
https://ameblo.jp/ainchan2019/entry-12738330786.html
先方の記事です
教習車……は今はなくなってしまった車種ですが、国鉄時代とJR化後の一時期にみられたもの。
JR東日本で1990年代にみられたものは、古くなった電車を車種だけ教習車に変えたもので趣味的にはあまり面白いものでは有りませんでしたが(白帯で教習車の表示とかありましたよね)。
しかし、国鉄時代の教習車は大きく車体を改造したユニークなもの。
クモヤ92形は、モハ63系列の2ドア形状で両運転台。実は美形?
クヤ165形は、余剰のサハシ153形を改造したもの。
そして、本記事で扱うクヤ153形も、同じくサハシ153を改造したものでした。
(この他 客車にも教習車が何形式もおりましたね。気動車や貨車、また機関車には存在しませんでしたが)
サハシ153形は153系のビュフェ車。
走る寿司屋として有名でしたが、1970年代ともなると営業は休止されるわ編成から外されるわ。
放置されて解体される仲間も多かった中で、2両は教習車として生き残ったのでした。そのうちの1両です。

側面はビュフェ車の面影を残したまま。
前後は103系タイプの運転台を強引に増設。その上パンタグラフも搭載。
こちらは調理室サイドの窓が少ない側面ですね。
青に黄色帯の事業用車カラーも相まって、なんとも、妖しげ。

反対側。こちらにも運転台あります。
153系としての側窓残り、奥にはビュフェのカウンター窓。
内部は広間になって、教室上になっていたようです。
種車の関係上、冷房はあったので快適ではあったでしょうか。


サイドビュウ。
ビュフェ車自体が特異なスタイルですので、それをいじると更にすごいことになります。
元、客室部分側窓は旧トレイン窓(1975−1979年)の部品です。

自走は出来ないので、おそらくはクモヤをペアに運用?されたのでしょうね。
ただ、本線上で運転されている写真が殆どでてこない車輛でもあります。
実際の教習は「静止状態」で行っていたのでしょうか。
それでも。ぽつねんと構内の隅に置かれてりゃ不思議な趣、あったことでしょう。
クヤ153。廃車は1987年の2月だそうです。
国鉄とともに、姿を消す……。