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2017年11月18日

【鉄道作品日本形】札幌市電祭その3。「連結車」A850形は「路面列車」のごとし?



 札幌の「連結車」はA820・A830形の美麗さがあまりに知られる存在。
 その前のA800・A810形もお世辞にも格好良くはないのですけど(苦笑)、A800形が保存されているので知名度はありましょう。良い意味でのゲテモノですね。
 そしてM101+tc1と。

 ※:札幌市電では連接車も、「連結車」と称してた由。
 ところで近年導入のA1200形低床連接車も「連結車」なのかしらん?

 
 輸送力確保の尖兵であったこれら「連結車」群は新造されたこれらの他、既存車両の改造で導入されたA850形とA870形がありました。
 
 A850形は1965年に既存車570・580形を改造したもので6編成(12両)。連接車ではなく、ボギー車の永久連結車です。

 ベースの570・580形は戦後生まれの前面2枚窓、湘南顔の亜種のような顔。側窓は通常の二段窓だったのが後年更新でバス窓に? 全車が改造されたわけではないので路線網が縮小していく1972-73年ころまではA850形と共存してた由。

 A850形も、地下鉄開業後は輸送力を持て余し、1974年に全廃されてしまいました。ただ、改造後10年近く活躍していますから十分に活躍できたとは言えましょう。
 
 なお同種の車両、A870形についても。
 こちらは1969年に2本が路面気動車のD1030形から改造されたもの。連結車中、最長ではあったのですが状態不良車であり1972年と真っ先に退役してしまいました。

 閑話休題。
 A850への改造ですが、片方の運転台を切り落とし、貫通路を形成。
 ドア配置を修正し、車両半ばの両開き戸を設ける。もちろん間接制御化。2両とも動力車の編成ですが、切離や組換は考慮されていません。
 側窓はHゴムのバス窓化されていましたが、これは570/580形時代からだったのかしら?
 ともあれシルヘッダーや雨樋の目立つ、やや古いスタイルの連結車が6編成も活躍してたのは愉快ですね。





 ちょっと古めの形状に惹かれて制作です。原型の570/580形でも良いような気もしますが、造るなら派手な?永久連結車がいいじゃないですか!
(希少色の塊なので、パーツのやりくりはギリギリでしたが)

 もちろん、レゴでの路面電車はボギー車にすると車高上がって形状壊れますので、二軸アレンジ。単車の重連です。
 
 車体の上半分は身も蓋もない言い方すれば先のM101とほぼ同設計。しかし雨樋意識して屋根の色変えると印象が大きく変わるもの。

 それ以上に違うのは下半分。素直な組み方に見えて……窓から下は全て上下逆転で組んでいます。これは車体裾で車輪を避けやすくするため。

 車輪の真上にポチスロ入っているのはわかると思いますが、これでフランジを避けてる由。そして2プレート分の車高下げ(床面下げ)に貢献しています。

 実は、昨年作った京都市電1900形や嵐電モボ121+ク201よりも床面は1プレート上がってます。この1プレートの差異、コストや構造それに走行性能(!)に関わってきますので、妥協も必要と……。というか古めの路面電車、今の低床電車みたいに地面にくっつきそうな車高にする必要までは無いんですよね。

 ドアはタイル貼った凸表現。


 前面はお馴染み?2枚窓。但し左右ピラーは飽く迄車体側に表現しています。なんか普通の湘南顔とは違うのですよね。
 下半分は丸妻形ですので、3面折妻と解釈して造形。カーブスロープを使えばよりスマートに見えるかも? そうすると白帯が入れられません。
 折妻部は内部にプレート伸ばして保持しています。

 バンパー部分は幾つか表現迷いつつ、この位置、形状に。黄色と黒の警戒色はアクセント。
 
 屋根上はZパンタ以外に電気系の接続箱が目立つのでやや強調気味に。古風な車体の中でここだけ妙に近代的な形状で調和が取れてないのも、改造車らしい味と?


 パンタのない側より。
 永久連結の2両編成は何処と無く「列車」的な貫禄があります。連接車、特に今風の低床連接車にはない迫力みたいなものが。
 320形までの車両に入ってた白帯も格好良いものでした。


 特にカーブでは、迫力満点です。路面列車。
 地下鉄開業前夜の札幌、こんなのが列をなして走ってたと思うと胸熱ですね。
(地下鉄が必要な程の需要があるってことで、輸送力的には破綻寸前だったのでしょうけど)


 気になる連結部。無理に連結ドラムなどは考えず(絶対破綻する!)通常のホロ表現です。カーブで当たらない程度の表現。
 連結器はボールジョイント二組で、長めの連結棒になるように。ここに十分な長さがないとカーブで曲がりきれない、曲がりきれても走行抵抗大きくトラブル起こりえます。


 サイドビュウ。全長は約22ポッチx2。

 レゴ的には左が非動力、右が動力車。

 9VトレインモータよりもPF用軸穴車輪のほうが0.5mmほどフランジが高いので、非動力車のドアステップの形状は変えざるを得ませんでした。


 裏面より。先述通り、窓から下はモータと車輪周り以外全て上下逆組です。
 車輪はギリギリ接触するかしないかの微妙な位置になります。


 動力車のモーター脱着。センターピン抜き差しのみのワンタッチ。
 展示や保管時はダミー車輪を用意しておき、運転する車両だけモーターつければコストダウンになります。

 これなら全国各地の路面電車を作りまくる、って夢も叶うってものです。上モノだけ造るなら気も楽ですから(先にTc1でも同じこと書いた気がしますが気にしない)。

 併せてこの車の構造自体は札幌市電の他、いろいろな電車に応用が可能。下半分を一部ではなく全て逆組はパーツ数の削減と強度確保にも繋がりますし。妥協の車高も有利に?




 夢と妄想程々に。素敵な現実に戻りましょう(笑)。
 先に落成したM101+Tc1との並びです。




 そしてA830形も加わって。
 A830の異次元感?が際立ちます(笑)。
 
 1960年代の札幌市電はこんなのがゴロゴロ走ってたわけで車庫にはズラッと並んでたのでしょう。ぞくぞくします。


 全長比較。
 ほぼ全車同じ。実車はA830が一番ショートで、M101+Tc1が一番長い。でもってA850はその中間くらい。まぁその辺リアルに表現するのも難しいですから。



「市営交通90周年記念パネル展」12月1-3日。札幌駅前通地下歩行空間「チカホ」で会えます。是非、お越しくださいませ。


http://www.city.sapporo.jp/st/90th_anniversary.html

 
posted by 関山 at 21:23| Comment(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

【鉄道作品日本形】札幌市電祭その2 M101とTc1「親子電車」(下)。連結運転の魅力!

 前回記事
http://legotrain.seesaa.net/article/454953310.html


 Tcぶら下げた二両編成。連結運転の路面電車というのは萌えますね。



 さて。相方のTc1です。
 Tc(クハ)は名乗っていますが、実は主電動機を2個搭載していました(M101は4個)。またデビウ当時はビューゲルを持ってた由。M101がZパンタ化された前後(1968年ころか?)に撤去され、台だけが残ってた模様でその姿の再現です。

 車体造形はM101とほぼ同じです。
 

 但し、片運転台。また運転台のない側はドアもないので、この側面はドアが真ん中に1箇所というユニークさでした。

 運転台のない側も丸みもったスマートな形状。
 なお、内部は立席スペースでした。


 裏面。動力車とほぼ同じ作りで、トレインモータの代わりに車輪付けただけ。
 
 連結棒はTc側に持たせて、Mc側は引っ掛けるだけです。なお、大きめの二軸車(全長22ポッチ)だと車端部に連結器は破綻します。カーブで曲がりきれませんし、ぎりぎり曲がれても走行抵抗が大きすぎるのですよ。過去作の京都市電1900形や京福モボ121+ク201もそれで失敗していますから(今度修理・リメイクしよう……)。

 取扱はやや面倒ですが、二軸アレンジの路面電車の場合、長めの連結棒は必然です。


 やはり、インテリアは準備工事のみ。

 ところで、この構造の応用で札幌市電の標準車。250形や330形とか作れるんじゃね! と気が付きました。今後に応用ができそうです。

 それに丸みの強い電車なら所謂本場のPCC車であったり、それこそ都電5500形とかであったり横浜市電2000形とか。あぁ夢は膨らむのでした。前回触れたよう、動力系の使い回しも考慮出来てますから上モノ造るだけなんですよね。


 あらためて、2両編成。
 長めの路面電車はカーブこそが魅せ場になりますね。


 Tc1を前に。こちらは前面にジャンパがつかないのでおとなしい顔です。
 ブルーの前面窓もありかも? クリアより似合う?


 サイドビュウ。M101もTc1も、実はシンメトリーなサイドなのでした。
 そのうえ中央に両開きドアというのは、実は古典的な(昭和初期的な。例として阪堺161形など)路面電車の形状文脈です。それもこの電車の魅力なのかもしれません。


 A830形と。
 札幌では「親子電車」の計画が失敗して、その後1960年代に連接車や永久連結車の導入が行われました。但し、地下鉄開業後の1974-1975年ころに尽く引退してしまったのですけども。儚い時代でした。

 しかし。M101は現役です。
 今のワンマン白帯巻きで屋上にいろいろ機器を増設した姿もまた魅力的。次の訪問時こそ、会ってみたいと思うのでした。
 札幌市電全盛期という歴史の生き証人でもあるのですから。
 
<続>

posted by 関山 at 23:58| Comment(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月16日

【鉄道作品日本形】札幌市電祭その1 M101とTc1「親子電車」(上)。丸いのも怖くない?



