
[18噸と、42噸]
シェイ式機関車は軽便用のイメージが強い。阿里山とかアメリカの910mm軌間用の情報が多いせいでしょうか。
しかし、重量100トン超。無論、標準軌用のシェイも沢山製造されていたのですよ! しかも最終製造は1945年ですから随分長いこと頑張っていたのです。
さて。ここで日本内地のシェイをおさらい。
八幡製鉄 1907年 1067mm 4両 10噸
津軽森林鉄道→魚梁瀬森林鉄道 1909年 762mmm 1両 13噸
海軍 1921年 1435mm 2両。42噸
八幡製鉄。1067mm軌間といえど、10噸って蒸機としちゃむちゃくちゃ小さいな機関車です。なお行方不明の機関車として有名です。貯水池の中に今でも沈んでるなんて都市伝説も。
津軽森林鉄道→魚梁瀬森林鉄道のは時々写真が見つかりますね。13噸。阿里山が18噸と28噸ですからそれに比べてまだ小さい。
海軍。42噸。大きいです。
また日本国内の蒸機としては極めて数の少ない、標準軌用。
それにしても。内地の標準軌用の蒸気機関車って一体何両あったのやら……?
海軍の構内用がシェイとそれ以外で合計6両? 標準軌の私鉄が工事用にもってた事例は新京阪鉄道→阪急の2両が知られますが他にもあったのか? あとは製鉄所などの構内用? 有名なのは横浜線で広軌試験に使われた2120形(2323号)ですが。
閑話休題。
海軍の呉建築部のシェイは呉の建設で使われ、その後も横須賀に貸し出されたことあったようです。1945年の敗戦まで残存。その後は行方不明……。でも、その能力を十分に発揮、成功した機関車であったようです。
また、幸いにも写真も見つかります(靖間様 感謝です)。
https://twitter.com/sei_yasuma/status/768862082259312640

日本内地にも居た、シェイ。
更には地元の横須賀に居たこともあるシェイとして造ってみました(2021年 5月半ば)。
阿里山の18噸を作りながら妄想してたものが、1年越しに形になった感じです。
ナローゲージではないこと、急曲線も曲がらなくて済むことを考えますと、幾分か荷の軽い題材で有りました。

全長には余裕が持てますので、三気筒です。
(C52・C53以外での3気筒機関車という解釈も出来るのですね……。尤も4気筒は碓氷峠に沢山いましたが)
それでも小さめに収めるため、18噸同様に柔構造。台車と車体の連結はユニバーサルシジョイントのみで行っています。
機器配置は先の18噸とほぼ同じくです。動力のMモータはキャブ内で首振りです。
さて。
過度な期待させないため先に走行性能は告ってしまいましょう。
・前進OK、後退NG! 自壊します。
ユニバーサルジョイントが抜けるだけとかなら良いんですが、シリンダ回りがバラバラになります。
・前進なら、カーブもS字もポイント分岐側も何の問題もなく通過します。
・牽引力は Mモータ1個なりのもの。
不良の原因は機関車前半部に重量が掛かりすぎていること?
ちょいと意地はって魔改造なしで造ってますから、機関車の前半に単4電池x6の重量で、これが前部台車に軸重としてのしかかる。引っ張られると壊れる……だと思うのですが。
一応改良前も記事にしておきたいので。

海軍のシェイは極端なワゴントップですので、缶胴後半部をそのまま電池box収めてしまいました。スタイルの面では破綻もなく満足してたりします。
いや、最初は魔改造とか006Pとか考えてはいたんですよ?
たまには清純派も良いものです?
(でも清純派は病弱だったりするんですよねぇ)
色の資料はないので、エンドビーム赤にしてみました。

バックビュウ。
逆行困難ゆえ、こっちを前にできないのが残念。接着というのも検討してたりはしますが、一箇所硬くなると他のより壊れやすい箇所が壊れるという連鎖はありますから。

シェイの様にならない方のサイド。
実物もこちら側の写真がありません。海外機参考に適当に。台車は大きく触れますので、あまり大仰な床下表現ができません。
前部台車のフレ留メはエンドビーム下のΦ1プレート。これが連結器の張り出しと噛み合って誘導してくれます。

インカーブにて。ごくごく、自然。

R40だと無理がなくていいですね。
R24? 御冗談を(笑)

なかなか絵になります。

後退ができるようになれば、実用機として重宝できそうなのですが(笑)。

裏面。
台車はこの作りで行けそうです。軸受に使ってるテクニックのコネクタは1978年ころの古い規格の部品で、ポッチ付き直交軸コネクタ。テクニック系とポッチ系の融合に便利。数は出てるので入手は平易ですよ。
同じ部品、見栄え良いのでシリンダにも使ってます。
シリンダがこの機関車の肝です。
柔構造で車体にぶら下がっており、左右に少し、そして前後に大きくスライドを許容して、台車の変位による動力伝達に備えている由です。

シリンダ回りのぶら下がり方。
若干の左右動と、前後のスライドを許容します。

ハイライトした部分の1x1テクニックブロックが車体とシリンダを結び、そこをシリンダ側の6Lバーが滑るのです。

真上から。カーブで後部台車に固定されたモータがキャブ内で首振ってるのが分かると思います。

動力系はPF魔改造なし。一切なし!

再整備した18噸と並び。こんな情景はメーカ(ライマ社)の中でしかなかったでしょうが。

この角度だとサイズ差異明白ですね。スケールは意識してませんが。

両者を同時に走らせる状況は流石に考えたくないです。手間のかかる子同士でありますからねぇ。
でも並べてみたときの満足度は高い題材です。造ってよかった……!
ところで。
呉の海軍機。どう考えても使いにくい機関車です? 海軍の線路と言っても外には繋がらない閉じた線路ですから(故に標準軌)。外の目に触れる機会だって極めて限られていたことでしょう……。
でも、そこはファンタジィ。
1945年8月以降、接収したであろう米軍がこの機関車を如何に評価したか。あの膨大な組織にシェイなら乗ってたよ! 完璧に整備できるよ! なんて人は多々いたことでしょう。
呉(江田島?)から横須賀に移される。そして横須賀や久里浜、浦賀に来ている「標準軌の民営鉄道の線路網」。そこと繋がる新たな軍用線……。
戦後の横須賀の、明るい空の下。電車だって明るい赤と黄色のツートンカラーになり、お客も軍人から観光客に戻った時代。無論、「要塞地区につき撮影云々」なんて吹き飛んだ明るい時代。
さて。この機関車のなにかしらの物語つくれないかと妄想しているのです。
(野外撮影に引っ張り出してみたいですね)


