 
 連休終盤。皆様のお越し、お待ちしております!
 
posted by 関山 at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

【鉄道作品日本形】20系客車のリメイク完成!

[制作 2017 3/19-21]

 先に試作品をお見せした、20系客車のリメイク計画が完成しています。
http://legotrain.seesaa.net/article/447450883.html
(既に池袋の鉄道模型芸術祭や、北九州のブリックライブなどで存分に活躍しています)



 初代ブルートレイン、20系客車は1958年から1980年代まで(臨時や団体用としては1997年まで)幅広い年代で、北海道と四国以外の各主要幹線で活躍していました。
 また、どんな機関車でも似合います。蒸機との組み合わせだって意外と多いのですよ!(C62 C61 C59 C57にC11。イレギュラーではC58やD51も)
 つまり、模型的意味で使い勝手の良い存在なのですね。デッキ付き旧型電関でもEF10にEF16、EF59にEF57が史実にあります。

 また、ルックスが後年の14系以降よりも優れる! いやこれは好みの問題ないかもしれませんけども。クリーム色の帯に、くっきりした窓枠。そして綺麗な円屋根は徹底したフラッシュサーフェイス。14系以降の屋根はどうも格落ちを感じてしまうのですよ(嫌いってわけではないです)。

 この20系。2010年に一度4両を造っていますが、今回は完全解体のリメイクです。

 時代考証は1968-70年ころ。
 ヨンサントウ、等級制廃止、万博輸送……という時代です。無論細かいところは「いい加減」に済ませていますけども。1958年のデビウ時でも(電源車が違いますが)、1997年の引退時でも(電源車が違いますが!)見立ては出来てしまうでしょう。

 全車共通ですが、ドア開閉はオミットして強度と外見優先(ついでにコストも意識)。窓は横組に上部のみ窓縁の表現。この割切は好きなのです。

 台車も前回よりも強度優先しつつ、パーツの一部減らして軽量・軽快化を図っています。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 電源車。カニ22形。1960年に6両が製造された、ディーゼル発電機と合わせてパンタグラフと電動発電機ももつ電源車。直流電化区間では電動発電機から給電。しかし使い勝手は良くなく、早期に(1967年ころ)パンタとMGは撤去されてしまうのですが。
(20系で一般的な電源車は1959年のカニ21形です。ディーゼル発電機のみ)

 なお、カニ22形は1975年に2両がそのままの姿で機器の一部変更を行い24系に編入。カニ25形となりました。誰かが24系客車貸してくれれば(エース君とかtaizoon様とか)カニ25付きの関西九州ブルトレが再現できますね。不揃いもまた楽しいのです。

 なお、同様の目的でのパンタグラフを持つ客車は後世のスハ25が知られるところです(……どなたか作られませんか?)。あとは架線試験車や車両性能試験車類。
 西欧だと瑞西の食堂車がパンタ付。意外と日本と瑞西以外の実例はないのですね。


 日本一重い客車、と言われた車です。二系統の発電セットに加え、3噸の荷物を積載可能でした。その重さが仇になり、使用範囲を狭べてしまったのですが。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 A寝台車。ナロネ22形。
 プルマン式開放寝台と、1人用個室(ルーメット)の合造車。8両が製造されたもの。個室寝台はアメリカに範を取ったもので、当時としては究極の贅沢? 1978年まで活躍しました。

 写真ではデッキのある側が開放寝台です。境目に喫煙室。
 デッキ側妻面の車端ダンパと配電盤表現も一応こだわりです。

 20系のA寝台としては開放寝台のみのナロネ21形が主力でした。潰しが効くのはナロネ21の方ですから、こちらも造ってみたいものです。全個室寝台のナロネ20は憧れますが、「あさかぜ」専用の3両のみで潰しが効かない形式なんですよね(苦笑)。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆







 食堂車。ナシ20形。
 1958-1969年の製造。1970年ころまでは特急には食堂車は欠かさざる存在で結構な量数が製造されてた由。
 しかし、その後は特急の短距離化や急行格下げでどんどん余剰車だらけに。運用・営業は1978年まで。その前後から後、国鉄解体時まで保留された車もあった由(もったいない)。京都鉄道博物館の保存車も保留車から抜擢されたものです。

 食堂車は通路側と厨房側で形状違うお約束。
 ユニークだった日立製内装の表現は今後の課題です。

 モデルのプロトタイプは電話室ありの初期型。

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 B寝台車。ナハネフ23形
 B寝台の基本はナハネ20形ですが、編成の分割に対応した貫通型の緩急車がナハネフ23形。1964年から製造。末期まで残りました。
 潔い切妻形状が特徴ですが、左右に並ぶ愛称名表示など何処と無くエキゾチックな雰囲気の漂うスタイル。これはこれで魅力的なものでした。

 寝台車も通路側と寝台側でやや窓配置が違います。
 基幹型式のナハネ20はもちろん、丸型端面のナハネフ22も何れは……。20系が複数編成も有りと言えばありですし。

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 普通座席車。ナハフ20形
 1958年の20系運行開始当時からの形式。端部が美しい流線型!
 端部形状はナハネフ22も同じですから、そちらの方が馴染み深い方もいることでしょう。それでも、小窓が並ぶ側面のインパクト十分。

 20系の座席車といえば、他に貫通型のナハフ21形、中間車のナハ20形も。グリーン車ナロ20形もありました。

 20系の運行開始当時はまだ寝台専用列車ではなく、座席車も編成に含まれてた由。1965-70年に普通車が廃止され、1975年にはグリーン車も廃止されてしまいましたが、今思うと利用の多様性をキープしておくべきだったのかも? とはいえ、当時の主要幹線は「特急(寝台専用)」「急行(寝台と座席半分づつ。或いは座席のみ)」「普通(座席、自由席のみ)」という夜行の3本立てかそれ以上が当たり前であり、特急=寝台専用もあながち間違いでは無かったのです。

