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2021年03月13日

【作品紹介】ジョージレモン様の流線型気動車3題。北九州鉄道ジハ61と東横キハ1、国鉄サハ4301/他

 

 戦前の流線型気動車と流線型気動車と。そして流線型気動車の中間車のお話です。
 この種の車の辿る数奇な運命とともに。
 

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 まずは、北九州鉄道ジハ61から。


 北九州鉄道は今のJR筑肥線です。1981年の電化と地下鉄直通で大変化しましたが、戦前にも積極的な気動車化を進め、都市近郊路線としての面目保ってました。

 白眉と言えるのが流線型気動車のジハ50・51とジハ60・61の4両。当時としてガソリンカーではなくて最初から「ディーゼルカー」でした。長距離運行に備えた便所付も気動車としては珍しいもの。
 
 実物写真参照。




 デビウ当時はアメリカの高速気動車列車に倣った銀色塗装だったようです。
 それにしても、この独特の5枚窓流線型。何処の流儀か。類例する形状の車が皆無なのです。汽車製造の流線型気動車は他にないみたいですね……。

 意欲的な車でありましたが、経緯は余り幸せなものではなく。
 国鉄買収で、折角のディーゼルはガソリンエンジンに積替え。戦時中に代燃化。
 1951年に大分交通にジハ51形由来の車とジハ61由来の車、1両づつが払い下げられているのですが、他の2両がどうなったのやら?
 大分交通では耶馬渓線・国東線で1両づつが使われてた由。この時代の写真が割と多く残されてます。1960-70年代に姿を消してしまいましたが最後まである程度原形は残していたようです。


 ジョージレモン様の作品は前面車体裾形態から恐らくジハ61の方ですね。
 デビウ当時の銀色塗装の雰囲気であります。

 5枚窓の丸みの表現はいうことなく……です。ラウンドしながら傾斜するこの手の流線型はどうしても難度が上がってしまうのです。おでこに3x6の半円プレート使っているのも成功でしょうか。

 腰高なのは、ディーゼルカーと思えば納得です。
(エンジンが大きい分、ガソリンカーより腰高になっておかしくない)


 屋根上はつるつる。灰色1色なので誤魔化しできない。

 ベンチレータの表現が面白いです。1x1の小カマボコも安くなってきましたから、押込ベンチレータの表現に使うのも有りですね。


 前面傾斜のシルエットが素敵です。


 拙作の元戦前気動車上田交通クハ251形と並んで。神中鉄道の気動車がルーツで日本車両製の半ば標準車。このタイプは世界的に(!)類例デザインが多かったのです。流線型でも個性派とマスプロです(笑)。


 さて。もう1両並んで。

 左の車も、ジョージレモン様作の東横キハ1形です。
 東急東横線で「電車よりガソリンカーの方が新車価格も運行経費も安い」という身も蓋もない事由で1936年に8両も導入された車。東急の歴史通して数少ない流線型でした(尤も5000系Iやら、今の6000系IIや7000系II、はたまた玉電200形も流線型と云えばそれまでですが)。
 川崎重工製。やはり、類例のない個性的な顔でした。

 燃料価格の高騰で3年で運用から離れ、神中鉄道(現 相鉄)他に放出。ただ、こちらは8両とも経緯が辿れますね(笑 流石関東私鉄の車です 1両は事故廃車)。最終的に鹿島鉄道に流れた1両は流線型を維持していました。1977年頃廃車
 他の車は折妻3枚窓の平凡な形状に改められ、電車の制御車になったり。1992年の日立電鉄が最後でした。


 天下の東横線用とあり、当時では大馬力だった180馬力機関。そして3扉17mの車体。電車と変わらぬ輸送力!
 しかし、大馬力機関でも、電車の脚には敵わず。運転は苦戦もあったようです……。燃料事情の問題なくとも問題作でした。「急行」に多用されたのも、加減速避けられるがため……。


 さて。ジョージレモン様の作品、前面表現が実に繊細。美しい。
 傾斜させた窓の受け方が巧いのです。

 側窓は2x2窓。窓サイズの印象がそれっぽいのです。
 ドアの上の水切り表現も見逃せません。ベンチレータは1x1小カマボコであります。

 色は諸説あるようですが(かなり明るい色だったとも?)、国鉄旧気動車色に近い解釈です。落ち着いて見えるのもいいですね。

 

 さて。
 まだ続きます。

 国鉄サハ4301(サハ6401)。流線型気動車列車の中間車だったもの。キハ43000系のキサハ43500形です。1937年製。1形式1両。

 先方の記事
http://boxlego.blog61.fc2.com/blog-entry-574.html


 キハ43000が失敗作の上、先頭車は2両とも戦災廃車(「戦災廃車」ということになっています。事業用車として使える程度の状態だった筈なのですが)。
 しかしキサハ43500のみは1950年に電車の中間車として再起、(雑形電車)サハ4301となりました。飯田線に1955年まで居ましたからモハ52と並ぶことだってあったのかもしれません。1955年に再度気動車の付随車に戻り、キサハ48000→キサハ04 301と。関西線で1966年まで生き延びたのです。

 色は旧気動車色(濃青とカーキのツートン)→茶色(電車付随車時代)→旧気動車色に戻り→一般気動車色と変遷した由。


 電車の付随車時代なので、茶色です。

 2連の側窓はブロック連ねて表現。細かい窓並んだ感じが伝わります。

 それにしても、屋根やベンチレータの雰囲気に「ただのサハじゃない」雰囲気ですよね。
 飯田線で社形省形が入り乱れてた時代に活躍してたはずで。相方の電動車は社形の方がメインだったのかしら?
 クロスシート車ですから長距離運用に入ることもあったのかもしれません。


 妻部分の表現。貫通扉が引き締めます。妻構を1ブロック分ではなく、2プレートにして少し薄く見せた表現が繊細です。

 電車であり気動車であり、ユニークな車でした。
 


 最後に。製作予定だった車両のツイートまとめておきましょう。






 鹿児島の救援車ナエ2703はキハ42000改造の有名な車でした。
 いつかは企画、再開されてほしいなと思うのでした。
 
 あと、キハ42000改造の客彩というと、羽幌炭鉱鉄道ホハフ5がおりましたね。茶色の2扉の客車です。
 1958年に気動車キハ1001になっていますが。
 

 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | 国内の作品紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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