 札幌市電のM100形+Tc1形(Wikipedia)は1961年に導入された「親子電車」。各1両づつ。

 動力車と制御車をペアで使い、ラッシュ時は2連、閑散時は1両で使おうとする合理的思想です。諸外国の路面電車ではトレーラ(付随車・サハ)も珍しくはなく、日本でもサハ・ハフなどを曳いて走る半路面電車は珍しいものではありませんでした。極めてまっとうな考えでしょう。

 但し、実際に運用してみると不都合多かったようです。
 あまりに長すぎて交通警察から嫌われたこと。Tc1の連結開放は手間のかかるもので(Tcが自走できないので入換が面倒)、結局ずっと連結しっぱなしの使い方になってしまったこと。1970年にTc1は廃車となり、M101も単独運用に改造されてしまいました。
 1970年というと地下鉄できる2年前で市電の輸送量がピークに達してた頃です。連接車や連結車はフル稼働の時代。それでもTc1を廃車したというくらいに使いにくかったのでしょう。

 然し、単独化されたM101は今なお健在であり、Tc1は交通資料館に保存されています。
 なお、路面電車の連結運転について。
 但し、連接車は該当が多いので除外。

 札幌市:M101+Tc1の他、A850・A870といった永久連結車。
 東急玉川線(世田谷線):動力車の重連。片運転台。
 名鉄岐阜:動力車の重連。両運転台(但しモ520は実質制御車)。
 京都市:動力車の重連。両運転台。
 京福(嵐電);動力車の重連※。両運転台。併せて動力車+制御車。
 阪堺:動力車の重連。両運転台。
 阪神国道線;動力車の重連。両運転台。
 土佐電:動力車の重連。両運転台。
 伊予鉄道:ディーゼル機関車に依る客車牽引※。
 広島電鉄:永久連結車(2000形)

 ※は現在も行っている事例

 殆どの場合、通常の動力車に連結器と総括制御を設けて重連にしていました。これなら入換も平易、動力車は各々通常の運用に入ることができます。
 輸送力が常に求められる場合は最初から永久連結車に。これは連接車に発展します。
 
 制御車をペアにする方式は札幌市電以外では京福電鉄(嵐電)のみ。入換が不便な他、制御車は単独では何もできない不便な車になってしまうのが嫌われた原因でしょう。それでも、京福のク201は1996年(!)まで在籍していたのですが。

 閑話休題。
 M101は丸みを帯びつつ、他の標準車(330形など)とはまた違ったスタイルです。お世辞にも美形では無いのですが、愛嬌はあるスタイル。そして1両のみの個性派という意味で注目され続けてる電車でもあります。


 M101単体。
 制作の時代考証は1970年頃を意識しました。Tc1を前提にする以上、現在の姿ではいろいろ不整合が発生しますので。
 なお、世界観的に「はいらーあるのネタ帳」の「札幌市電マグロ絵陳列庫」を参考にさせていただいております。

 レゴ的には丸っこい車体が難しい。
 上下を完全分離として、下半分を6幅+プレート3枚厚で組んでいます。下半分の方を膨らませることで丸みの表現に見立てています。
 車体裾はポチスロで丸みを強調。

 前面は5幅+プレート4枚厚。
 曲面ガラスには平面キャノピ部品を使用。妖しげなキモカワマスコットはご愛嬌で(本当は無地にしたいです(笑))
 やたら目立つジャンパ栓も表現。

 足回りはこの種のボギー車の表現の割切として、2軸アレンジ。ボギー車を本気で表現すると車高が高くなっておかしなことになってしまいますから。でもダミーの台車枠は大事です。1x5のテクニックプレートが良い表情出してくれました。

 上半分は普通の作りです。バス窓はいつもの二段窓の表現に割り切ってしまいました。路面電車の場合、車体に対して相対的に窓が大きく見えるので上窓部分をプレート2枚分にしています。
 
 色は先のA830形同様、サンドグリーン+ダークタンとしました。札幌市電旧塗装の表現はいろいろ悩むところありましょうが、自分的にはこの表現で落ち着いています。昔の色あせたカラー写真っぽい解釈でありましょうか。


 反対側。ジャンパ栓は実車も両側についてた由。
 ただ、連結する側ではTc1に接触してしまいますので、やや省略表現に。


 上下分離したところ。インテリアは準備工事ですが、取り敢えずミニフィグは乗せてます。展示会などだとミニフィグ乗ってる方がウケは良いですからね。

 枠状の下半分がわかりましょう。
 

 更に、下半分からトレインモータを分離したところ。
 貴重品の9Vトレインモータは勿体なくてとても埋込的取り付けはできませんので、平易に脱着できるように心がけました(笑)。

 この作り、他の市電車両に応用できると目論んでおります。「もう丸いのも怖くない!」




 バージョン0.9。屋根上を資料間違えて現在の姿で造ってしまったもの(苦笑)。
 前作、A830との並びです。車体高さはほぼ同じ。

 美形のA830に対する、愛嬌のM101。後者もまた捨てがたい存在であるのでした。

<続>
posted by 関山 at 23:58| Comment(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月03日

【鉄道作品日本形】京浜急行 クハ140形(京浜電鉄51形)。クラシカルなインタアーバン。

 先の京急デハ230形の増結用車両です。
http://legotrain.seesaa.net/article/454588067.html

 京浜急行クハ140形は、1923年製の京浜電気鉄道51形電車を戦後1947年に電動車から制御車に改造したもの。京浜急行では珍しい「クハ」。

 元が大正生まれの電車。
 前面は5枚窓で小さな窓であるのは兎も角、ひたすら路面電車的形状を濃厚に湛えておりました。


 この復元保存車の写真がまた分かりやすいですね。ポールに救助網。深く下がったドアステップ。まだまだ「軌道」であり、路上走行区間も少なくなかった京浜間をときにソロソロと、ときにかっ飛ばしてた電車です。

 然し、「路面電車」にしては大柄な車体であることも分かります。
 路面電車と高速電気鉄道の合いの子であり、そして本場アメリカのインタアーバン(都市間高速鉄道)の趣を漂わせる車でありました。何より、電装品や台車もアメリカ製だったのです。

 さて。
 クハ140形になってからは専らデハ230形と組むことが多かったようです。1950年代には赤と黄色のツートンカラーに揃い、230-140-230のような編成が定番に。残っている写真では大師線など支線の運用が多かったようですけど、1950年代だと、堂々・本線の優等列車運用にも入ってたようで。
 あと、稀に2連もあり、この場合は5枚窓の前面を表にしておりました。

 1963-64年ころ、廃車。
 然し1964年の短期間、京急の標準色である赤に白帯を纏ってた車もあったとか。その場合はお相手は230形の更新済車でした。
 1両が原型に復元。久里浜工場に保存されています(上記写真)。



 造ってて、実に楽しい電車でした!

 いやデハ230も造ってて楽しかったのですが、こっちは別の愉しさがある。赤と黄色の派手な姿もより一層、1920年代のアメリカン・インタアーバンに近づいた感があるじゃないですか! 

 前面5枚窓は半ポッチずらしで構成。見た目の割に内部は頑丈なんですよ?
(名鉄510とか、阪神801辺りに応用できそうですよね?)
 方向幕(のあった箇所)を上げたオデコ出したような屋根形状はあっさりまとめ。車体裾はアンチクライマーもポイントです。

 台車はちょっとブリル台車っぽい造形にしてみました。オーバーハング部分の外枠をシンプルに表現、これだけで「らしく」みえませんかえ?


 側窓は上半分をヘッドライトの内側使った処理。色々迷いましたがこれで正解だったみたいです。窓の小さな印象のする車ですから。

 台枠は木造車の面影残す、裾の上がった仕様。そこに大きく下がった路面電車の名残であるステップ迄下がるので実に不思議な形状。ただまぁクハ140の時代にはステップは既に痕跡でしか無く。この辺も含めて、年代以上にクラシックに見える電車なのかも。

 あと、昔のトレーラです。屋根上にも床下にもなんにもついてない潔さ!
(実際には制御器と、空制関連はあったはずですが)


 230形と組んだ3連。
 デハ230形ももう1両追加製作しています。


 クハ140を先頭に。
 大きな窓で、1929年製にしてはモダンの極みだったデハ230形。
 小さな側窓に5枚窓の前面、1923年にしてはクラシックだったクハ140形。

 湘南電鉄由来の230。京浜電鉄由来の140。
 
 あらゆるところが対照的なペアでしたが、不思議と似合ってた編成でした。
 それにしても、窓の大きさが全然違いますよね。実物もこんなバランスだったのですよ(笑)。


 デハ230形の3両編成。高架を駆け抜けてく。
 湘南電鉄(横浜〜浦賀)は開業当時から高架やトンネルも多い近代的区間でありました。その、おそらくは1929年の創業時代からの鉄骨架線柱がまた似合うのです。

 そして。この道は、今も多くの電車が行き交い、多くの人を運び続けています。
 「インターアーバン」は本場アメリカではほぼ消滅してしまいましたし、欧州やアジアでは類例のないもの。しかし、極東の島国では未だに健在!なのでした。
 
posted by 関山 at 09:08| Comment(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月01日

【鉄道作品日本型】京浜急行デハ230形。大きな窓のモダン電車。

 京急 デハ230形は元の名を湘南電鉄デ1形。1929年から製造されたもの。
 文字通り、湘南電鉄(京急本線の横浜から浦賀の間)の最初の電車でありましたが、当時最先端の軽量化構造を導入。そして、窓の大きなモダンなスタイル。横浜から横須賀に向かう電車はたちまち「モデン」と持て囃された由。


<写真は保存車。デビウ当時の姿に復元されたもの>

 1932年には湘南電鉄と京浜電鉄(品川〜横浜)の相互乗り入れでこの電車も品川まで入るようになり、現在の運行系統になります。
 その間に、増備車仕様変更車も含めて57両が揃いました。

 紆余曲折あり、京浜急行のデハ230形(等)にまとまります。
 1950年代には赤と黄色の派手なツートンカラーになり。
 1963-64年に大更新。赤に白帯の京急カラーに。70年代には流石に支線用各停用と二線級に落ちるかと思いきや、稀に臨時特急で本線ぶっ飛ばすこともあったとか。
 1978年には京急線から退役。大活躍の末の大往生を遂げるかと思いきや。

 1/3ほどが高松琴平電鉄に譲渡。それも、2000年ころまで現役で生き延びる。同時代……昭和初期の関西私鉄の弩級電車たちが何れも1970-74年ころまでに引退してしまったことを思えば、奇跡的に長生きした電車でありましょう。

 軽量構造は得てして車両の寿命には悪影響を及ぼしますが、そのうえ大きな窓も強度上は不利であるはずなのに、京急デハ230に関しては例外であったようです。
 その意味でも「名車」。良い設計・工作であったのでしょう。

 幸いにも、京急自らの手で2両(1両は買い戻し)と、鉄道模型メーカー関水金属に1両が保存されています。

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 レゴでは、2006年に最初の制作を行っています。

http://legotrain.seesaa.net/article/234227422.html
 1両のみ。もう11年も前。
 当時ブリックリンクで昔の部品が無制限に購入できる嬉しさのあまりに、1950-70年代のドア部品を上下逆転させて大きな窓の表現に使う……という作例です。
 独特の古色蒼然とした雰囲気は出ました。
 1両のみなので、他形式の増結車になってました。

 ただ窓部のみ上下逆転の強度面の不利は否めません。悪くはなかった……という感じでしょうか。編成化であったり、「赤黄ツートン」も考えていたものの、なかなか手がつけられないまま、いつの間にか解体してしまいました、
(特に三面折妻の前面、未だ組み方の解法が固まってませんでした。クリップ内部どめなので強度が特にヤバかったのです)

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 その後住まいが井土ヶ谷そして浦賀と京急沿線に転じ、何度もリメイク・再制作を考えつつ、なかなか手がつかず。


、でも、思い切って試作してみました。翌週に金沢八景は横浜市大の展示を控えた10月30日の日曜日に。時代考証は1950年代-60年代の赤黄ツートン。

 側面は半ばスタンダード化した横組+上窓は順組の方式で。但し大きな窓の分高さを1プレート増す。
 シルヘッダーは上下とも色差表現で濃赤表現。

 やや違和感。しかし……。

 実はこれ以外にも、窓部分を3段分横組にしたテストも行ってます。大窓感が抜群になるかと思いきや、構造・外見ともに満足とは程遠く。記録写真撮る以前でした。
(昔のドア部品上下逆転への未練も実は断ち切れませんが、他作品との整合性を考えると今は使いにくい手です)

 やはり、この試作品をベースに考えねばなりません。


 違和感の正体が分かりませんでしたが、一晩寝かしたら窓上のシル表現が「重い」んじゃないかと辿り至る。

 窓上のシル表現をやめて(窓上は全て普通の赤にして)、1両を完成させてしまいました。
 妙な重さとか、妙なバタ臭さが取れ「これで、何とか」納得のいく造形に?
 