 車内は二人がけの回転座席。昔の特急型普通車のアコモデーションです。
 
 余談ですが、1976年に20系の普通座席車はナハ21形が復活しています。急行転用に伴う物で、A寝台車ナロネ21を格下げしたものでした。これも1986年に引退。

 モデルの話ですが、端部屋根、yamatai様のcadを意識して45度の面取り角スロープ使ってみました。未だ供給色は限られていますが、地味にトレインビルド変えうる部品ですね。

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 現状この5両です。前回の4両よりは1両のボリュームアップ?

 この世界、もっと長大編成を作られる方もおりますが、取り敢えず機関車含めての6両なら様にはなるでしょうか。……手軽に扱える限界でもあり。
 もちろん、もう何両か増備して電源車ももう1両用意したら2編成になるとか、12系も用意して1000/2000番台に見立てて遊ぶとか、いろいろ夢とか野望は膨らみます。
 

 夜行列車全盛期……というより20系の全盛期をイメージして。
 
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2017年04月14日

【鉄道作品日本形】国鉄101系電車製作中です

 新性能電車の始祖、101系を製作中です。中央線仕様のオレンジ。


 前面。既に103系などでこの「国電顔」を再現された作品がいくつもありますけども、101系の顔は、窓の上下寸法が大きく、左右方向がやや狭い。温和な印象なのです。
 で、窓の位置を低めに。そして斜め部の上に1プレートの凹みを入れて、心なしか大きく見えるように配慮しました。


 窓そのものは1ブロック幅づつ綺麗に配分出来ています。
 国電顔のキモ、斜めの角度つけも決まりました。

 これで101系らしい、温和な感じが出せたかと。


 側面。32ポッチ全長で4ドアの電車の再現は難しい。割付に悩まされる。
 3ドアにディフォルメする方法もありますが。それはそれでドア間がゆとりありすぎて違和感。
 一応、ドア幅を2ポッチとすれば、戸袋窓なしなら32ポッチで4ドア電車が綺麗には収まります。
 3 [2] 6 [2] 6 [2] 6 [2] 3
 みたいな感じで。

 そして、その応用?で戸袋窓も頑張ってみました。グリルタイルによる表現。

 これで3連か4連、頑張ってみたいところです。
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2017年03月30日

【鉄道作品日本形】国鉄サヤ420形 直流電車を交流区間へ直通させる橋渡し役(近郊型への野望?)

 九州の鉄道……ということで、西鉄1300形だけでは物足りないかと、更にマニアックな方向へ(苦笑)。
 1964-1965年の、下関から先を電気機関車(ED73及びEF30)牽引で運行された「つばめ」は、車内サービス用電源を得るための電源車を要しました。

 この特殊な運行も481系電車が落成するまでの暫定的なものゆえ、電源車も一時的なもので十分ということになり、当時製造中だった近郊型421系電車のモハ420形を「一時転用」することになります。元来の交流高圧機器を活かし、車内の一部を弄って、大容量のMGを搭載。
 
 外見上は、一部の窓埋め(非パンタ側戸袋窓がルーバーに)。やはり非パンタ側の貫通扉の埋込。他はモハ420のままなのですが、しかして強烈なスタイルです。





 モデルは、3時間半でなんとか造りました。時間なさすぎ。
 無論以前からの製作予定あってのことで(151系作った地点で確定です!)、設計や資材準備は進んでいたのですが。

 交直両用電車のパンタ付車って、編成中に組み込まれてるとそれほど目立ちませんが、単独で運用されると(元来ありえませんが)強烈な印象になります。サヤ420がモハ420ままの姿に見えて、而して事業用車っぽいのはそんな使い方や編成の特異さもあってのことかもしれません。

 なお、このサヤ420形。繰り返しますが近郊型電車の車体そのままです。
 何時かは……ですね? トレイン窓依存じゃないのでどんな色もOKですし(笑)。

 まぁ、その前に小倉で、EF30+サヤ420+151系(181系)の編成でマニアックに魅せてみたいと思う次第……。ウケ悪そうですが、まぁsauseiji様の立派な作品もありますから(笑)。
 

posted by 関山 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

【鉄道作品日本形】青地に黄色のラインの流線型!西鉄1300形電車 完成。

[制作 2017 3/17-18]



 先に前頭部をお見せした、西鉄1300形電車が完成しています。

 西鉄1300形電車は1951年に製造された600形電車(3両固定編成 吊り掛け駆動)を1961年にカルダン駆動の4両固定編成の特急用に改造したもの。2編成ありました。
 1975年まで特急に活躍し、以後クロスシートを維持したまま一般車に。1986年に退役。

 戦後生まれには珍しい、国鉄モハ52を思わせる本格的流線型!
 原色に近いコバルトブルーに黄帯という、鮮烈な塗色も特徴でありました。

 さて。この黄帯は窓下だけかとおもうとさに非ず。窓上、屋根際にも黄ラインが入っているのですよ! この微妙なラインの存在に気がついたのは先の前頭部試作品を造ってから。実物写真を睨んでるうちに気がつく。
 思い切って割愛することも考えましたが……。


