
大きな木造駅舎だった。往年の豊平駅のイメージ……?
先方の記事です。
https://ameblo.jp/ainchan2019/entry-12690870734.html
https://ameblo.jp/ainchan2019/entry-12691127799.html
2021年は北海道形積極的なアイン様なのですが、ついに嘗ての廃止線も対象に。
定山渓鉄道は……札幌近郊の電鉄線だったのに、いろいろな思惑違いで1969年に廃止されてしまったのが残念な鉄道です。
接続が札幌駅ではなかったこと(この都心部で力尽き適当な接続駅を選んでしまったがゆえに残れなかったパターンは悔しい。新潟とか長岡とか)。
接続のために、本線の一部を地下鉄に明け渡したこと。
地下鉄への進化は否定しませんけども、地下鉄に真駒内で接続する郊外線としては残れたとは思うんですよねぇ。真駒内−定山渓のバス本数はそれなりにあるわけですから。
ただ、廃止時のようなローカル私鉄的な楽しい?ラインナップが後日まで残れたかどうか妖しいですね。結局は東急の中古車が3000系・7000系・1000系辺りと三代あたりで総入れ替え……を繰り返してたんだろうなとか(苦笑。いやゲロ電2300とホンモノ7000系の並びとか見てみたいような気もしなくもないですね(笑)
という話はともかく。

制作されたのは湘南顔の両運転台車。モハ1200形と、気動車改造のクハ600形です。
塗色は1960年代の、窓まわり赤、他をクリームに塗ってた時代です。
モハ1200は狭幅のバス窓が並ぶ姿だったのですが、窓まわりはある程度割り切って2x2解釈になってます。違和感はありません。
それ以上に、湘南顔の作りの上手さ。やはり、作るの難しい顔ですから。
台車は地方私鉄らしい、軽快なもの。
ただ、電車だと通常のトレイン車輪の方が、気動車との差別化できてよいかもとは思いました。
モハ1200の2両は、定山渓鉄道では数少なく他社譲渡され、十和田観光電鉄で1988年まで生き残っておりました。あの時代の塗り分けもまた良かったのです。

クハ600形を前に。千歳線などをゆうしていた北海道鉄道(二代目)からの買収気動車で、このグループは結構広範にひろがり1960年代の道内私鉄では生き残ってたものです。気動車として再起したもの、客車化→機動付随車化。そして電車付随車から電車制御車に化けたのが定山渓の車。
スマートな、流線型気動車です。流麗さはやや強調。悪く有りません。
塗り分け表現が凝っており、また、胴受けや鎖で表現した連結器廻りが良い感じです。
軸穴車輪使った軽快な台車は、戦前気動車の雰囲気をよく表現していますね。

このアングルからだとクハの流麗さ、軽快さが際立ちますね。

戦後の車と、戦前の車。
定山渓鉄道は1形式1−2両程度の少数形式だらけで、電車がまぁ異様に個性に富んでおりました。中には元二等車で座席指定車として使われてた車までも。固定窓で空調なしの「ゲロ電」は有名ですが……(札幌市電や地下鉄でも、窓の開口部小さい車は少なくなく、何考えてたんやら?)

楽しい併結です。
気動車キハ7000なども交えたさらに楽しい編成もあったはずなのですよね。

都会への乗り入れ。
自社での札幌乗り入れができていたら……。

大都会と。
あったかも知れない一シーンであります。

さらに。別の可能性。
定山渓鉄道は1931年より千歳線(北海道鉄道線)の苗穂−東札幌間の3.1kmを電化して、電車乗り入れを行っておりました。千歳線は買収され国鉄になっておりましたので、これが北海道初の国鉄電化線です。
国鉄から見れば邪魔だったのか、1957年に電化廃止。乗り入れは気動車化されてしまうのですが……。
この乗り入れ電化が継続していたらという想像。楽しいものですね。
国鉄(JR)の電車と定山渓の電車が並走して札幌まで……!

いや、併結もあったかもしれません(笑)。
この場合は、定山渓の電車はパンタ降ろしてJRの電車に牽引してもらうほうがリアルかもしれません。
でも、夢は膨らみます。
大人口を擁する大都市近郊の路線ゆえ、廃止が惜しまれる鉄道なのでした。