 逆に申せば試作品からはあまり変えていません。窓サイズや窓割はもう定番化しておりますから。16mの車体を27ポッチに解釈しています。


 前面は3面折妻。ヒンジ使わず内部の固定をしている由。2016年暮のの伊豆急100系からの定番手法です。
 新規性は、センタの2本の窓ピラー。クリップ部品を使ってピラーの上下高さを確保していますが、殊の外効果的でした。というかこれがないと前面 締まりません。

 それから、中央の窓の固定も苦心させられた部分。試作では「左右からゆるバメ」という不安な方法ですませましたが、そのあと何とか固着方法を編み出す。

 車体裾、アンチクライマーの色・幅も多少の試行錯誤。でも今は赤の1x2レールプレートが入手しやすいいい時代?です。


 薄いというか浅い屋根はデハ230の特徴でしたので、カーブスロープで表現。
 ベンチレータの類はないのですが、歩み板が目立つので再現と。


 反対サイドより。このサイドには乗務員扉なし。両運転台なので、乗務員扉は点対称についています。


 Friendsのプリントタイルは「ハイキング特急 三浦」号的な雰囲気なので(笑)使ってみました。似合うかしら?

 運行番号表示は旧作品からの継承ですが、1960年代までの京急では目立ってた表示でした。

 尾灯の表現は良いものが思いつかず。本物は外付け尾灯なのですが。

 (恐らく)M-Tc-Mの固定編成で使うつもりなので、常時前よりになる向きはダミーカプラーです。オーバーハングが長い実物なので、余裕持って配置できました。


 反対側前面。こちらは常時連結面?のため、バッファ連結器で済ませてます。この種の旧型電車の場合それほど違和感もないのですけど。

 動力は取り敢えず、9Vモーターです。
 PF環境しかない関西や名古屋などでの出張は考えにくいので(関東だと9V環境を持参する由)、これで問題もなし?


 前面の3面折妻の作り方。車内に1x4プレートを張り出し、それをセンターポッチプレートで受けてる由。これで電車らしい後退角が作り出せます。


 車体構造。脆弱に見えて、意外と安定感あり。窓まわりはパズル的固定ですが。
 分割線は強度と部品取りの経済性を鑑みて決めました。
 
<未完> 
posted by 関山 at 16:09| Comment(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月16日

【鉄道作品日本形】ED41形電気機関車 碓氷峠のアプト電機は瑞西生まれ

前回記事:鉄道の日記念? ED42形電気機関車。碓氷峠のアプト式電機
http://legotrain.seesaa.net/article/454205634.html
 日本にやってきた瑞西製の電気機関車は有名なものがED12形の2両。西武鉄道払下げで1985年まで現役。E52が保存されています。
 同じく国鉄の平地向けがED54形 2両。余りにも特異で不遇な機関車であったがゆえに、この機も有名ではあるのでしょうか。1947年廃車ですが、1963年ころまで解体されずに残っていたとか(勿体無い!)。

 

<ED12 及び ED54>
http://ktymtskz.my.coocan.jp/yuge/hidaka3.htm

 国鉄以外だと吉野鉄道がデ1形凸型電機を3両購入しています。戦後大きく改造されてしまい原型損ないますが、それでも1975年まで生き残ったのでした。


<吉野鉄道 デ1形 原型>
http://shu.no.coocan.jp/kintetu-de1-001.html

 ただ、何れも散発的なもので、その後に技術開発につながるものではなく。


http://ktymtskz.my.coocan.jp/yuge/hidaka5.htm
 ED41形は1926年に2両が輸入されたもので、碓氷峠のアプト式区間の輸送力向上を目的としたもの。EC40(国鉄初の電機)やED40(国鉄初の国産電機)といった小型機では対応できなくなっていたのです。

 当時のライセンス状況については分かりませんが、そのコピーとしてED42形が製造・量産されました。試作機として十分に成功し、後に続いたと言っても良いものでしょう。
 廃車は1951年と早かったものの、ED42の礎とはなり、1963年のアプト式終焉までを支えたのです。

 ところで。
 山岳国瑞西にはラック式の区間はたくさんあります。ただし、大きな輸送力の要される幹線ルートでは避けられているようで、ラック式電機の重連使用は寡黙にも聞きません。飽く迄、小輸送量のでの使用が殆どのようです。
 然し、碓氷峠では重連どころか「4重連」が標準でした。4重連が最盛期……すなわち末期で7組(ED42形のみで)! 熊ノ平での交換も含めて最大限の輸送力を駆使。世界的に、特異な区間であったのでしょう。

 余談続けますが、粘着運転のEF63時代も12組の重連補機が1時間毎(かそれ以上の頻度で)に次々にやってくる特急電車を捌いてる。何時も併結や分割を行ってる賑やかさ。訪問して驚いたのでした。
 その輸送力の根本的改良は北陸新幹線の開業。新幹線が成立するような区間の輸送を補助機関車併結で捌いてた過去に驚かされます。
 そして、今の瞬く間に過ぎていく高崎〜長野間(横川〜軽井沢に非ず!)に、時代の変貌を感じてしまうのでした。

 閑話休題。
 ED41形は廃車が早かったがために記録が少なく、昔は幻の機関車扱いでした(雑誌などでも写真が載ってなかったり。不鮮明であったり)。今は……検索して沢山写真が上がってきて軽く驚く。
 その意味でも、時代は変わってます。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 さて。
 模型的にはED41はED42の変種と考えると話が早いのです。
 今風の言い方ならば、ED42 900番台ってところかもしれません。足回り共通でバリエーション展開できるのが、模型メーカー的メリットではありましょう。そういう製品も幾つかあります。


 本作も、その意図で制作です。
 ただし、楽できる♪ と思った足回りが想定外の難航でしたが。

 先のED42で採用したプレート式ロッド、これが躓き<<続きを読む>>
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2017年10月14日

【鉄道作品日本型】鉄道の日記念? ED42形電気機関車。碓氷峠のアプト式電機

 20年前に長野新幹線(北陸新幹線)の開業で廃止されてしまった信越本線碓氷峠。EF63形の活躍で知られたこの区間、1963年までは日本で唯一だったラック式(アプト式)区間でありました。
 ※:1990年以降、大井川鐵道井川線があります。

 そこで活躍した電気機関車たち。その中核をなしていた……というよりは1950年代から1963年まで活躍したのがED42形です。

 瑞西製のED41形を元に国産化したもので、1933-47年の間に28両が製造。ED41に倣ったロッド駆動。もちろんラックギアも持つ。
 特徴的だったのは碓氷峠の機関車全てに共通することですが、運転台が峠の下側(横川側)にしかない片運転台機であったことです。

 ※:EC40は当時両運転台で後に片運転台化。EF63も実は軽井沢方の運転台は常用していませんでした。

 彼女らは3-4重連を組んで、常に峠の下側(横川側)について、坂を登る列車では押し上げ、坂を下る列車では引き止める形で連結されてた由。1950年代以降は3+1と客貨車を挟み込む運行に。

 1963年のアプト式廃止以降はそのまま引退。動態保存機1両が横川にあります。
 EC40やED40の払下げ機が、未だ福井や日光では現役でしたから、ED42も入換機や私鉄機としてラックギア外して再起出来たように思えるのですが……素人考えかしら。

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 レゴ的には、結構前から暖めてた題材の一つ。
 流石にガチにラック駆動は技術的には可能であるものの(曲線のラックも含め)、実用性汎用性の面で流石に見送っています。

 今回はコストと手間を考えて、低速高トルクのパック形モータ、BB129(bricklink)を使用しています。このモータ、1992-1999年に低年齢用の簡易モータとして供給された往年の4.5Vモータ的形状の9V用モータなのですが、殆ど注目されていません。
(お陰で、安い!)

 ただし、動輪にはコストかかってます(苦笑)。BBBミドルは1個3ドル1両分24ドル……。ミドルサイズはもっと安くなれば普及し易いのになぁ。
 実物は複雑なボギー車ですが、先のモータの使用も含めて固定軸にアレンジ。
 「○●●○」(○はフランジレス)という配置です。ここもコストが関わってて、BBBミドルはフランジ4個フランジレス4個のセットで買うと、2割引になるのでした(苦笑)。

 でも、固定軸にすると、造形が平易になります。
 パックモーターはトラブルもありません。


 ロッドは普通に考えれば1x6の薄型アームですが、スコッチヨーク<<続きを読む>>
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【鉄道作品日本型】西武の電機の改修。E851に解放テコ追加。E52は足回りと屋根修正


 先週の所沢でお見せした西武鉄道の電気機関車。早速改修を行いました。

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 E851形は車体裾とスカートを改修して形を整えました。ついでに解放テコも追加。


 こちら改修前。スマートさを出すために車体裾1プレート分に丸みつけたのが失敗で、スカート部分との繋がりが悪くなってました。



 改修後は、丸プレートの位置をスカートに移し、車体裾は角のままに。これで車体裾とスカートの繋がりが自然になりました。(どうやら1プレート車体揚げた電気機関車などの場合は、スカートは台車ではなく車体側に持たせたほうが良いみたいです)
 そして、白い解放テコ。アクセントとして重要ですね。

 なお「暫定」と思ってたバッファ・スノープロウ付カップラはそのままです。意外とこの機関車には似合ってる感じですので。


 心なしかサイドビュウも良くなったような。
 今後もばりばり活躍されてゆきます。西武らしい貨車(私有の鉄製有蓋車とか、青いワフとか)も誂えたいものです。
 さよなら運転の12系は誰かに貸してもらいましょうか(笑)。


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 もう一つ、E52。
 こちらは2014年の作で、自作動力機(Mモータ)です。最初は好調だったのものの、近年は調子損ねてばかり。置物になってることが多かった。しかし、大好きな機関車ではありますし、E851にレッドアロー新製となれば出番だって更に増える。
 足回り、根本的改良を考えました。


 この機関車。製作時に妙な欲が出て、実物同様の連結台車枠にしちゃったのです。つまり通常のボギー車ではなくて、前後の台車の真ん中がジョイントで繋がってる。無論そのままじゃレゴのカーブは曲がれませんから、「●●+○●」(○はフランジレス) という構造だったのです。これが自作動力以上にトラブル多かった。微妙な高低差のあるカーブがクリアできなかったりしました。

 今回は全軸、通常のフランジ付きに。連結もやめて通常のボギー車構造にしています。
 自作動力も通常トレインモーター化を考えましたが、やはりシルエットが重くなって外見に影響が出る懸念がありましたので断念。E52(ED13)は側面から見たとき、台車が軽快なのが持ち味ですから。あと、BBBミドルで動輪径が大きいため、トレインモーターではスピードで過ぎの懸念もあります。

 取り敢えず、わざと凸凹付けたカーブでの試運転もクリアしているので、今後は安定してくれるはず……。


 Mモータ縦置きは変わらず。モータ自体が回転軸になる作りもそのまま。
 で、元は右の非動力台車もジョイントで繋がってて取扱が最悪に面倒だったのです。今度の改修で少しはましになってます。取扱が片手でできるようなりました(笑)。

 ついでに申せば、外側台車枠(ダミー)もタレポッチでの半固定でしたのでポロポロ外れてしんどいものでした。今回形状変えずに固定方法変更です。


 動力系は変わらず。ワッシャ代わりのハーフブッシュは全ての軸に入れてますが。
 

 外見面の修正として、側面屋根をポチスロ化しています。2幅ポチスロ、2014年地点では今ほど潤沢に使えなかったのでした。


 この角度から見ると効果が大きいのですね。
 台車枠も改良考えたいところですが。軸箱部分が8幅オーバーなのでなんとかしたいと思いつつ(微妙に運用上の制限になる)、外見考えると……。


 ともあれ、西武の貨物輸送はこれでばっちり?です。
 通勤輸送という課題は、来年の池袋までに考えましょう(笑)。
 

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2017年10月08日

【鉄道作品】西武鉄道 E851形電気機関車。国籍不詳の? 華やかな私鉄電機。

 知らない人が見ると国籍が不詳の鉄道車輌というのは少なくありません。

 輸入機だと、もろにイギリス、もろにアメリカっていうのは蒸機中心でたくさんありました。西部劇スタイルの機関車って日本にも意外と両数いたんですよ?