 先頭車(1301/1304)。1951年製造。当時は片方電動車・片方制御車でしたが、1300形改造時にどちらも制御車化されています。狭窓。屋根肩はややいかり肩。

 問題の黄色ラインは屋根を1幅のブロックとプレート・タイルで「横組」することで入れることが出来ました。コレが入るだけですごく精密な模型のような気がする(笑)。頑張って大正解。なお、この屋根は結構な強度があります。

 流線型前頭は先の試作品のままです。1300の特徴であった「吊り目」の表現は未だベストな回答は出ません。でもまぁ長年の夢がやっと叶いました。大好きな電車の一つですから。つい近年まで模型の製品は皆無だったのですし。


 中間車(1302/1303)。1961年に製造されたもので他の特急用車両(1000・1100・1200形)の流儀ですので、先頭車と車体断面も窓形状も全く異なります。広窓になで肩。
 不揃いな編成はそれはそれで味のあるものでしたね。

 で、屋根はなで肩表現のため45度スロープ使うため、件の黄色ラインの表現は諦めかけておりましたが……やや強引に表現。

 余談ですが、この中間車に湘南顔2枚窓の運転台をつけると1000形に。更に窓を1段下降窓にすると1200形になります。
 無論、こちらはまともな揃った編成でした。何時か造ってみたい気もしますが……。



 鉄道模型芸術祭がお披露目。元来は路面走行区間はない(※)電車ですが、本線よりは軌道の方が似合う気がします。なんとなく。

 ※:1950-60年代の大手私鉄各社には路面軌道やそれに近い区間を有してるケースは少なくなかったのですが(東急京急京王名鉄近鉄京阪etc)、西鉄にはそういう例はありませんでした。

 ともあれ。
 「九州の鉄道」……のようなテーマに味を添えられる?私鉄電車の初登場です。

 いや、西鉄ならもっと作るべきものあるだろ! ってツッコミはありそうですけども(8000形辺りとか。あれもそろそろ引退らしいですが)。
 地元に持っていっても、数十年前の電車ですからお父さんお母さんの世代でもう時代が違う。で、特急時代になるとおじいちゃんおばあちゃん世代の電車かも知れませんね。

 でもまぁ、好きな電車ですから!
(……関山の好きな電車は古いのばっかりです)
 
posted by 関山 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月05日

【鉄道作品日本形】戦後生まれの流線型 西鉄1300形電車 製作中

 20系を作りつつ浮気しちゃって恐縮。でも、同じ「青い」車両です(笑)。

 西鉄1300。メジャーとはいえない題材ですが、要は流線型の私鉄電車。
 国鉄モハ52などと酷似した形状なのですが、この車は戦後も落ち着いてきた1951年の生まれで当時は600形。湘南顔大流行の時代ゆえ、やや古臭い?印象は当時からあったようですが。それでも変形した吊り目型の4枚窓はユニークなものでした。
 1961年に特急用の1300形に改造され、1975年まで特急として活躍。1986年に退役。


 まず前頭部から。レゴとしての造形は……モハ52の二番煎じというのはご勘弁を。
 ただ、前面の斜めに下がった帯処理がやや面倒。ここは翼を広げた形状のヘッドマークでごまかす。
 また前面窓の「吊り目」には難儀しました(結局、安直な方法に逃げました)。やや垂れ目っぽいのは造形ゆえの已むを得なさ。

 ただ、おでこのラインはこれまでの流線型電車作の中でも綺麗にできた方と自負。


 鮮烈なのはカラーリング。
 原色に近いコバルトブルーに黄色帯。この色は同じ時代の特急車1000形(湘南顔)とともに制作意欲を刺激します。青に黄帯って意外と鉄道車両では見られない配色なんですよね。国鉄の事業用車位か。でも、大好き。

 このお題も長く無理と思ってましたが、モハ52や名鉄3400系を実現したところで、ようやく目鼻ついちゃった感じです。
 側面もいつもの関山電車。ただ、毎度お馴染みだからこそ如何に個性を狙うか?(技術的蓄積とでも言えましょう?)
 最終目標は中間車2両の4両編成。中間車が建造年代違って不揃いな編成ゆえ、それはそれで楽しめそうです。
 
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2017年02月27日

【鉄道作品日本形】20系リメイク計画 その2 ナハフ20試作/2010年版との、禁断の?比較

 その前に。
 大きく手を入れる前の2010年版20系を記録しておいたので先に公開です。ビィフォアアフターのbeforeの方です。


 ナハネフ22形。久々に引っ張ってみましたが。あれ、そんなに悪くない?


 カニ22形。2010年当時のパーツ事情。今と随分違います。


 クリーム色の帯は苦労した覚えが。未だタン色の供給が潤沢ではありませんでした。
 一方で、トレイン窓の入手が難しくなかった時代でもありましたけども。
 あ、ナハネフのカーブガラスは既に希少でした。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 さて。新規格でのナハフ20形(テストモデル)。
 トレイン窓ではできなかった、小窓がズラッと並んだ三等座席車(普通車)も可能になります。

 幕板の存在感、悪くないです。


 下半分は2010年モデルと大きく進化してません(苦笑。
 窓から上は作り直しですが。2x2のパネルどかんと使ったのは気持ち良いことでした。すっきり!

 おでこはもうちょっと円やかにしたいところです。


 禁断の?新旧並べ。
 左のほうが良かった……とか言われたらどうしましょ?

 でも、流石に「古い」ですよね?


 ナハネフ23テストモデルと。
 なかなか佳き世界観ではあります。やっぱり、これで行こう!


