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2021年07月30日

【作品紹介】鱒寿司様の、鉄道院基本形客車(12000系)。標準型の佳さ。

 汎用性のある客貨車の重要さ。
 マイナースケールの鉄道模型では痛感させられるのですよね。
 
 どんな機関車でも、どんな情景でも或る程度合わせることが出来るのって、実に有難いことであります。

 良い題材、造ってくださったものです。
 


 
 そのありがたき、鉄道院基本型客車(12000系)は1910年(明43)から製造された、はじめての標準化された客車群。
 それまでは、国鉄……官有鉄道も含めて統一もない良く言えば個性的、悪く言えば雑多な客車群が製造されていたのですが、1908年の鉄道国有化を期に、統一設計を徹底したのです。

 国有化以前の日本の客車は欧州スタイルもアメリカンスタイルも両方入り乱れていたのですが、基本型客車はダブルルーフ、両端デッキの後者寄りの姿に。
 しかしまぁ、独自の意匠というか味噌汁臭さみたいなものは入ってきます。

 これが「客車」の標準として。
 やや大きくなった22000系(大正時代)。それを鋼製化したオハ31等(昭和初期)。20m化したスハ32等。広窓で近代化のオハ35等……という、日本の客車の一貫性のある流れが始まるのでした。

 基本型客車は。大多数の3等車はもとより荷物車も。また2等車はもちろん。寝台車・食堂車・1等車も作られています。供奉車・特別車・御料車までも。
 優等車には(いや一部の3等車にも)三軸ボギーの20m級のものもあり。形式数では相当な個性を持っています。

 一世を風靡した基本型も製造は1917年ころに終わり、以後は大型化した22000系客車に移行しています。無論、未だ木造ですが。

 こうした木造客車は1950年代迄はローカル線中心ながら生き残っておりました。その安全性や接客設備の陳腐化の根本的改善として行われたのが、客車鋼体化です。基本型客車も台枠などを供出し。1950年代後半に消滅。

 私鉄払下げもあり1960年代まで生き延びたものもありましたが。

 残念ながら、本系列に属する御料車(6,7.9号)以外に現存車がありません。
 22000系も現存車が殆どないことは惜しまれるのです。


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 さて。模型的に見ますと、12000系は便利です。

 大正初期から大正末。昭和初期から戦中、そして戦後の初めの時代までで使えてしまう客車でありますから。
 活躍は稚内から鹿児島まで(流石に外地には居ないはず?)。最初期には急行のエリート。末期にはローカル運用。


 古典蒸機から、C55やC57あたりまでの制式機群。
 電気機関車の時代でも合うのです。舶来電機の時代は勿論。国産機でもEF53あたりまでなら……。

 写真のように8620が似合うのはいうまでもありません。
 原型機でも、また空制機であっても。



 基本形式の3等車。ホハ6810形。後のホハ12000形。

 3つづつ並んだ窓のスタイルはずっと引き継がてたものです。今見ると貧相な設備の3等もそれまでのものに比べて立派なものでありました。

 作品は、木造の表現を1x1ブロック並びで行っています。シルヘッダーは色差表現。
 窓は順組です。窓枠感がくっきり出ておりましょうか。

 雨樋は割愛ですが、却って線の細さが感じられます。
 ダブルルーフは車端部の絞り込みがきれいな形状です。

 妻面の窓も、この系列では欠かせません。

 床下。トラス棒が丁寧です。台車はイコライザを割愛して枕バネ優先です。
(ここはどっちかしか表現できないので、取捨選択が要されます)


 少しの変化。3等緩急車。ホハフ7570形。後のホハフ14000形)

 便所のすりガラス。車掌室の孤立した窓が特徴です。
 ホハとホハフの比率は1;1位? 空気制動以前は緩急車が多めに必要だったようですね。

 整った、飽きの来ないスタイルです。


 3等荷物合造車 ホハニ8385形。

 当時の編成には必要でしょう。荷物室の窓とドアにグリルブロック使うことで、保護棒格子の代わりにしているのはなるほどと唸らされます。

 荷物合造車は本線列車にも。またローカル列車の最低限の輸送にも使える便利な車でありましたよね。荷物がなく、通勤客を荷物室に乗せるような使い方もできたそうです。


 2等車 ホロ5535形。
 2つづつの側窓は後世のクロスシート車を思わせますが、残念ながら未だ「優等車がロングシート」だった時代の車です。

 無論、固くて狭い3等に対して、ソファのような2等の座席の方が優等車らしいものであったのでしょう。面白いのは、当時のお客さんは靴脱いで座敷のように寛いで使う……スタイルが当時の紀行などで見られることです。

 流石に昭和の初期には3等車や荷物車などに格下げされています。
 尤も、木造の2等車でも、クロスシートの車は1950年頃までは2等として生き残っていたようです。


 基本型客車ではありませんが、ユニークな車として。
 ホロハ9400形。故あって、「展望車以外」での片方がオープンデッキになっている客車を求めて、見つけられたプロトタイプのようです。

 山陽鉄道の2625形。私鉄引き継ぎ車といえど、山陽鉄道は程度の良い車を揃えておりましたので、基本型客車と並んでも見劣りがしませんね。そのうえ3軸ボギー。

 当時は簡素であった筈の(故に、2等側はクローズド)オープンデッキも、今の目でみるとエレガントなのです。3等展望車とでも言いたくなります。


 この5両が揃うと、なかなかに魅力的な情景となるのです。
 
 やはり華やかだった時代。大正のイメージが似合うのでしょうね。
 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内の作品紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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