 時代が下って。輸出向け。スペインに居るEF60やEF66のそっくりさんたち。小田急9000系だって南米にいますよね。

 そんなこととは関係なく、西武鉄道E851形は一見国籍不詳の機関車でした。


 1980年ころだったと思うのですが、デパートの鉄道模型コーナーで「赤い車体に丸窓の、謎の機関車」を見たときのインパクトは忘れません。何の予備知識もない状態だったので「外国の機関車? いや自由形?」とか思ったのですよ。

 その後、私鉄の機関車まで掲載してるコロタン文庫「機関車全百科」(名著)を買ってもらって、その謎の機関車が私鉄唯一のF級電機、西武鉄道E851形(851-854)と知ったのでした。(模型は関水金属の初代製品ですね)


 E851形は 1969年 西武秩父線開業に合わせて製造されたもの。
 勾配線区で大輸送量が予想されたため、私鉄にしては珍しいF形の大出力機。お隣さんの秩父では1000kwクラスのデッキ付箱型D形電機を新造してた頃でしたが、ここをF形で2000kw超えの大型機。性能面でもぶっ飛んだ存在でした。

 ※:私鉄の電機ではこれでも大きな部類です。西武鉄道の国鉄払下げのE51形・E61形・E71形も概ねこのクラスです。

 外見は言うに及ばず。国鉄EF65こそはベースですが、真っ赤な車体に派手な塗分け。
 弧を描いた運転台窓。サイドの丸窓。特急車さえ思わせる賑やかな燈火類。

 三菱電機主体か、西武鉄道主体かわかりませんが、せっかくの新造機ですから「精一杯に好き勝手、盛ろう♪」って意図があったのは想像に堅くありません。

 この機関車は秩父からの主にセメントを輸送。連絡点は1974年ころまでは池袋。その後は新秋津です。この輸送は1990年代まで続きました。華やかな機関車が地味な貨物列車(セメントタキ中心)というのも悪くはなかったのですが。
 しかし「ぜひ客車列車曳かせたい」というファンの声は多々あったようです。派手なこの機関車が貨物専用は勿体無いと。

 叶うわけもない願いというか奇跡、そのさよなら運転で叶ったのでした。
 現在は1両が横瀬に、E52やレッドアローとともに保存されています。

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 レゴ的には、以前から暖めていた題材ではありました。
 今回は折角の所沢なので、地元題材として大幅繰り上げで実制作に至ったものです。とはいえ、5000系造った余力と限られた時間での制作となりましたが。
(この手の急いで造った自慢と徹夜自慢は避けたいもんですね)
 いや、催事当日の深夜。出来が悪いなら諦めようと思って着手(レッドアローがあるし)。
 ところが形ができてくるとどんどん気分が乗ってくる♪ 楽しい題材だったのでした。


 特徴の弧形の窓は言うまでもなく、アーチ型窓で。
 この窓が手許に3個しか無いことが判明して焦りましたが、1個は灰色で間に合わせです。どうしても隙間ができますが、乗務員ドアと合わせると意外と気にならず。
 なお、弧形窓の後ろに乗務員扉(窓なし)ですが、弧形窓の長さだと全長に対して運転室広すぎ!でバランス壊れるのでここらは適当に。
 あと、乗務員扉は手すり棒で暗示するやり方です。

 サイドのルーバーは順組で。赤ではなく新濃灰で目立つようにしてます。
 丸窓はテクニック穴。1x4アーチ使うと大きすぎるんですよねぇ。2x2飛行機窓に丸窓の金型起こしてくれないものかレゴ社は。



 全長30ポッチ。実物は18mくらいなので32ポッチ=20mならこんなもの。F級電機としてはギリギリの寸法です。

 モーターは中央の台車。この台車は左右に遷動+緩やかに回転。このままでは車体の重量が掛からず牽引力なくなってしまうので、モーター上に船用ウエイトx2をとりつけてます。ウエイトも車内で遷動する由。
 で、構造上現状では9V専用です。


 前頭部。
 基本的に平板形状です。EF65とかEF81の顔って微妙な傾斜と後退角ついてますが割愛しちゃいました。ただし、前面窓のみ後退角付けてます。ライトの間の1x2タイルの張り出しも傾斜の暗示と。

 前面窓はクリーム色の縁がこの機関車では大事だと枠付きで。センターピラーが極太になるデメリットと表裏一体では有りますが。

 燈火類はハーフペグ。いい味が出てます。

 で、車体裾1プレートに丸みつけたのは失敗。後で直そう。
 それ以前にスカートが手抜き。本気で時間と気力の不足です。まぁバッファは想像以上にこの機関車には似合ってますが。でも解放テコくらいは付けたいと。


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 あとは所沢での活躍シーン。
 先ずは王道。貨物列車牽引。派手な機関車と地味な貨車(しかし1両ごとに見るとマニア垂涎のネタ車だらけ)という対比です。私鉄の機関車、元来の仕事。

 奥にちらりと見える101系は新秋津とかでの武蔵野線のつもり。




 池袋に向けて上っていく。レッドアローとすれ違い。郊外の駅のムード。




 ネタ篇。SNCF BB9200の曳くワゴンリ編成。
 まぁE851のデザインの元ネタはどうみてもフランス国鉄の電機ですからね(笑)。
 当然、ワゴンリ曳かせても似合ったのでした。




 或いは、バブル期のプリンス・ツツミ・マネーパワーでオリエント急行'88を西武線に乗り入れ運行させちゃうことも出来たのかもしれません。
 EF65やEF81はワゴンリ曳いてましたけど、西武にも乗りいれてたらと妄想が膨らみますよね。


 西武E52と並ぶ。


 素晴らしき、並び。オール西武。

 今でも横瀬の保存車を虫干しすればできちゃう並び……というのが、西武の奥深さですよね。


 所沢での催事がまだ続くかどうかは未定なようですが、西武の愉しさにハマりつつあります。現在の黄色い通勤車たちもそこそこ魅力的な存在ですし(うしがえる様の2000系と並べたいのは言うまでもありません!)。一昔前の3ドア黄電たちも良いし、その昔の赤電たちは言うにおよばず。あと2ドアクロスの名車。4000系も。

 貨車もセメントタキは難度高いので無理としても、私有のセメント用テキとか、何故か青塗りだった緩急車ワフ。カーボンブラック用のホキ6900とか魅力的なのがごろごろ。

 沼、嵌りそうです。
 あと、12系客車誰か貸してくれませんか(笑)。
 
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2017年10月07日

【鉄道作品日本形】西武5000系 レッドアロー。所沢合わせにして、富山合わせ??

 所沢での、「所沢ブリックフェスティバル」合わせで用意したものです。
 所沢……といえば、西武のお膝元ですからね。

 ただ、5000系なのは別の心づもりもあったりします。いや、最近は北陸での催事も少なくなく、幾つかの車輌は黒部市内某所に臨時貸出となっておりますので(笑)。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 西武鉄道5000系「レッドアロー」は、1969年秩父線開通に合わせて製造された、西武鉄道初の本格クロスシートのロマンスカー。足回りを同じくする通勤車101系とともにそれまでの「質より量」の西武の車輌の、大きなターニングポイントとなったものです。

 西武、の名称が流通や野球でも知られているために模型や玩具化される機会もこの種の電車にしては多い方でしょう。

 1990年代に西武からは引退(正確には、ニューレッドアローに車体を更新)。現在保存車1両を残すのみ。
 ただし、3連2編成(現在は3連と、2連1本づつ)の車体が富山地方鉄道に譲渡されているのはご承知のとおりです。地鉄仕様に関してはryokushakuma氏が何度もチャレンジされています。最後の作例では、前面窓の仕様を拙作の参考にさせていただいた次第です。
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 先ずは、制作過程からを。


 簡単な手書き図を元に、取り敢えず形を作ってみました。

 5000系の形状は、流麗な中に、ライトケースが真四角大仰に構えてる! というのが本質だと思うので、その方向性を強めに意識。ライトケース丸みを意図的に強調してみると……。

 しかし。なんだか違和感?


 別角度より。西武5000系の顔ってもっと「直線的」なのですよね。
 これって、1960年代の丸み至上からの、1970年代的転換点であり他社というか他分野のデザインでも以下略。


 その辺を、踏まえた微改良案(右)
 というか、先頭車は2両作らねばならないので並べて比較です。簡単な修正だけなので手戻りだって少ないですし。

 窓の下の赤い部分を思いっきり真四角に。
 前面窓も幅を広く見せる方向に。
 おでこ部分も角ばり表現に改め。ただし、標識灯は省略してしまいました。


 改良版車体完成。横組みが伴う電車の車体として、極めてスタンダード?なものです。 
 前面は横組みを1幅(ライトケース)と3幅(フロントガラス及びその真下のアルミ装飾部)をプレート挟んで設けて、全体の寸法的帳尻を合わせる。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 そして 完成。所沢のブリックフェスティバル、前日でした。
(もっと早く完成させて、広報などで使ってもらえればよかった。主催の方、申し訳ない!)


 実物はデビウ時4連。1970年代のうちに6連化されていますが、手持ち資材の関係で3連に割愛です。

 車体色は白かクリーム(タン)で凄く迷いましたが、作ってみると後者で正解でしたね。全車だと美白すぎて印象違ったかも?

 製作したのは1969年。デビウ当時の仕様です。
 前面には愛称表示機も愛称表示板もない、シンプルな美しさを見せてた当時。

 ……とても地鉄仕様にはなれないですね。このママですと(苦笑)。


 クハ5500形。トイレ付き。6連化時に全車トイレ付きになっているので、以後はこの形状のみでした。


 クハ5500形。トイレ無し。4連時代(1969-1977年頃)だけに存在した形状です。6連化時にトイレ増設改造され、元からトイレ付きの車と同じ形状になりました。


 クハ5500……モハ5000……


 同じ顔同士、並べて。




 中間車。モハ5000形。これもパンタ付きのものとそうでないものがありました。番号の奇数偶数で分けるやり方だったそうです。

 2挺パンタのかっこいい中間車。ゴツめの初期の集中式クーラー。2挺のパンタを結ぶ引き通し母線。やっぱり、かっこいい。

 なお、レゴ的にはこの車両が動力車です。
 9Vで落成させましたが、PF化の準備工事がしてあります。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 活躍シーン、もう少し、お待ちを……!
 
