
1040形。宮島線に復活?

海沿いをゆく。

はるか、広島市街を眺めながら。

流線型 颯爽と。
さて。

1040形。広電歴代の中で、一番好きな車両かも知れません。
1941年に、2両が木造電車の焼損復旧として登場したもの。
かなり戦争に片足突っ込んだ頃ではありますが、張り上げ屋根と大きな窓の流線型電車です。思えば阪神国道線70形などもこの時代ですが、鉄道車両に関しては流線型の華やかな時期と戦時型の垣根が曖昧だったりするのですよね。
当時は両運転台の単行運転用。ただ、その時代の写真がほとんど見つかりません。茶色?1色の冴えないというか不気味な印象だったようなのですが。青白ツートン時代もあったとも?
1957年に、2両を纏めて1編成の連接車に改造されました。
広島電鉄初の連接車となったのですが、市内線直通用ではなく宮島線専用高床車のままです。
この頃に明るいオレンジ系のツートンカラーになり、1980年まで活躍続けたのでした。

作品は、広島訪問に合わせて無理のない範囲で纏めたものです。
とはいえ、構想自体はずっと前から……でありましたが。
大きな窓は横組の下2/3と、順組の上1/3の組み合わせ。寸法上の齟齬もなく無難に収まってます。
前頭部は腰から下をカーブスロープ。
窓まわりは横組。ただしガラスに角度は付けず、中央部分はピラーのみをレールプレートで張り出すことで、曲面の代わりにしてます。
おでこもカーブスロープです。カーブスロープと窓の隙間の0.5プレートをウインドヘッダーに見立てる。
これを内部で固定して、斜めに取り付けて流線型と。
カーブスロープ1x2を車体側に使い、斜め隙間はミニマムに抑える。

内部構造。クリップとバーだらけ。この種の構造は、上下を結んで、そこに窓まわりが挟まると考えると楽です。
で。あとから気が付きましたが。これ、流線型ではない一般の丸妻の電車の表現にも使えてしまいますよね……。

連接は方もたせです。右の車体にホロと連接台車(動力台車)を持たせて、左車体はフックで引っ掛けるいつものスタイル。
窓割りはピラー細めに。窓部分が少しでも多くなるように意識。
軽快な印象の車ですから。

カブスロに寄る隙間埋めがわかりやすいアングル。
今回は広告枠などは付けませんでしたが、実車では1970年代に窓上幕板にまで及んだ広告も今見えると味はあります。いつか弄ってみますかも?

現在の連接車と。

現在の連接車と。
宮島線色、3900形あたりに復活してくれないものでしょうか? その後の5000形以降のこと思うと十分に「高床」ですし(笑)。
妄想はともかく。高床車時代の宮島線は惹かれる題材です。大きな二枚窓の1060形やら、ツートンカラーになった阪急電車の1070形。そして初期の直通車の2000形や2500形(大阪市電改造車)……。理想を追って失敗した?軽快電車3500形も既に歴史。ドイツ電車70形……。そして神戸や京都や福岡からきた電車たち。現行の1000形とか5100形も好きな電車ですし。
あぁ。構想とか妄想は膨らんでしまうのでした。