 ナハフ21とナハネフ23。大昔のKATOのNゲージでは妻部を相互に切継してナハネフ22とナハフ21を作るという無駄のない改造が定番でありましたね(笑)。
(頑張りゃナハフ21→ナハネフ21も)
 
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2017年02月25日

【鉄道作品日本形】20系客車リメイク計画(ナハネフ23 試作)

 20系客車は確か2010年ころ作ったもの。カニ+ナロネ+ナシ+ナハネフ。
 仮完成のつもりであったので記事は起こしていません。ただ、使い勝手の良さであちこち連れ回したのでやたらレポートの片隅に姿を残してると思うのですが。

 トレイン窓ありき、でした。
 さすがに7年前の設計は古い。リメイクを2016年ころから考えておりました。

 その前に。


 トレイン窓ありきの2010年版20系に合わせたナハネフ23端面。当時なりにお気に入りだったのですが、なんか面倒くさ……とお蔵入りに。
 こんなもの7年もとっとく自分も自分ですが……。


 ガチなリメイク。試作品1号。
 件の、ナハネフ23から手がけることにしました。

 車体断面は最近の24系などの作品で多い、45度スロープ+カーブスロープです。これが国鉄寝台車の屋根として一番適切な角度になるようですね。
 これ、2010年地点ではカーブスロープが非常に希少で、未だ難しい手法だったのでした。一方で2010年版に使った6081の丸ブロック(新灰)は今は入手が難しくなってしまいましたが。


 側窓は阪急電車などで行った「窓枠の上辺のみを再現」の方向性です。20系のHゴムは目立つ特徴ですが、全周表現は不可能ですから。

 さて。
 窓の上下位置は既存の旧型客車作に合わせています。車体裾から6プレート分
 個人的には窓の位置は低めの設計が好きです(実際、低めの窓は着席時の視界が良好なのですよね)。そうなると幕板も広めになって重厚な感じも出せると。そういう好みもあっての窓位置なのですが。

 うーん、でも、低すぎ?


 そこで。試作品2号。
 窓の上下位置を1プレート上げて、幕板を1プレート薄くする。
 

 どんなものでしょうか?
 正確かもしれません。
 しかし、窓位置を上げてしまうと20系の窓の大きさから来る、あの優雅さがややスポイルされるような。エレガント且つエキゾチックなのが20系です(故に、帯色はクリーム色に拘ってるのです!)。
 あと、パーツ取りに無駄が多いのもレゴ作として宜しくないところです。ブロック1段ですむとこプレート3枚。コストも重量も……。


 迷った末、元に戻してしまいました(笑)。これが決定稿。

 幕板がやたら重く見えるのは実物でもナハ21やナシ20での印象に重なりますし、一方でナロネのような小窓付の車では気にならない……でしょう。
(帯2本の末期仕様作ると破綻しそうですが、まぁ、そんなの作らなければよいのですし)

 1プレートの差異は大きい。半プレート単位での調整できたらいうことないのですが、それじゃ既にレゴじゃないですよね?
 
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2017年02月19日

【鉄道作品日本形】名鉄3400系「いもむし」「流線」。完成!

 完成に漕ぎ着けました。


 ただ、4両編成を3両編成に縮小して、ですが(苦笑)。
 もう1両分の資材が微妙に足りないのです。1950年から1953年までの間の3両編成……? ということで。

 先にも触れましたが、1937年製造の流線型電車。名鉄での車内呼称は「流線」。
 デビウ当時はモハ−クハの2連だったものが、1950年にモハ増結で3連化。1953年にサハ増結で4連化された由。後日の増結車も形状が揃ってたのは立派です。4連化後は本線特急に、後日の新造車(3900系や5000系)に伍して使われたのでした。

 1967年ころに大規模な車体更新で大きく姿を変えましたが(窓の全面更新。前面は連続窓化)、側面スカートは維持。国鉄モハ52が戦時中にスカート喪ったままであった事思えば、如何に社内で大事にされてたかわかりましょう。
 
 1988年に大半が廃車。3連x4が2連x1に。
 残った2連は緑色に塗色復元されたり、冷房化されたり。ただ末期に7300系譲りのエアサス台車化されたことで大きく姿を損ねたのは残念でしたが……。2002年廃車。以後は静態保存となっています。


 モ3400形。或いはク2400形。
 ク2400にもパンタがあり、ましてや床下はスカートで覆われていたので一見区別が付きません。それほどに編成美が考慮されていたのです。
 レゴ的には、ほぼ同形です。

 塗色は1953年からの特急色。
 かなり微妙な色合いらしいのですが、レゴでの再現ということでタンと茶色に割り切っています。

 窓枠は原型の、上辺に丸みのついた1段窓仕様です。
 3400系では二段窓→更にアルミサッシ化されてしまいましたが、3600形には似たような窓が廃車時まで残ってましたね。


 真正面より。前面通風口の表現も拘ってみました。
 尾灯は省略も考えたものの、なんとか隙間に割り込む形で設ける。宝石部品は流線型に似合います。


 サイドビュウ。流線型の角度も、納得。

 ドア上部の丸み、実に優雅なのです。

 全長は29ポッチ。32ポッチ=20m(か、それ以上)のスケールゆえ、18mのこの車両はこんな塩梅に。可愛い!