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2017年09月16日

【鉄道作品日本型?】日本初の本格郵便車 逓信省テユ1形。「或る列車」以上のミステリアス?



 先の「或る列車」用の増結車?です。

 逓信省の私有車、テユ1形は1908年(明治41年。別説1906年?)に登場した日本初の本格的郵便客車でした。しかし、資料の少ない車です。

 アメリカのそれに範を取ったと思われる、両端オープンデッキ。そして20m級の大型車両であり、もちろん3軸ボギー台車。
 華やかな「〒」の装飾。シンメトリーのサイドビュウの美しさ。
 ベースは飽く迄、官有鉄道の標準型なのですが、私有車故の「例外」の多さもまた際立っていた、とてもエキゾチックでエレガントな郵便車であったのです。



 実物写真はこちらから転載いたしました。
http://oyu10.web.fc2.com/yuubinsya.html
 「鉄道郵便車保存会 」より
 片方のオープンデッキを塞いで車掌室を設ける改造が行われたあとの姿です

http://kraken.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/1-9d2a.html
 こちらの古絵葉書をもとにした記述に依ると、東海道線で使用されていたようです。
 形式図も載ってます! ホユフ9890形に改称されて、6両が存在していた模様? 両端部を郵袋室。真ん中に仕分け室というレイアウトは郵便車の末期(1986年)まで続いたものでした。

 画期的な車輌でありながら、このテユ1形は比較的早い時期に引退してしまったようです。
 また、改造などの転用の記録も見当たりません。謎に包まれているミステリアスな客車でもあります。(あの「或る列車」が昭和30年代まで残存して、車歴の記録も明らかなのとも対照的です)

、さて。1990年代、サハリンの廃車体の中にテユ1形がいたという雑誌記事を読んだ覚えがあります(誌名不詳……)。もはや原型はとどめていない廃車体。しかし、テユ1と特定できる特徴があった。廃車は恐らく日本領時代のことであり、ソビエト時代ではない……という記事だったと記憶しています。
 樺太に送られ、一生を終えたということなのでしょうか?

 官有鉄道車籍の客車であり(無論、国産車)、九州鉄道由来の「或る列車」とは無関係の存在ではあるのですが。ただ、その不遇な一生が、そして露骨なまでのアメリカンスタイルゆえに模型の世界では同列視されることが多いようです。




 レゴ的には……アイン様由来のプレート積層横組の木造車表現を行ってみました。
 郵便車1両だけなので、パーツ数増えても現実的な数量で済むので、好題材でもあります。全長に渡って4幅分の横組み。思ってたより簡単でした!

 また、その組み方故に、「〒」マークもさらりと表現ができたのでした。花模様はやりすぎかもしれませんが……どんなものやら?
(そもそも、赤ではなくて、実物写真を見ると金文字かも?)

 ドア部分は順組で、ここで車体の上下を結びつけてる由です。
 ドア自体は郵便車には必須のはずのロック表現を強調、アクセントに。

 3軸ボギーや屋根の作りは先の「或る列車」と共通です。


 サイドビュウ。原型の、完全にシンメトリーだった姿です。こうしてみると、西部劇スタイルの……如何にも列車強盗に襲われそうな?客車ですよね(笑)。

 7個の側窓は5個に省略しています。


 これはオフ会後の写真。製作者と一緒に(笑)。
 手ブレーキのある側です。


 アメリカンスタイルの郵便車。アメリカからの輸入機、C52(8200)が曳くと絵になるのは言うまでもなく。C52との組み合わせはフィクションですけども、時代的に同じくアメリカ製のパシフィック、8900形との組み合わせは多かったんじゃないでしょうか?


 「或る列車」もテユ1も、明治の末、鉄道国有化前後の「華」の一つでありました。
 この時代の、未だ「標準化」が行われていない木造客車にはまだまだ興味深いものがたくさんあります。そして、ミステリアスも。意外と楽しいジャンルですので、まだまだ造っていきたいと思います。
 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月12日

【鉄道作品日本形?】「或る列車」。先ずは2両を。オーラのある、木造客車。



 九州鉄道(初代)が明治末期、すなわち鉄道国有化の直前に輸入した5両のアメリカ製客車。飾り窓に楕円窓、絵に描いたような豪華さを感じさせるスタイル。当時としては画期的な大型。優れた客車であったのです。
 しかし、僅か5両、それも各1形式1両(2等・1等・食堂・1等寝台・特別車)。標準から外れた車であったことから継子扱い。
 その豪華さを活かすような使い方は殆どできず(※)、大正の末には空気ブレーキの教習車に改造されてしまいました。

 ※:今思えばそのまま供奉車に転用するとか(流石に御料車はあり得ないにしても)、5両とも1等の展望車か寝台車に改造して東海道山陽筋で特急・急行に使うとかあり得たと思うんですが。

 その華麗さとそぐわぬ境遇から、戦前の鉄道愛好者つけた愛称が「或る列車」
 車両そのものは戦後、昭和30年代前半までは残存。配給車とされてたようです。また、戦後間もないころ、仙台地区で三等車代用にされた事例もあったとか。ただ、内装のたぐいの殆ど無い詰め込み車であったのでしょうが(でも乗った人、羨ましい)。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 かなり前、それこそレゴに戻ってきた10ん年前から温めてきた題材です。
 ただ、制作意欲を加速させてくれたのはアイン様の木造客車作品でした。
http://legotrain.seesaa.net/article/452717893.html


 1x2プレート横組み積層で腰羽目板の表現を行うあの手法を見たときに、心が躍る。
 ただ、「或る列車」では同じ手は使えません。等級帯が入れられないのです。強引に入れると窓框があまりに高く不格好になるのは自明と。

 妥協策で考えたのが、1x1ブロックを並べての腰羽目板を造る手法。



 先ず、二等車(ブオロ1→スロフ9360)を造ってみました。
 窓配置が癖がないので(綺麗にシンメトリー!)、この系列のサンプルカーとなるはずと。

 件の腰羽目。アイン氏の1x2プレートほどの重みはないものの、これはこれで自己満足度は高し。汎用性に優れること、コストが安いのも特徴。この手は木造電車などにも使えますね!
 車体裾の1プレート部分は敢えて黒として、木造車だとチラ見えする台枠の表現に。木造車って鋼製車よりちょっぴり腰が高く見えるものなのですよ。

 窓のアーチ部分は単純明快1x6のアーチです。この部品は新旧2タイプあるのですが、客車の窓に使う分には新タイプの方が見栄えが良いようですね(幸いにも新型は安い!)。中身には1x2のプレート詰める。
 側窓は2x2窓の横組。楕円窓はもっと気の利いた組み方も考えましたが、時間と強度の関係で丸穴ブロックに妥協です。ここだけは手抜き。
 ウインドシルヘッダーはダークブラウンを配して、色差表現に。メリハリ!


 ドアは2x3上端丸窓を。この部品を初めてみた時からの妄想が叶ったのでした。

 デッキは大きく絞り込んだ形状で、かつ窓有りを実現。
 
 ダブルルーフはコストかけて?ポチスロとカーブスロープで優雅な形状に。トルペートベンチレータは「嘘」ですが、ここに張り出し無いと屋根が抜け落ちる(笑)。意図的アレンジです。

 台車はもちろん三軸ボギー。床下にはトラス棒。

 この1両を造ってみて。その重厚さというか周辺を支配してしまうようなオーラにくらりくらりと。「或る列車」と名付けた昭和初期の鉄道趣味の大先輩たちも、車両区の片隅で待機(放置?)してたであろう彼女らを見たとき、そんなオーラにヤラれたに違いありません。




 制作2両目は特別車(ブトク1→ストク9000形)。
 言うまでもなく展望車形状の車です。

 概ね二等車と同じですが、ハーフサイズの窓入れて窓配置に変化をもたせたこと。そしてオープンデッキが特徴。

 アーチ窓の「詰めもの」はステンドグラスを意識して、1x4ハーフハイトアームの「透薄青」を使ってみました。こんな色の部品があるんですよ。効果は絶大です。

 なお、「或る列車」の色は諸説あるようです。模型で造る方は好き勝手な仕上げにされてる傾向ですけども。例えば原信太郎氏は敢えて塗装せず真鍮色にしておりますし(個人的には好みではないです)、16番の作例では青に白帯、青大将のような薄緑色、というのも見た記憶があります。
 然し、王道的に考えれば葡萄色……茶色系でありましょう。少なくとも国有化による買収後は他の客車と同じ色になってたはず……です。

 この車は等級外の「特別車(貴賓車?)」ですが、敢えて白帯入れて一等展望車としています。一等白帯、茶色の車体だと映えること!


 端面。手すりには1x4円のフェンスを使用。丸みの強調が似合うのです。
 妻面窓も上端アーチ型のものを使用。

 この角度から見ると、側窓の立体感がとても素敵……。


 2両揃って。今回は資材と時間の関係で2両にとどまり。

 いや、先にも触れたよう激濃オーラですから、この2両で「お腹いっぱい!」でも有りますが正直。
 めったに使われない事業用車として車庫の片隅に放置?でも良いのですが。
 

 さて。
 牽引機が問われるというか、なんだかんだで愉しめる客車です。

 先ず、専用機として想定したのが8200形(→C52)。少し時代が下りますが(大正末なので15年ほど)、同じアメリカ製の3シリンダ・パシフィック。似合いないわけがない、王道な組み合わせ?
 いや、アメリカ製パシフィックでは8900形も迷いましたし、4-4-0の最終形態にして最強機6400形もまた迷ったのでした。電気機関車ではEF51やED53も名コンビになることでしょうね(あぁ作りたい!)。


 背後に現代のアメリカ貨物列車がいると、本場アメリカでの保存鉄道っぽい雰囲気になります。

 「或る列車」は日本でこそ特別な存在でしたけど、あのタイプの木造客車はアメリカでは「標準型」であり、あらゆる鉄道で見られたタイプであった模様。
 無論、モータとパンタと制御器付けて「電車」になってたものも。

 そして客車・電車とも鋼製車の初期にその影響を残すことになります。


 アメリカンというと、妙に似合ったのが隼様のシングルドライバー。
 玩具的な、而して妙にリアルなアメリカンスタイルのシングルに、やはりファンタジックな客車は絶妙な調和なのです。

 いや、8200が間に合わなかったらこの組み合わせを使うつもりでしたノースブリックでは。


 同じく隼様のC57と。
 「或る列車」も昭和中頃戦後まで生き延びておりましたから、雑形客車の一つとしてこの組み合わせもまたあったことでしょう。鋼製客車(スハ32等)を連ねた編成に、ぽつんと木造雑形客車が繋がってる編成というのもまた味わい深いものです。

 また末期は配給車になっていた車もありましたから、案外貨物列車に繋げても似合うかも? 等級帯は要りませんけども。




 あとは、あり得たif。

 木造客車の一部は私鉄への払下げがあり、北海道の炭鉱私鉄には元優等車の三軸ボギーなんてシロモノまで紛れ込んでた由。

 或る列車も払い下げられていたら、こんなシーンを演じてファンの注目を浴びていたかもしれません。4110とも意外と似合うもので、このまま北海道の炭鉱に居た古典機たち、各種揃えても見たくなります。8700や8850だって居ましたから。あとは夕張の11-14号機とか。
 でもその前に、ダミー動力車も兼ねて木造ワフ再整備して。線内(社内)輸送用の出処怪しそうな雑形石炭車の2-3両も? 世界が膨らみそう。


 もう一つ。
 木造客車はなにも蒸機による鉄道だけではなく、電気鉄道にも払い下げられていました。とくに戦時の統制経済下、新車を申請すると鉄道省の木造客車を斡旋されることもあったとか……。そうした車両は阪和電鉄や阪急電鉄にも入っていました。

 もし、新京阪鉄道にもそうした木造雑形客車が入っていたら。
 電動車ばかりで付随車不足気味だったので、あり得た話……? 

