何でも扱っています。4.5Vトレインからスター・ウォーズにバイオニクルも!
教材用等の大量調達もお任せください

◆◇◆◇◆◇◆
レゴの「全て」を世界から。日本語日本円・品切れなしのパーツ調達!
絶版パーツ、絶版セットもOK。廉価な中古も扱。


絶版になった特殊部品が欲しい、基本ブロックや特定色の大量の調達がしたい、
とにかく「安く」レゴが欲しい……というビルダーの声にお答えします。
注文を受けてから調達を行うため、即納体制は取れません。
しかし、当店に在庫切れはございません!

カンザンブリックは、日本のレゴビルドを変えてみせます!


◆◇◆◇◆◇◆
カスタムパーツ(BBB他)・カスタムキット(ME Models)の取寄せも

2021年04月28日

【鉄道作品 日本形】碓氷の機関車 ED40。不細工なのか、愛嬌か?



 ED40形(10020形) よく国産初の電気機関車……として上げられる機関車です。
 1919年。大宮工場製。

 実際にはその7年前 1912年には大阪高野鉄道(→南海)に凸型電機がアメリカ製部品の使用で製造されており、同系機は1917年に電気機器も国産化出来ていたのですが。
 また、鉱山用工事用の小型電気機関車も既に国産されていました。


 とはいえ、小型でも電車用機器流用でもない「本格的な」機関車としては国産初です。そのうえ、アプト式の複雑な機構を実現し、極限的環境のフェイルセーフ迄備える。470kwの主電動機も当然 車両用としては最大のものでありました。

 裏返して云えば特殊な機関車であり、そのまま発展できるものでなかったのも事実です。
 それでも14両も揃い、最大5重連(坂上に1 坂下に4)で活躍。

 ところで。
 なぜEC40のデッドコピー避けたのでしょう? イギリス製の3920形を元に3980形を、スイス製のED41元にED42を造った仁義の無さが碓氷の機関車ですからねぇ。
 何らかの良心というか、挑戦心があったのか? EC40がコピーできないほど出来が良かったか。はたまた、コピーに値しない略だったのか、いまいちはっきりはしません。

 それでも。ED40は戦時中までは廃車も出さず全機の退役が1952年。
 33年も使えたのですから初物にしては上出来! だったのでありましょう


 さて。
 性能面では評価されるべきED40ですが。その姿かたちに関しては正直、不細工というべきか。いや、愛嬌たっぷりというべきか?
 先輩のEC40が最大限にお洒落してた可愛い子だったのに、ED40は極限までに実用本位の「箱」なのですよね。
(この流れ、3900と3920等にも通じるもんがありますよねぇ)

 まぁ、造ってみて思いました。
 愛嬌! としておきましょう(笑)。



 不細工……は却って作るにくく、顔のバランス取りはやや面倒。
 屋根上機器を半ポッチ張り出させることでなんとか、整える。

 片運転台の機関車で、運転台はこの横川側(坂下側)のみなのですね。


 足回りは先の3900と同じく……というか、ED41・ED42とも同じくbb0129パックモータです。安い(笑)モータですから、気が向けば複数作って重連に出来ます。

 いや、値段以上に「低速形」なのがこの種の用途にはピッタリすぎなのですが。

 4軸連結ロッドという難儀な動輪なのですが、第1第4動輪はダミーにしてしまいました。車輪はただのΦ2プレートです。しかし。
 クランク付けてロッド回すことで存在感を出しています。動き、大事。

 一方、第2動輪と第3動輪はロッドで結ぶと内部のギアと干渉しやがりますから、第2動輪にはクランクを付けない対策です。

 なお。軸は6ポッチ長ではクランクが抜ける落ちる。
 7ポッチ長では長すぎる。7ポッチ長のテクニックシャフトを0.5ポッチ切り詰めて使ってます。さっさと出せシャフト6.5長。


 屋根上はパンタ周辺の赤塗がアクセントになります。

 側面も無愛想ですよね。腰の低さも相まって。
 客貨車一般よりも車体裾低いんじゃないでしょうか。


 軽井沢方(坂上方)。

 運転台無しで抵抗機室が突き出た形状。強烈。
 元来の使い方ならここが前になることはないのですが、運転方法が変わってくると、坂下に3−4両で坂上に1両連結とかになり。そうなるとこの面が最前部になったりします。

 そうそう。碓氷峠の機関車は皆、片運転台です。
 EC40は両運転台で製造されるも、後に軽井沢方の運転台撤去ですし。

 EF63はって? あの機関車の軽井沢方の運転台、回送でしか使わなかったんじゃないでしょうか……? 営業運転では横川方の運転台しか使ってなかったそうで。
(但し、EF63時代は需給調整の単機回送もまた多かったんですが。4−6重連の「単機」回送ですよ)


 車内は現状で空けてあります。碓氷の機関車として使うぶんには、ピフ(歯車緩急車)造って、そっちに電気系を搭載してしまうつもりですから。

 但し、私鉄払い下げ機。東武日光軌道線601とかとして遊ぶときは単独で自走してほしいので、ここにPF機器(受光機と 006P電池)搭載すると思います。


 日光軌道線時代も平気でこっちを前にして「道路上」を走ってたんですよね。
 監視員だけをステップに載せて。無茶苦茶な運転してたもんだと思います1967年まで……。

 ED40払下機は東武以外に南海(→秋田中央交通)・駿豆・岳南と居た由。富山港線での使用実績もあるそうな。

 そういう遊びも楽しそうでありますよ。


 並び。ED40・ED41・ED42。1930年代の写真でこの並び有ったりしますよね。

 スイス製のED41。ずるいぞ(笑)。腰高の美形め。


 でもこうしてみると、愛嬌のED40も悪くないなぁと思うのでした。
 これはこれで、なのですよ。


 3900とED40

 ED40の導入で、碓氷峠の無煙化が達成されたのでした。
 蒸機から電機への過渡期にはあった並びなのでしょう。


 碓氷の関守軍団。集合です。

 あと、EF63も引っ張り出さないとですね。3920はひろどり氏の借りてきたい。

 こうして、碓氷峠の機関車も揃ってきました。
 もちろんEC40も製作予定です。いや既に京福テキ511(9V)で造っておりますが、新たにbb0129モータ(PF仮設可)で作り直したいかと。……あぁ、色が悩みどころですねぇ。茶色もいいし灰色も素敵です。
 









 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。