 屋根上、ランボード(歩み板)あると精密に見せられるんですよ。


 中間車。モハ3450形。
 レゴ的にはこの車が動力車となります。

 全長27ポッチ。可愛らしくも優雅な姿。


 中間車は後日の増備ゆえ、屋上の違いに注目。通風器の形状と配置が違う。
 作り分けできると楽しい。サハ2450だと台車まで違うんですよねぇ。


 恰も3編成が揃っているかのように。
 いや流石に複数編成作る気は無いですけども。でも、同じ時代の3900系とかにも興味が。真っ赤な名鉄も辛うじて間に合ったので(3400系も、850系も)思い入れはあるのですが、それ以前の時代にもより惹かれるものあります。


 でも、名古屋デビュウ後の最初の課題は4両編成化でしょう。
 幸いにも?火曜オフin名古屋のレイアウトは「広さよりも密度」なので3連でも良さげなのですが、近年のイベントの大型レイアウトだと4連でも物足りないくらいですから。

 それから。
 戦前の流線型電車もモハ52、京阪1000形、そして名鉄3400系。
 だんだん役者揃ってきた感。戦前の古典電車は余りイベントでのウケなど良くないのですが(苦笑)、流線型は別だなぁというのが実感だったりします。
 まだまだ、楽しめちゃいますよ?
 
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2017年02月18日

【鉄道作品日本形】3400系「流線」製作中。「いもむし㌠出撃です!」

 名鉄3400系は、1936年製造の流線型電車。
 1990年代まで現役であった、紛うことなき名車の一つ。

 その姿から「いもむし」の愛称でも親しまれました。現場では「流線」とか言われてたとか。名鉄には他にも流線型電車居たのに(850や5000 パノラマ他)、3400だけが流線型という扱いだったのですね。
 
 以前から製作予定には入ってましたが、名古屋行に合わせて緊急制作してる次第。


 手前はテスト用の全長29ポッチ版。実物が18m級ゆえ、やや長すぎと判断。奥の27ポッチ版が決定稿です。


 設定年代は戦後、1950年代から66年ころまでの姿。所謂「更新前」。
 塗色は旧特急色。落ち着いて品のある、そして今のレゴで作りやすい色です。

 車体はいつもの旧型電車の作り方です。ワンパターン言うな(笑)。但し、更新前の丸みのついたドアが再現できて何か嬉しい。
 足回りはスカートで覆う。隙間がやや大きいのは走行性能とのトレードオフです。
 台車にはイコライザ表現も。


 流線型造形は幾つか迷いが有りましたが、思い切ってスカートからヘッドライト下まで一度に傾斜させてしまいました。左右は隙間を「見えないもんと割り切って」挟み込む。 「へ」の字になってしまうのはスマートさとのトレードオフ。現物ではそれほど気にならないのですが。半ポッチずらしや積層的表現で段差ができるよりはマシと?
(無論、この辺の表現は適材適所であるのは言うまでもありません)

 4両分の資材が流石にないので(あると思ってたタン色のプレートが足りねぇ!)、とりあえず3両編成で(実物も3連時代あり)。
 進捗微妙ですが。まぁ、明日までもう1日あるので大丈夫でしょう。
 
posted by 関山 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月17日

【鉄道作品日本形】薬師山・嵯峨様流儀での「キハ55」造ってみた。規格統一気動車企画?

【作品紹介】薬師山様のキハ52アレンジモデル。「HG」仕様?
http://legotrain.seesaa.net/article/445881478.html

 この衝撃は忘れません!
 元のくろてつ(嵯峨)様のベーシックなキハ52とともに。

 気がついたら、キハ52とキハ52に会える京都 梅小路の催しに向けて手が動いておりました。先行してた企画、近鉄2200系造ったあと、「出発する日」の数時間で(笑)。
 仕様やディテールを揃えたモデルを並べてみたい! 編成してみたい。

 また、ベーシックな国鉄気動車モデルを「この機会に、一から仕切り直ししてみたい」とも思っておりました。
 実はキハ55などは2009年ころ造ってはおりましたけど、今見ると古いとこだらけ。ちょっと今のシーンには相応しくもありませんから。
 その意味で、薬師山氏のHGクオリティは魅力的に写ったのです。




 お題はキハ55形。1950年代の準急用・急行用・一般用気動車で1986年に退役。
 比較的初期の、バス窓のタイプです。

 飽くまでキハ52等の増結用を想定し、動力なし。

 ブラックアウトさせた車体裾処理はじめ、3面折妻な前面仕様・側窓幅・ドア周り。極力薬師山氏の仕様に合わせました。
 ただ、手すりはバー4Lのタンが8本も手許にはなく、妥協した仕上げです。
 台車やエンジン周りもやや簡略化しています。

 車体の組み方は、くろてつ(嵯峨)様のコンセプトに忠実に。
 「極力パーツ種類が増えない」組み方を意識しました。
(1x2を2個で済むところに、1x4を使わない、など)


 サイドビュウ。運転台廻りはキハ55は左右非対称なのですが、そこはコンセプト意識して簡略化。
 上下のバランス感は薬師山氏モデルの良さを感じますし、バス窓のキハ55でも援用できたのでした。

 次の課題はバス窓ではない、1段上昇窓のキハ55後期車等ですね? 横組ではない窓は久々ですが(苦笑)、順組も良さがある。適材適所でありましょう。

 床下機器は2x10のプレートにタンクやエンジンのディテールをレリーフ状に貼り付けたもの。


 連結面は手抜き。貫通幌だけはいつもの流儀で付けておりますが。



 さて。ここからは梅小路でのお披露目篇。

 薬師山様のキハ52との並び。正直、未だ追いつけてないとこあります。

 サボの簡略化と、車番の省略はしちゃいけなかったかも? 
 テールライトは4070か87087か? 手許にタンの87087が無く4070で仕上げてしまいましたが……。87087も試してみませんと。


 更に原型。くろてつ(嵯峨)様作品と。

 嵯峨モデルも薬師山モデルも、結構ギリギリにチューンしたバランスで成立していたモデルであることが再認識された感。……弄るの、実は難しい?