 アメリカンスタイルの鋼製電車P-6。それがアメリカンな木造客車を挟み・従え疾走してくのはそこそこ様になってたと思うのです。それこそ本場のインタアーバンでの木造→鋼製への過渡期に見られた編成かもと。

 あと、この客車の技術援用でガチなアメリカン・インタアーバンも造ってみたいと。食堂車に寝台車に展望車何でもあり。都市部高架だって、道路の上だって走っちゃう。色も派手派手でOK。あぁ涎が止まりませんよ……。





 最後に小ネタ。il様作品と並び。
 嗚呼、不幸が滲み出ています……。

 「或る列車」は九州で観光列車として、キハ40の改造で生まれましたが、同じ年に気動車の「平成版:或る列車」が北海道で生まれてしまうとは……。

 量産先行前提の、キハ285系。決して(財務処理税務処理上で短命の強いられる)試作車ではありません。
 走行距離は100km未満。函館へも小樽にも顔を出せず。
 そして僅か半年の在籍と、1年後の解体が行われてしまった285系。

 九州鉄道のアメリカ製客車が「或る列車」として悲運の象徴のように言われますけども、それでも木造車としては長命長寿な方でした。
 それ以上の伝説が生まれてしまったこと、不幸としか申しようがありません。

 285系もまた、語り継がれる存在になるのでしょうか?
 

 閑話休題。
 ウチの「或る列車」の方は、あと2両ほど揃えて編成化の予定です。無論食堂車と1等寝台車を。あと、ほぼ同時代の木造郵便車で素敵なのがありますので、その辺も含めて編成化できればと。
 
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2017年09月08日

【鉄道作品日本形】アメリカン・パシフィック。8200形(C52形)蒸気機関車

 ノースブリック合わせで、アメリカ流儀の木造客車を2両制作したので、その牽引機として「アメリカンな蒸機」として制作したものです(時代は微妙に違いますが)。

 実は制作直前まで6400形(2B。この車軸配置としては最高最大のもの)か、8900形(2C1。日本初のパシフィック)でも迷ってました。6400は後日作りたいですね。以前は(古典期に興味持ち出した高校や大学の頃は)苦手だったアメロコの粗暴で野蛮?なところが最近は「良さ」に感じられるようになりつつあり……。


 さて。
 8200形蒸気機関車は3シリンダのサンプル機としてアメリカン・ロコモティブに6両が発注され、1926年に到着したもの。1929年にC52と改称。

 3シリンダ機としては日本初のものですし、また最後の輸入蒸気機関車(大型機・制式機として)でもありました。

 C53の試作機という扱いですが、短期間ながら特急列車(「櫻」)に充当されたこともあったとか。持て余し気味ではあったものの、セノハチの補機に転用されて1934年から戦時中に使われていた模様です。1947年に全機廃車。
 但し、国産の量産機たるC53も期待したほどの活躍は出来ておらず、やはり同時期に引退しています。3シリンダ機はファン的な人気は高いものの、実用としては駄目だったのでしょう。

 スタイルはアメリカンな、まさに実用本位のメカ剥き出し……なものでした。そこは6400……8900……という流れを汲んでいます。
 とはいえ、8200のキャブとテンダは日本製のため、ここらはハイブリット感があり。アルコ純正ならもっと癖強い形状になったでしょうに(ED14の如き田の字窓とか?)。

 また、本場のパッセンジャーロコモティヴとは違い、マッチョ感はかなり和らげられてる印象ですね。その意味で馴染みやすい?スタイルなのかもしれません。

 フロントエプロンは後日追加され、その有無でかなり印象も違います。




 上写真(原型)はwikipediaより。

 下写真(セノハチ補機時代)はこちらより

 今の目で見ると、「かっこ悪くなった」というよりは、別の魅力が生まれたと見るべきでしょう。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 モデルは原型……8200形と言われていた頃を意識しています。

 特徴・拘った点をを記しておきますと。

 動輪はBBB標準(純正大動輪と同じ直径)。C52は1600mm径の動輪でしたので、1750mmをBBB-XLと想定すると一回り小さいほうが整合性が取れるのです。
(というか、BBB標準はやや持て余し気味だったので)

 2C1の車軸配置ですが、先輪は1+1に分離して、動輪は第1・第3をフランジレスにする様式です(以前のC55などと同じ)。この作りのメリットは、先台車とシリンダの干渉をさけ、シリンダ形状が犠牲にならないところにあります。

 ロッドはメインロッドのフル稼働を当初考えていたものの、上手く行かず断念。
(2時間位試行錯誤して諦め)
 bikkubo氏流儀の簡易メインロッドをアレンジの上で採用しています。

 蒸機の印象をがっちり決める缶胴は近年はいろいろな円筒表現が試みられているところです。思い切ってΦ4の丸ブロックの積層で表現しています。

 シリンダ周りはこの機関車の要点な気が。第一・第二・第三シリンダの表現を頑張ってみました。第二シリンダは無論角度を斜めにつけてます。

 火室は濃赤での表現ためしてみました。この題材ではしっくり来てますね。

 ディテール類は全てランボードに取り付け。

 ヘッドライトはアメリカ様式の、側面に形式番号を記すタイプです。
 ここにナンバープレート同様、朱を差してみた由。


 ほぼ真横から。前部ランボードはもっと前まで伸びてますが、敢えて短くアレンジした由。


 斜め上より。アメリカ機にしては線が細い印象でしょうか。
 同じ題材でも、別解釈あるかもしれません。


 バックビュウ。炭水車はリベット表現頑張ってみました。この時代の炭水車はリベット打ちですから。ただ、少々オーバーな表現かもhしれません。
 板台枠の台車は自分なりのコダワリです。

 足回りは機関車の従輪と、炭水車の第一車輪を結んでボギーにしちゃってます。


 キャブは国産の部品ですので、他の国鉄蒸機に合わせた作りです。
 内部は未だ造ってないですが、完全テンダドライブ機ですから人形載せる余裕はあります。


 ほぼ正面から。
 本場のアメリカ機とも、また欧州機とも違う独特の雰囲気ですね。

 飽きてきたら、フロントエプロンとか給水温め機とか仮設して、セノハチ補機仕様とかも遊んでみたいと思っています(本務機どーするのか、って話はこの際さておき)。

 さて、客車を合わせたところをお楽しみに!
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2017年08月12日

【鉄道作品日本型】黒部峡谷鉄道EB1形とハ形客車とワ形貨車。割り切ったナロー。

 黒部峡谷鉄道……と言うよりは関西電力黒部鉄道の機関車といったほうがしっくり来るかもしれません。

 EB1形は開業(関西電力専用線としての)に合わせて用意された小型の電気機関車。1923-1925年製。1・2は米ジェフリー社製。3・5・7号機は国産機。形状は3号機だけは凸型で他はL型機でした。
 L形といっても後天的にボンネット上に機器を増設しまくる。1960年代以降の姿はなかなかユニークな、而して力強いものになっていたのでした。

 本線での仕業は早期に大型機(ED8〜)に譲り、入換機として用いられてましたが1984年までには引退しています。現在ED5が宇奈月駅前に保存されています。ただ、原型に復元されているため「物足りない」印象は否めませんが。

 web上では画像の探しにくい機関車です。
 画像は「世界の鉄道69(朝日新聞社)」からの引用となります。

 EB5。EB1-2、EB7も同じ姿でした。


 1969年地点ではようやく箱型機の導入が始まったところです。凸型機が主力でした。
 
 他、こちら里山工房さんに良い写真があります。1973年の撮影です。
http://satoyama.in/auto/sharyo/auto431.html

◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 黒部峡谷鉄道は762mm軌間。車両は同じ762mm軌間でも特に小さなものです。
 レゴ的に考えると4幅が適切寸法。しかし4幅では動力が仕込めません。というかナローゲージの動力システムは未だ強度を満足させて決定版が出てこないのが現状です。

 そうなると、6幅で通常レール使い、通常のトレインモーターをつかうという方向性となります。通常トレインを1/80で造るなら、黒部峡谷鉄道は1/52くらいで造るような感じでしょうか。
 幸いにも、黒部峡谷鉄道は下界からかなり外れた山奥が起点です。
(ギリギリ富山地方鉄道本線と並ぶか並ばないかというシーンはありますが)

 この規格での作品はトミー様の箱型電気機関車(EDR形の平均値的造形)と、嵯峨様の同じく箱型電機(EDR形の前面突出のない形状)があります。また、客車や貨車は嵯峨様作品があります。もう定着しかかってますね。

 無論、拙作もそれに合わせた寸法・仕様となりました。


 EB形の牽く列車。偶にはこんな工事用列車を曳いてたんじゃないかと。


 二軸の客貨車ばかりを連ねたミニ編成は、今も箱型電機(単機)牽引で運行されてたりします。無論、客扱いではなく業務用列車ですが。
 この沿線はまともな道路が皆無(徒歩道さえ無い)。全ての物品を鉄道輸送しなければなりません。身近なところでは売店の商品なども、また黒薙あたりの温泉宿に泊まると宿の物品全てが鉄道で運ばれているのですよ!

 無論、重機や建機だって鉄道で運ばれます。大きなものは分解して。


 EB形は無論9V前提です。何時か凸型電機(ED8等)も9Vで造ってみたいものですが。


 逆行。前方視界的には此方が正かもしれませんが。写真を見る限り、ボンネット側を欅平に向けていたようです。ターンテーブルは沿線には無いはず。


 ただ編成に決まりごとはあるようで、必ず緩急車(ハ形客車)は最後尾に付くようです。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 EB形電機。1970年代の姿をモチーフに。
 カラーリングの資料はないので、他の凸型・箱型の機関車同様に足回りはダークブルーと想定しました。

 9Vモータに肉付けするような作り方です。足回りは6幅ちょっと超え。そこに原則4幅(!)な車体を合わせています。ボンネット部分は6幅。
 お陰で、小ささを強調し、且つメリハリを出すことが出来ました。


 キャブも4幅です。ギリギリミニフィグが納まるようにはなってます。
 サイドのポッチだしは意図的なアレンジ。


 不思議で素敵なサイドビュウ。
 通常のトレインに合わせても、1067mm軌間用・15噸クラスの謎入換機として遊べますかも?


 ボンネットの増築部分の奥に辛うじて小さな窓が見える。前方視界はよくなさそうです(笑)。ヘッドライトも他につけるところがないのか極論的な位置に。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ワ形貨車。いわゆる有蓋車ですが。走る危険品倉庫とでも言うべき車で、とにかく小さいのです。小柄なはずのここの機関車や客車との対比でも、おもちゃのような小柄さですから。


 客車と比べてもこの通り。屋根はもっとツルンとした形状ですので、カーブスロープに差し替え狙いたいところです。

 足回りはそのままだと車輪の露出が気になりますので、下部ドアレールをつけて視覚的にごまかしています。

 リベット目立つドアはダミー。取り外しは出来るので開状態にはできますが。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 2軸客車。ハ形。
 左が多数派の開放タイプで、右が少数の密閉タイプ(確か4両のみ)。

 ボハ2000系の現行客車(ボギー・かつ固定編成)が導入される前のもので、今は旅客営業からは退いています。但し業務用輸送の多いこの線ゆえ、まとまった両数が現役ですが(但し関西電力専用列車でも固定編成のリラックス車が使われています。以前黒薙温泉から下に降りる朝一番の列車で、関西電力専用列車に乗れるとのことでハ形を期待してたら、関西電力用リラックス車ががっかりしたことあり(苦笑))。

 密閉タイプは先ず旅客運用に使われることはないのでしょう? 車内はここの鉄道では稀有なロングシートです。
 開放タイプは通常のオープンベンチです。


 レゴでの制作では、床面高を低く見せるのに苦心してます。

 ナローゲージの車両というのは得てして車輪径は小さく、床面は低くなります。これを通常車輪でそのまま再現しようとするとどうしても腰高になり印象が変わってしまう由。それはそれで一つの割り切りとしてありなのですが、今回は思い切って床面下げしています。その関連で側面はタイル張りに。

 無論、小径車輪(鳴いたら走行抵抗大きくなったらリコーダー用のグリスで調整! k.matsubara様情報)を用いる手もありましょう。


 車内のベンチも置いてます。
 妻面の庇はやたら大仰なものがついてますが、シンプルに割り切りました。

 それにしても、茶色とオレンジの関西電力カラーって独特の良さがありますよね。


 サイドビュウ。全長は12ポッチでミニマムサイズ。密閉タイプの側窓はいくつか表現迷ったのですが、結局2x3の窓の順組に落ち着きました。

 通常トレインとはスケールが違いますので、パーツ使いに関しては別の文脈が必要になってきます。2x3の窓は通常だと、大きすぎて使いにくい部品ですから。


 妻面のディテールは手ブレーキハンドル程度。
 この意味で、今の固定編成客車は各種引き通しが多くて賑やかな妻面です。ハ形だとこの辺はあっさりしたもの。ブレーキが通ればそれで良い?

 今回は2軸のハ型にしましたので床面下げも苦労せずに出来ましたが、今後ボギー車も考えるとちょっと厄介なことになりそうです……(苦笑)
 
 最後に。
 ナローゲージをこのスケールで造ると本当に楽です。
 ただ、堕落と言うか妥協という一面も否めないところで。狭軌感皆無なのも痛い(但し黒部峡谷鉄道の車両サイズだと、車体幅も狭いので相対的に軌間は広く見えるのですが)。今後も模索は続きそうというか、適材適所でスケールを変えるべきなんですよね!
 
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2017年06月08日

【鉄道作品日本形?】幻の近鉄ハイデッカー特急車案(1952)をレゴで造ってみた

 この車両については以下のツイート参照ください。
 この種の幻の車両にしては有名であり、情報も多い車です。








(画像は鉄道ファン誌 1985年9月号より)


 但し、余りに先進的すぎる発想とデザイン。
 大阪線用なのに、何故か18m級。
 ソファタイプのゆったりしたものといえ、固定クロスシート中心の内部など、何処まで本気に、真面目に考えていたものか疑わしくもなってきます。

 でも、素敵な車ですよね。
 近鉄は10000旧ビス・10100新ビス・2227形など歴史を抑えてきましたから、そろそろこの「イロモノ」に挑んでも良いと判断。

 それに、皆様の「しまかぜ」に合わせる楽しみもあります。
 よく言われるよう、ハイデッカーの前面展望車とサロン的なインテリアは50000系で実現したのですから。



 カラーリングは旧特急色に合わせています。
 装飾部分の色の資料はないので、濃青への対比で濃赤にしました。


 制御車が電動車2両を挟む、4両編成が想定されていたようです。
 今回は、中間車1両が間に合いませんでした……。


 どことなく、アメリカンな風情。
 ただ、アメリカにこの種の展望電車は無いのですけども(笑)。

 アメリカのドーム系展望車と牽引機関車を合わせたイメージなのでしょうか。
 その流れは、10000形旧ビスにも共通しますよね。


 先頭車。
 前頭部の造形はさらっと出てきます。但し製作中に試行錯誤を繰り返す。2x2のカーブスロープ濃青は手許にたまたまなかったら、完成していませんでした。
 前面二枚窓の湘南顔の延長にあるデザインですが、絞込が入っているのでスマートなのです。

 迷ったというと、ハイデッキ部のガラス屋根。
 他に色々考えたものの、消去法で45度スロープに落ち着いた次第。偉大だ45度スロープ!


 中間車。屋根が深くて、まるで客車のような重厚なスタイル。
 車内はボックス席と、一端がビュフェとして構想図には描かれていました。レゴ的にはPF動力車ですけども。

 時間が許せば、インテリア、造ってみたくなる電車であるのは言うまでもありません。 

 それでは、JBF2017でお会いしましょう!
 
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2017年06月07日

【鉄道作品日本形】153系「新快速 ブルーライナー」リメイク完成。



 前回記事こちら。リメイクの経緯と、実物解説も
http://legotrain.seesaa.net/article/450391456.html

 153系 ブルーライナー塗装(BW塗装)編成は最盛期には6両x20本に達しました。
 低運転台車と高運転台車(クハ165も含)はほぼ半数づつ。勿論、全車冷房車です。

 湖西線から姫路までの広範な範囲で運用についていましたし、京都〜大阪〜三ノ宮では今と同じ15分間隔での運行を行っていたのです。その本数が必要でした。

 ただ、新快速が6両編成の2ドアデッキ付き車両で務まったというのが当時の情勢ではあり。阪急は当時ですでに今と同じ8両編成だったのに。

 また、当時は新快速はデータイムのみの運行。
 それ以外の時間帯は、12両編成を組んで快速電車に。これで何とかなってたのは長閑な時代であったのでしょうか(笑)。
 
 1980年1月に117系が投入されると、転属や引退はあっという間でした。
 転属先でのBW塗装もほとんど長続きせず、湘南色に戻されたはずです。しかし、153系そのものが酷使と初期新性能電車ゆえの華奢さの故に、1983年までに全車引退してしまったのですが。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 片方の顔は高運転台車にしても良さそうなものですが、個人的好みで両方低運転台です。おでこの広さがチャームポイント!
(子供の頃は高運転台車の方が好きだったんですけども、好みは変わるもの)

 黄色いヘッドマークはコダワリです。

 今度のリメイクでは車高の1プレート下げ。屋根の改修(ポチスロ屋根に)

 車高下げで青帯が相対的に太く見え、どことなく落ち着く。



 屋根改修では新灰→新濃灰に変更し、クーラーなどの屋上機器が映えるように。
 AU13形クーラーや、他屋上機器もボリューム感出す。


 国電貫通パノラミックウインドの低運転台。これが当面の「標準仕様」になりそうです。とはいえ、あまりバリ展出来る顔ではないですね。153系でも湘南色。401/421系。クロ157。やや変形でクモヤ791。あ、155系159系居りました。過去作ありますので、こちらもリメイク! 並べたり混結したりで遊べますから。

 側面は今回もトレイン窓維持。
 国電の窓の形状としてはお世辞にもリアルではないですから、今様の表現に改めて、「貴重品の」トレイン窓捻出する戦略も必要かもと?


 先頭車同士の連結という萌える<<続きを読む>>
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2017年05月30日

【鉄道作品日本形】153系「新快速」の大改修計画

 153系「新快速 ブルーライナー」は2010年ころの作。
 もう7年も前の作であり、いろいろ古くなってきたので2015年のJBFを最後に、最近は休車状態。

 但し、今なおも大好きな電車の一つ。
 嘗て高槻という街に住んでおり、通過していく姿は恨めしくもあり、憧れを募る存在でもあり……。
 但し153系には快速(東海道線で言えば「普通」)運用もあり、また大阪〜神戸や、湖西線等で時折乗車機会はありましたが。阪急6300系ほどの意地悪ではなかったのですね。思い入れはなおさら深く。

 そして、新快速(急電)の歴史語る上で忘れてはならない存在でもあります。
 15分間隔での「待たずに乗れる」スペシャル・ラピッド・サービスは1972年の153系投入と同時に始まったものでした。その後の姫路から湖西線方面までに広がるネットワークもまた今の隆盛に繋がるものでありましょう。
 1980年。117系のモハ52以来の急電専用形式、117系の投入で153系は退役します。わずか8年間の活躍ではありましたが、その意義は大きなものでした。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 左が改修前、右が改修後。

 旧作(左)の問題点は、車高が高くてそれゆえ、どうしても「ウマヅラ感」が抜けきれなかったこと。改善の為の小改良は繰り返したものの、根本的な解結にはついぞ至らず。


 さて。右に見える。115系を先日制作しました。
 115系では車高を思い切って1プレート下げてしまう。

 実は153系新快速のあとで同じ寸法で155系・475系も制作しているので、国電急行形・近郊型が揃ったときの整合性の面で寸法は弄りにくかったのです。しかし、そろそろ思い切る時期と判断。
 そうすると115系。ウマヅラ感は皆無(まぁ、もともと高運転台は有利ですが)。その上横幅方面のワイドさまで感じられるほどに。
 1プレートの差異って、物凄く大きいのです。

 153系の改修は、115系に合わせることになりました。
 1プレート分の寸法は窓下からの捻出です。

 厄介なのは窓下の帯巾です。2プレート分もテストしましたが帯巾狭すぎて違和感あり。資材面でも不利なので(そんなにミディアム青のプレートは手許に無い!)、思い切って窓下帯1ブロック分に。

 正面窓は色々まよいました。
 115系同様にクリアブロックを斜めはめ込みも試しましたがどうも違和感。試行錯誤の末、以前922新幹線軌道試験車や、82系気動車で行った表現がベストの様です。

 貫通扉はピラーの細さを表現するため、新型の2x2窓で。

 スカートまで付けてみると、まぁまぁ納得のできる顔になりました。


 仮想連結状態。実物の連結状態の写真を見ると一目瞭然ですが、貫通国電顔の高運・低運は結構高さが違うのですよ!
 低運顔の「おでこ」はとっても広く、それが愛嬌ともなってました。
 高運顔はおでこも狭く、凛々しさになっています。其々に良さがあると。
(ただ、153系や401/421系など両方の顔がある車種だと、どうしても低運顔に惹かれますけども)



 ならんだところ。


 やはり、改修前153系は今の水準では苦しいですね(苦笑)。

 改修にあたっては屋根肩もポチスロに。7年前とは供給状態がガラッと変わってしまい、プレート中心で組むよりも寧ろローコストになってしまいますから。AU13ももう少しスマートにしたいと。

 今度のJBFに、地元の題材としてぜひとも間に合わせたいところです。
(そして何時かは155系や475系も改修して……)
 
 
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2017年05月21日

【鉄道作品日本形】阪急100形(新京阪P-6/デイ100)製作中 先ずは116号!


 基本的なアウトラインは、2014年に試作したもののままです。
http://legotrain.seesaa.net/article/399701688.html



 3年ぶりにテストモデル引っ張り出してみたら、殆ど再検討なしで行けてしまうこと判明。
 あぁ、「3年間進化がないだけ」とは思いたくないものですけども(笑)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 阪急100形は1927年に製造された、京都線用(当時、新京阪電鉄)の大型電車。

 地味な箱型電車と云うなかれ! 当時日本最大出力かつ最大重量の弩級電車であり、参宮急行の2200形(近鉄2200形)と双璧を為すものでした。客室設備も広々としたボックスソファであり、国鉄の二等車級(ただ、戦時中にロング化ですが)。製造も74両に及び、主力車として君臨したのでした。

 言うまでもなく日本の電車史・鉄道史に残る車輛です。
 戦後も活躍続けましたが、1973年に退役。

 関山にとっては写真でしか知りようのない車ですが、中学生の時分に古い雑誌の写真から惚れ込んだものでした。また、6300系に乗りながら窓配置やら走りっぷりに100形の時代を偲んだりしたもの。正雀通過するときは、目を凝らして116の保存車を探して……。




 作ってみたのは、先ずは現存する。動態保存車の116号。

 阪急さんも、良い形状の車を残してくれたものです。
 一番、P-6元来の形状・特徴を綺麗に残し、そして1950−1959年の間はクロスシート装備の特急車だったという華やかな歴史も。動態保存もその時代の復元というのが粋ですね(戦前設定だと、どうしても馴染みのない姿になってしまいますから)。


 写真では分かりにくいですが、シルヘッダーは旧茶を使うことで色差表現です。
 また、中央の側窓6個分は1+2+2+1という分割を意識して上部窓柱を丸プレートにしてますが……さすがこのへんは自己満足の領域。


 パンタ側(京都寄)はダミーカプラー。台車につけた排障器もこだわり。
 電連箱と方向板も忘れずに。


 非パンタ側(梅田寄)はバッファカプラー。実際には固定編成で使うことになり中間に入ってしまいそうですが。阪急はそれほど編成替えをしないので、「実用上」問題はないでしょう。


 屋根は光明丹仕上げ(1950年代までか?)。マルーンの車体と好対照を成します。
 今のレゴだとダークオレンジが光明丹色であり、こうして使えるありがたさ!

 屋上機器の一部。例えば高圧引き通し線やそのカップラは良い表現が思いつかず今回は割愛。オーバースケールのディテールでみっともなくなるなら、省略する勇気も必要ですたぶん。

 縁の付いたグロベンもまた特徴でした。国電についてるとびんぼ臭い装備品なのに、P-6では不思議と筒型通風器はカッコよく見えたものでしたね。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 さて最後に。現状で車体のみ完成ですが、元 貴賓車の1500形1500号。1930年製造。1950年格下で特急用の中間車になったもの。広窓は一味ちがう印象でした。

 そんなわけでP-6はあと2両ほど造って、1950年代の京都線特急再現を目指したいと思います。



 そうなると、100/2800/9300と三代を4両づつ、揃えられる由。
 6300は……薬師山さんの、並べられると良いのですけども。
 
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2017年05月19日

【鉄道作品日本形】阪急9300系のリメイク完成「伝統と、大胆」



 短期間での制作ですが、完成。(製作中記事)

 阪急9300系は2003年に導入された、阪急でも久々の新車。1974年以来長らく活躍してきた6300系 京都線特急車を置き換えるもの。

 また、阪急では久々のアルナ工機以外への車輌発注ともなりました。

 日立のA-TRAINという枠の中で、最大限に「阪急電車」のブランドに挑戦。伝統を護りつつ大胆さもあり。半流線型と言いたくもなる前面形状に、大きな側窓。飾り屋根まで載せるこだわり。そのスタイルは神宝線用の9000系にも続きました。
 が、その後はより堅実な1300/1000系へ移行。虚飾のないシンプルさという意味でより阪急の伝統に相応しいのは1000系列の方なのでしょうが。然し、それでも9000系列の大胆さと過度なまでのエレガンスに憧れ抱くのです。

 9300系は京都線の特急・快速急行に充当。ただ、今の「特急」は往年の急行並みの停車駅数であり。
 まぁ、快適と高速を多くの利用機会与えてる意味で、評価してよいのかも知れません。幼時に6300系特急の止まらない駅で、何時も通過してく特急恨めしげに見てたことは忘れられません(今はその駅も特急停車駅です)。

 レゴでは2014年に一度制作しています。
 当時としても不本意は残る出来ではありました。3年越しのリメイクが実現した由。リメイクにあたってはyamatai氏のCADや、三井氏の展示用作品を意識したのは言うまでもありません。両者あってこその作品です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 9300形 実物の1号車で梅田よりの制御電動車。パンタグラフ2基。

 半流線型の前頭部は3面折妻+貫通扉の半ポッチ突出で形成。
 折妻の内部はプレートでガッチリ固定であり、見た目より強度有り。

 前面窓は実物の印象よりも大きめ? ただ(三井氏のように)3プレート分の横組にすると0.5プレートの整合性が取れません。


 サイドビュウ。4幅分の横組という作りゆえ、かなり変なところに分割線が入りますが、これも思ったほど違和感はないみたいです。

 3幅分の窓って元来のレゴの寸法に殆どありませんので、その意味で新鮮!
 なお、窓位置や窓寸法的に1-2次車想定ではあります(9300/9301/9302F)。

 阪急の特徴たる銀色の窓枠は、上辺のみの表現。
 車番は良い表現が思いつかず割愛。社紋(hイニシャル)はメタリックの丸プレートで表現。
 



 9300形の屋根上。9300系の特徴たる飾り屋根は、2014年版のL形パネル式の修正になりました。古い表現ですが、満足はしています。
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 9870形。実物の3号車。
 実物では機器の殆ど搭載されない付随車ですが、<<続きを読む>>
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2017年05月14日

【鉄道作品日本形】阪急9300系再製作中……/いばらき×立命館DAY2017告知【5月21日】

 阪急9300系は2014年に一度造っています。

http://legotrain.seesaa.net/article/398794769.html

 あの当時なりに頑張りはしましたが、やはり不本意の残る作ではありました。同時期に造った900・920形、1010系、2800系はその後も運用機会ありましたけど、9300系は半ば休車状態。パーツも少しづつもぎ取られ……。

 その後、yamatai様のCAD(9000系)が作図され、2017年に取りうる方向性が模索される。記事→
 http://legotrain.seesaa.net/article/447893506.html

 そして、なんと三井様の阪急三番街展示用の9000系も制作されてしまったのでした。記事→
 http://legotrain.seesaa.net/article/449351329.html


 衝撃と言わずとして、なんと言えと!

◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 そんなわけで完全解体。ゼロからのスタート。
(資材は大量に使いまわしできるので実に経済的!)

 ライバル作は敢えて見ずに(笑)、実物写真と脳内イメージだけで9300系を形に。まずは側面検討用の中間車1両の車体を造ってみる。

 
 窓枠は全周表現するとクドくなるので、上辺のみ再現。これは2800系と同じく。
 9300系の大きな側窓は3段分の横組で。1x1ブロックのトランスブラックがリリースされたからこその手法です。確かyamatai氏も作図されていたような……?
 3段分の横組なので、つじつま合わせにもう1段横組。車体の殆どが横組みという変態的構造となりました。

 ドアは強度とコストを優先の沓摺のみ表現。
 屋根肩の白い部分は広めに。この系列の特徴である「飾り屋根」は他表現も検討したものの、元の1x4L形パネル方式に落ち着きました。高さは2プレート分から1プレート分に減じてますが。


 で、肝心の前面。
 2x3の窓枠使用でも良かったのですが、無駄な対抗心が……。4段分の横組み併用のめんどくさい形状で、前面だけは銀サッシ表現入りに。
 今回は内部のクリップ止めは一切行わず(メンテ地獄ですからね)、2016年末の伊豆急100系以来採用の、ジャンパプレートによる3面折妻再現で見た目よりは強度に配慮。

 ただ、でも……微妙に失敗。
 前面窓、微妙に小さい印象。そして窓と標識灯の間がどうしても1ブロック空いてしまうのですが、そこはそのままにするとやや間が抜けて見える。
 で、写真にあるように手すりを付けてみると、あぁクドすぎる胸焼けする。

 あぁ、スッキリ仕上げってるライバル作が眩しすぎる。
(……無謀過ぎる対抗心ですけども。然し、意地はある)


 でもまぁ、側面との繋がりは悪くないです。
 9300系とか9000系って、大胆というかトリッキーなスタイルの電車ですよね。今更ながら。


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 ここで前面、再改修。

 横組箇所を上方に2プレート移動。方向幕などを横組部に組み込んでしまいました。実物も前面窓の中に方向幕ですからね。
 貫通扉も窓を小さく。側面の窓や扉窓と上下方向の位置と高さを揃えてます。阪急電車のデザインってこういうとこは「揃って」ますから。

 で、窓下のサッシ及び手すりの表現(普通に1x2タイル 新灰)は、ライバル作模倣しちゃいました。他表現も考えましたが、無理。横方向に伸びる灰色のラインのお陰で、前面のウマヅラ化を防いでいるのはさすがプロのデザインと唸らされましたよ……。

 スカートは濃灰に変更。

 今度は前面窓が大きすぎの印象か? ただ、現状で取り敢えず納得はしています。


 側面との繋がり。ライバルに追いつけたかどうかはともかく、少なくとも2014年版よりは良くなったと(笑)。
 人の評価よりは、自己評価優先が大事なんですよ。たぶん。


 斜め上から。

 さて、あとはこれを週末までに4両編成に仕立てるだけです(笑)。
 関西は阪急沿線での展示というのは、最高のモチベーションになるのでした。

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 5月21日[日] いばらき立命館day
http://www.ritsumei.ac.jp/events/detail/?id=337

 1000-1630:入場無料
 立命館大学 大阪いばらきキャンパス

 立命館大茨木キャンパスでの、地域交流イベント(ポスター改めて見ると随分盛り沢山ですね!)。

 こちらに立命館大鉄道研究会(のレゴ班)が全力参加されています。関山も既存作と新作の茶色い電車もって駆けつける由。
 同じ関西でも神戸(6月 恒例)だと京都線電車はもってきにくい雰囲気ですけど(笑)、こっちは問答無用で京都線沿線ですものね!


 (会場には……実はJRの茨木駅の方が便利であったりしますが、まぁ諸事情ありまして)
 関西の皆様のお越し、お待ちしております。

 また、翌月曜日はレゴ仲間と茨木観光(万博公園と国立民族学博物館)を予定してます。興味ある方はメールください。
 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする