
キハ55・キハ26は地味に好きな形式です。
1956年から製造された準急用とされる気動車で、後に急行にも用いられ、最後は普通列車用に。1986年と国鉄終末まで残りました。
気動車としては長命な方でしょうか。
初の優等列車用気動車であり、初の「大型車体」。電車や客車同様の車体幅・車体高になったという画期的な形式でもありました。
総数は国鉄車486両。そして、配属は全国に及びます。旭川から鹿児島(恐らく枕崎?)まで。私鉄にも同型車が島原鉄道・南海電鉄に9両づつ納入された由。
個人的には。
1981年夏に、宮津線で乗車の機会がありました。それが鮮烈なイメージで残っています。小汚いけど、素敵な車に思えたのでした。
この題材。思い入れありますので、かなり前から造っています。

初代作品。2010年。
http://legotrain.seesaa.net/article/160604388.html
2005年ころから構想してたものの、完成したのは2010年。
既に編成化考えており、キハ55バス窓、キハ26 400代、島原鉄道キハ2600……と展開しています。
クオリティは当時なりってことでご容赦を。2012年ころに解体しています。

二代目作品。2017年。
http://legotrain.seesaa.net/article/446050103.html
簡便さを意識したものです。あえてディテールなどは控えめに。
床面高さは、他の方の作品に合わせるために普段より1プレート上げたものです。
前面表現は薬師山氏のアイディアで、角度つけてみました。
増備とか展開考えたものの、1両のみで終わってしまってます。2018年解体。
さて。
その後ですが、気動車はキハ56とキハ27、またキハ22をを2018年に制作しています。

キハ22。直接の参考になろうかと?
http://legotrain.seesaa.net/article/461266110.html
この品質やら技法をキハ55にも援用したくなり、試作を重ねるもなかなか制作に至らず……でしたが。
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キハ55。ついに、形になったもの。
初代・二代目同様、3次形をプロトタイプに。台車がDT22になったものの、バス窓のままだったグループ。
先のキハ22比較で言えば、前面は窓位置を微妙に下げています。実車もキハ22は少し窓が高めでしたから。
0.5プレート分くらい下げているのですが、これは前面のヒンジで角度をつけた部分の窓まわりから下を上下逆に組むことで実現してます。旧タイプの窓は「たまたま手許にあった」から(笑)。でも、現行品の2x2窓部品でも上下逆だと、0,5プレート分は窓位置が下がるはずで、印象が変わってくるでしょう。
このおかげで、尾灯の位置もギリギリまで下げることできました。
側面は、二代目のコンセプト引き継ぎなるべく簡素に……。それでも、ドアは横組です。洗面所窓(後ドアとなり)も横組です。
バス窓は二代目同様の手抜きですが、窓数は実物イメージに近づけました。中央の排気筒部分で窓割分断されているところも表現。

キハ26 400代。
二等車キロ25を格下げした車で、この種の車にしてはまとまった両数が末期まで残っていたようです。
回転クロスシートに合わせた細かい窓割りが印象的な車でした。あぁ、乗ってみたかったですねぇ。もっとも全ロングシートに再改造した600代という余計なことしやがって……も居たわけですが。
横組み窓は、スッキリした印象です。

社車。島原鉄道キハ2600形。
キハ26を両運転台にしたものですが、その上でトイレ付きなのでやや強引な側面割付です。国鉄線乗り入れ・併結用で、博多・小倉までの急行で足を伸ばしました。また長崎行の直通普通列車にも。ただし、こうした乗入・併結も1980年10月で終わってしまったのですが。
前面の赤帯は特急車のようなかっこよさ!
その上エアサス台車の豪華版。冷房は1972年ころに装備されたもので、併結相手のキハ65やらキハ58冷房車に劣らないものでした。
島鉄線内専用になってからも2000年頃まで活躍続け、最後のキハ55系ともなりました。

トイレ側。助手席の真後ろに狭いトイレがあります。
ATSの関係で国鉄線内では片運転台車として扱われてた由。また、諫早で長崎発の車に連結した後、さらに肥前山口で佐世保発の車を併結するため、肥前山口〜博多間では中間に挟まれてしまってたとか。
無論、社線内では両運転台活かして単行にもなります。
作品ですが、側窓は横組化するかもしれません……。
あと、普通の国鉄車のキハ26も1両はあったほうがいいのかも。です。