 でも、アレンジ諦めちゃいけません!

 余談ですが、嵯峨モデルでの屋根表現は完成されちゃってますね。コスト面強度面で有利。そしてちょっと厚ぼったい重たさが、逆に国鉄時代の気動車らしく見えるという。
 ここは1台拵えて、手許に1台おいてみて納得したのでした。


 気を取りなおして。編成で。調和に整合性、取れてるかしら?
 
 国鉄世代の気動車のメリットは「編成が自由自在」
 一部の例外を除き、殆どの気動車が混成混用可能。急行形から通勤形まで。1950年代のキハ17辺りから、1980年代のキハ40辺りまで。

 極端なケース抜きにしても、キハ52とキハ55(あるいはキハ26)との組み合わせはよく見られたものでした。
 この規格の気動車、揃ってきたらきっと楽しいことでしょう。皆でつなげてキハオフ・気動車オフ?

 ウチも追加の製作計画、練り始めています……。
 皆様も、「嵯峨モデル」か「薬師山モデル」。造ってみませんか?
 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月14日

【鉄道作品日本形】近鉄2200系の特急編成

 近鉄2200系は1930年に旧型。
 1939年に新型(2227系)が製造された、参宮急行電鉄の大型・高速電車。

 もともと長距離用の設備を有しており(今の5200系的存在)、1947年の特急運行開始時には一部が特急車として抜擢。戦後復興の象徴となりました。

 1950年代末に、10100系など本格的な特急車の新造で特急用からは引退。その後は大阪線急行用として1974年まで活躍しました。

 日本の電車史に残る名車の一つです。


 ずっと前から大好きだった電車です。
 中学生のころに古本屋で買った古い雑誌の写真や記事で惚れ込む。特に、戦後の特急車整備の件は涙なしには読めないものでした。
 その後しばらく、ノートの片隅の電車の絵は尽く2200や2227のアレンジになってしまったのでした(笑)。そして21000系で青山越えるときにはかつての2200を偲んだのです。

 レゴでの制作も、かなり前から考えてダークブルーとクリーム色は溜め込む。
 ただ、先に10000形旧ビスや10100系新ビス優先したことなどでなかなか手がつけられないまま。
 しかし、エース君に末期急行仕様で先を越されてしまったからにはと、頑張ってみたい次第です。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 設定年代は1954年ころ。2200系特急の全盛期です。
 リクリエーションカー、こと展望車2303号。元貴賓車の2600号を加えた一番華やかな時代の「おいしいとこ取り」と。

 色はダークブルーとクリームイエローと言われておりますが、現在残ってるカラー写真(無論、褪色あり)では後者は白に近いクリーム色? レゴ的にはライトイエローという色は存在するものの、とても電車に使える供給状態ではありません。
 故に、濃青+タンでの制作です。



 モ2227形。いわゆる2200系新。
 張上屋根の当時としてはスマートな車体でした。
 よくある2ドア転換クロス車の窓・扉配置でしたが、他の私鉄電車と違って20mのロングボディ故に印象はことなります。国鉄には同種の電車は居ませんでしたし。
(如いて言えばサロ45。はるか後世の117系?)

 戦前の電車ですが、ドアなどは敢えて平滑仕上げ。スマートさを強調。


 前より。テールライトは3/4ペグを挿して、出っ張りの表現としてみました。
 旧型電車のときは何時もですが、連結器はバッファ付標準品で済ませています。なぜか違和感は少ないので。


 2200系の特徴であった、「片目」前面。
 両運転台の電動車で、片方の運転台の向かい側にトイレを設け、そこが窓無しとなったもの。なかなか個性的な顔です。
 今残っている写真を観ると、こっち側を前に走るシーンもちらほら。
 
 レゴ的にはこの車が動力車です。


 サ2600形 2600号。1形式1両。
 1940年製造の貴賓車2600号を、1952年に一般車(特急車)改造したもの。


 広窓と狭窓が交互に並ぶ、シンメトリーなサイドビュウが特徴でした。その優雅な姿!
 格下げ特急車時代はともかく、末期の3ドア化された姿でさえ気品を保つ。生まれの良い電車でありました。
 なお、関西私鉄だと京阪の16号や、阪急の1500号も同種の車両であり、やはり1970年ころまで優雅な姿で、通勤輸送に使われてたものです。



 モニ2300形。モ2303号。
 元は特別室(コンパートメント)と、荷物室を持つデトニ2300形。これを1949年に特急用の展望車「リクリエーションカー」に改造。荷物室は展望サロンに生まれ変わる。3室あったコンパートメントは1室が残されました。

 当時の特別料金は50円だったと言われています。国鉄の特別二等車の二等運賃に対する特別料金が100円だった時代ですから、3等運賃+特急料金+50円の「展望車」は格安だったはず。但し、この1両のみに終わってしまいました。旧ビスの登場時には通勤車への二段階格下げ……。
 その後の近鉄の特別車は、21000系アーバンライナーまで待たねばなりません。

 種車は旧2200系に属するもので、雨樋の回った屋根。やや重厚な印象の車体でした。
 車内は元来の客室が固定クロス(但し、国鉄並ロ同等の広々としたもの)。
 展望室はソファシート。合わせて6人用のコンパートメント。


 この角度がいいのです。Expressマークと、リクリエーションカー表示の薄青帯!


