
鋭角的な感じと、ブルーの塗色。
あの時代の「未来、明るい未来!」を鮮烈に、示してくれるのです。
それは1970年代の停滞感を吹き飛ばしてくれるもので、ありました。
先方の記事
https://ameblo.jp/ainchan2019/entry-12745172887.html
https://ameblo.jp/ainchan2019/entry-12745310460.html
さて。鉄道といえば常に開発の尖兵であったのですが。
しかし日本の鉄道史で、「開発」を名乗った会社は2つ。
岩手開発鉄道。貨物専業です。1067mm軌間非電化単線。今も盛業中。
北総開発鉄道。こちらは旅客専業。1435mm軌間電化複線。
社名はいつの間にか「開発」が取れてしまいましたが、むろん盛業中。

1979年の部分開通に始まります、当初は都心部への接続ルートがなく、新京成鉄道への直通で松戸に接続しておりました。
その際にデビュウしたのがこの7000形電車。
新規の開業線ということで、駅構内などのデザインワークに相当なこだわりを見せ、当然車輛もまた画期的なものに。
(とはいえ、6連が3本のみ。新規開業線は新京成の吊り掛け電車のほうが多く見られたそうですが……)
逆スラントの形状は、フランスのモノマネと言うよりは寧ろ、通勤電車に巧く取り込んだものでありました。デザイン上は不利な要素となりうる貫通扉も含めて整えた形状。完成された完璧な形状でありました。
意欲的なのは前面だけでなく、側面も。
空調を前提とした固定の側窓。塗装ではなくシールで処理した側面塗り分けも画期的なものだったのです。
シートはロングシートながら、二人分づつ区分したもの。これが肘掛けなどもっと踏み込んでデザインだったら良かったのですが。つり革の排除も思い切りすぎたようです。
1991年には、6連を8連に。
そして都心直通ルートの完成で、都営1号線(浅草線)への直通を果たします。
青い電車は、そのまま赤い電車のエリアへも。京急線は当初川崎へ。そして羽田空港方面が定番となりました。一時期は新逗子(逗子葉山)への乗り入れも。
ただし、セミステンレスの車体は劣化も早く。
2007年までに全車が引退済です。幸いにも先頭車が1両保存されています。

アイン様の作品。
特徴的な前頭部の再現、成功されておりますね。少しでもバランス崩れると別のものになってしまう、あの絶妙なデザインの再現成功されています。
隙間もグリルスロープできれいに埋める。そのまま窓廻りの塗り分けにつなげる処理も巧い。丁寧です。

中間車。
側窓は「プレート+ブロック+プレート」の組み方で、Hゴムはめ殺しだった固定窓らしさを見せています。

交差式パンタも当時は新しいものに見えました。冷房のキセを連ねたデザインも。
ステンレスのコルゲートは流石にちょっと懐かしい……ですね。

部品点数が多くなるのでレゴ的には鬼門の?交差式パンタですが、きっちり組まれてるとやはり佳いものです。下枠に使える良いバー部品があればよいのでしょうけども。
屋根は一部を平滑処理。この題材にはスマートさ大事ですよね。

京成高砂あたりのイメージだとか。

都会のもとを。
1号線で都心部こそ地下を抜けますが、しかし京急乗り入れの品川−横浜間のイメージではありましょうか。

初代スカイライナー。AE車と。
ギリギリのタイミングであったか無かったかの並びであります。
しかし、北総線の都心部への連絡がもっと早く実現してたらあり得た並びだったのかも知れません。
今のスカイライナーは、スカイアクセスとして北総線を駆け抜けてゆきます。不思議な感触でありますよね。
アイン様の作品の今後が楽しみです。
(2編成目を、との目論見とのことですが。中間車を二段窓の増備車にするとかのバリエーションも出来ましょうね?)
また、京成や、京急の車輛との共演が楽しめるのですから。