 こちらからだと、2200系旧としてのイメージ強く
 今回の制作外ではありますが、モ2200形及びサ3000形は、両端にドアの寄った客車的スタイルの電車でした。モ2200は特急仕様にはなりませんでしたけども、サ3000形は何両かが特急仕様になっています。


 モニ2300形も両運転台であり、その片方は「片目」でした。
 2303号も例外ではなく。ただ「特急」として、展望側を編成の中に入れてしまうような使い方がされたとも考えにくく(笑)。


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 とりあえず、長年の夢が一つ叶いました。
 近鉄(参急)2200系は鉄道模型でも金属HOか金属Nキットしかない世界であり(何故か鉄コレもない)、模型を手に入れるのが意外と難しいのです。

 でも、すべてを自作に依らねばならないレゴトレインではこのとおり(笑)。もう2-3両程度の増備も考えたいところです。

 1月15日の「レゴブロック展示会 梅小路」に持参します。
 ウケはどうかわかりませんが、いらっしゃる方はどうかご覧くださいませ。実はモ2303とサ2600は久々にインテリアも作りましたので。
 
posted by 関山 at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月01日

【鉄道作品日本形】伊豆急行100系 4両編成に!(サントリービールで「乾杯」?)


 あけましておめでとうございます。
 
 伊豆急100系が2両、昨年のお晦日に落成。
 既存の2両も含めて、4両編成が組めるようになりました。

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 クモハ110形。片運転台の電動車で、伊豆急100系の基本形式。一番両数も多かった。
 両運転台のクモハ100形とはまた違った、端正な印象の持ち主。

 レゴトレイン的にはこの車がPF動力車となります。


 3面折妻な顔。
 クモハ110には初期型と後期型、中間電動車の運転台設置改造車がありましたが、個人的趣味で初期型。あんまり4灯ライトの後期型好きじゃないので。
 

 レゴトレイン的にはこの車がPF動力車となります。
 妻面はやや手抜き。


 既存作ですがクロハ155。
 実は仮完成地点では屋根肩の一部でライトアクアの1x2ポチスロが枯渇しており他の色で代用してた姿。部品届いたのでやっと完全な姿に。


 やはり手抜き?な妻面。幌がつけられると締まるのですが、片幌前提だと前面か連結面のどっちかを幌なしにしないと全長のバランス壊れるので難しい。



 さて。
 伊豆急100系というとこの車でしょう。私鉄では唯一の「全室食堂車」サシ191形。愛称「スコールカー」(乾杯!の意味)。
 1964年に1両が製造。1974年にサハ191形に改造されてしまいますが(サハ191は100系末期まで生き残りましたが)。

 車内は2/3ほどが食堂。残りがビュフェカウンター。

 サントリーが当時新発売だったサントリービールの「宣伝用」に資金を出した! と言われる車です。食堂としての営業よりもむしろ「走るビヤホール」的な意味の車でした。伊東〜伊豆急下田の短距離営業ですので、飲料提供の出来る座席車と考えたほうが適切かも知れません。
 国鉄線への乗入が何故か認められず(乗り入れが不可だったのか、営業が不可だったのか不明)、それ故に短命に終わってしまったのですが。1972年ころまで営業は行われて居たようですが、メニュー等の情報が出てきません。当時の写真など見る限りコンロや電子レンジなど、加熱調理の設備までは無かった……みたいですが。
 
 しかし、後世には走るビヤホール的な企画は流行っています。
 食事付きの観光列車も今はブームになってること考えると、「早すぎた」車でした。




 食堂車ゆえ、左右側面の印象が異なります。

 側窓は固定窓で冷房付。サロ180形が揃うまで、伊豆急では唯一の冷房車でもありました。
 インテリアは未だですが、この車に関しては作り込んでみたいと思います。
(今度こそ「サントリービール」で乾杯して完成を祝したいものです)


 「伊豆急顔」が3両揃う。左からクロハ155 クモハ110 クモハ100。

 この顔は東急車輛のアジア向け輸出車両では多用されてました。有名所では台湾鉄路管理局のDR2700/DR2800もほぼ同じ顔です。あぁ作りたい。




 場所が確保できず編成が撮れなかったので、その雰囲気を感じてくださいね。

 サシ191+クモハ110。




 クロハ155+サシ191。サシの窓なし部分の印象がまた鮮烈です。

 模型的にはクモハ100+クロハ155+サシ191+クモハ110って編成を組みたくもなります。これ、昔のGM板キットの伊豆急100系(クモハとクハ2両づつ入ってた)で、箱裏にペーパーキット(!)のサシ191とともに、参考編成で上がってたものですね。
 憧れて以来、やっと夢がかなった?感じです。


 往年の伊豆高原の検車区イメージして。ハワイアンブルーがいっぱい!


 クモハ100と、東急借り入れのデハ3608。
 東急からは7000系や7200系も貸し出されてた模様。1970年ころに100系も十分な数が揃い、東急からの借り入れもなくなります。

 その後、2002年ころまで100系の時代が続いたのでした。
 スコールカーこそなくなれど、本格的な全室グリーン車のサロ180形。転換クロスの冷房車サハ191にクモハ1000+クハ1500。そしてロイヤルボックス サロ1800形。

 散り際もまた、美しく、楽しい電車だったのです。
 
posted by 関山 at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

【鉄道作品】新幹線100系完成 個別解説篇

 新作が「年末輸送」に間に合いました!

 100系は1985年に試作車がデビウ。1986年から量産開始。
 二階建て車も含む華やかな編成は、国鉄末期の閉塞感を吹き飛ばして余りあるものでした。20年間フルモデルチェンジできないままだった鬱憤を晴らすかのごとく!
 スタイルも当時としては斬新。20年続いて「古臭く」て仕方なかった前頭形状をシャープで今風のものに。
 それでも、今の目で見ると新幹線のイメージの継承に苦心した形状・配色であったことが覗えます。もっと別のカラープランも模索されていたようですが、これまでとかけ離れたものは流石に通らなかったようで。

 2階建ての食堂車やグリーン車や個室など、豪華さの部分が注目される100系でもありますが、普通車の大幅改善も特徴。シートピッチが1050mmに達し(※)、深々倒れるリクライニングに驚かされたものです。
 ※:特ロのスロ51が1100mmですから、限りなく迫る寸法です。
 
 デッキや便洗面所も明るくモダンに。
 確実に「未来」を伝える、夢の超特急でした。


 JR化後も順調に増備進み、1990年にJR西日本が投入したV編成「グランドひかり」は別格。2階建て車が4両! 食堂車1とグリーン普通合造車が3。

 しかし。
 後継者はビジネスライクな300系。
 0系の元来の設計コンセプトが「特別なものにはしない」ということであり、原点回帰ではあったのでしょう。
 それだけに、100系の華やかさは泡沫のユメ、ユメの超特急という感じがするのです。

 食堂車の営業は2000年迄。
 東海道筋での運行も2003年で終了。

 その後、山陽筋で短編成化されて「こだま」用に充てられていたものも2012年で引退。もう、5年も前の話になります。



 121形 制御電動車。
 博多向きの先頭車。JR東海所属編成では先頭車は制御車でしたが、JR西日本ではV編成用に制御電動車も作られていたのです。
 

 前頭部は薬師山氏の0系をベースに100系らしい造形としたもの。
(その制作過程で、0系と100系のイメージ的共通性を再認識したのでした)
 全長分の車体と、そして足回りと合わせてみた印象に満足・納得しています。



 122形 制御電動車。
 東京向きの先頭車。やはりJR西日本のみに存在。デビウ当時はパンタグラフも備えており、100系では唯一のパンタ付き先頭車でした。

 
 屋根上では、2x2ターンテーブルのベース部分のみを外し、空調装置のファンに見立ててます。パンタグラフ、電動車にはやっぱり必要……と思ってしまうんですよね。今の高速列車が空気面・電気面の理由でパンタ数削減してる理由は理解できるのですが。



 126形 電動車
 中間車でトイレ無し、パンタ付きのもの。ベーシックな中間車にして、広窓並ぶ優雅なスタイルの持ち主でもありました。乗って座ってみると窓の位置が0系より低く、それも眺望感に寄与してたような気がします。
 
 パンタはやはりデビウ当時の、防音カバーなどない状態です。


 全車に共通ですが、台車はかなりシンプルな造形に。0系・100系は板バネの目立つミンデンドイツ系の大柄な台車なのですが、その再現すると台車で床下かなり埋まりますので(苦笑) ボルスタアンカつけると手抜き台車でも精密に見えるのでお奨め?です。


 125形3700番代。電動車
 125形の中でも食堂車のサポート的機能を持つ車は700番代。V編成用は3700番代。

 ドアがやや中間より。多目的室窓が特徴。


 みての通り。レゴ的に動力車です。
 PFトレインモータ1個で6両編成はギリギリと思われますが(9Vだと苦しい編成)、電池BOXを台車真上に置いて少しでも軸重面で有利になるよう考慮。
 
 窓なし部分が多いので、電池BOXの収容も有利。


 179形 2階建てのグリーン・普通合造の付随車。V編成専用。

 100系2階建て車の屋根は形状や表現で迷いましたが、意外と深い屋根なので他車両同様の45度スロープに落ちつく。この辺は現物合わせで決めてゆきます。

 2階建て車作るときの常ですが、車体底面は4x6の逆スロープ(凹形の一体部品)を使っています。車体底に角度がつくので、2階建て車の必然?鈍重な雰囲気になり難い。

 また、車体と別の色にすることで、やはり鈍重さから逃れる。黒や灰色系が安くて入手もし易いですしね(というか、トレイン系のセットに入ってますし)


 屋根両端の空調機器は車体のみ完成仮公開からかなり修正入れました。実物も中身が大きく、そしてカバーの開口部も大きそうなので。


 168形。食堂車。
 100系のもっとも華やかな車。特にV編成はインテリア・営業とも高級志向でした(今の高価にすぎる観光列車のこと思えばまだ納得のできる高級、です)。

 さて。レゴ的にはものすごい贅沢をば。
 秘蔵の?10002 レイルロードクラブカー用のクリアヒンジパネルを思い切って使ってしまう。贅沢ではありますが、特別な車両ですから。
 それに、パーツとして使わず「眠らせる」よりは作品に使って上げたほうが良いでしょう。売る予定もないのであれば。
(無論、10002そのものは窓抜いただけで保管中ですよ)


 反対サイド。通路側。こちらのほうが窓が多い。

 インテリアは最初限度のみ作ってみましたが、何時か作り込んでみたいものです。できれば……全車分を。

 

 100系。拙作では初の新幹線営業車でもあります。
 これまで新幹線は避けてきましたが、今年はディーゼル機関車911形に始まり軌道試験車923。そして電気試験車922形と一気に進む。922作る過程で生まれたのが100系なわけで、何か面白さに気がついてしまった感じです。とはいえ、現行のもの、メジャーなものは手がける気はあまりないですよ?

 それに、蒸気機関車+木造客車みたいな古い題材に回帰しちゃうかもしれません。
 そして、地方私鉄みたいなマイナー題材も……。

 さて。
 実は100系でも、別の「100系」も年末に完成させてしまってます(笑)。
 こっちも食堂車・グリーン車あり。次の更新、お楽しみに?
 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする