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2021年04月13日

【実物鉄道】本物の碓氷峠を観てきました(2)「歩いて体験66.7‰ あぁ本物の、碓氷峠!」

 前回記事。
http://legotrain.seesaa.net/article/480971760.html


 ED42の実物合わせ!
 

 碓氷な作品たちです。今回は持ち込みはミニマムにせざるを得ませんでした。より遠大な目的なために。


 ラックレールに挑む? 3920。


 ED42の前で。製作者。ドヤ顔(笑)。
(……やや恥ずかしい)

 さて、予定通り12時半過ぎに出て横川駅前へ。
 ここで蕎麦すすったり、昼食用の「峠の釜めし」を買い込み。

 で、今回は行程で迷いが有りました。

「1日掛けて濃厚に鉄道文化むら楽しむ。屋内展示物や歴代電車でgoとかそれなりに見どころも多いし。お座敷客車でゴロゴロもよい。」

「本物の碓氷峠に挑むべき! 旧線跡のハイキングコース往復14kmもあるけど! 4時間ほどかかるけど!」

 さて、どっち?

 天気も良いこと。熱くも寒くもないこと……。
 で後者になったのでした。

 夏場だとありえないですからねぇ全身がキハ180のラジエータ状態ですよ多分。
 冬もちょっと嫌w このシーズン逃すとちょいと大変そうなのです。


 碓氷の関所をちらっと観ながら。

「デッドセクションって言葉。死の関所……デッドせきしょから来たって知ってる? だから旅の境目になるようなとこ、藤代とか黒磯とか米原にデッドセクションあったんだよ」ってどうでもいい法螺吹く。おい。

 しかし中山道、すごいとこ通ってたのねぇ。


 ここまでホーロー看板残ってると演出かどうか疑ってしまう(笑)。
 いや、流石にホンモノでしょう。多分。


 この角度から見下ろすと皆が思うこと。

「第三村だー!」

 鬼滅コラボの次は、シン・エヴァンゲリオンコラボを日本中の鉄道保存施設でやるべきだと思うのでした(笑)。


 丸山変電所へ。

 ここ、1963年の廃止から1997年までの間になんであんなにボロボロになってしまったのか。屋根落ちて窓全部なくなってましたからねぇ。

 よくぞここまで復元したものです。

 さて。
 意外とこれはキツイぞと思ったのも正直この辺から。みなさんペース早いよ上り坂なのに66.7‰の連続勾配なのに(笑)。

 ぎりぎりついてく感じになってしまったのでした。


 休憩を最小限にしつつ(もっと休もうよ!)、なんとか第1隧道へ。
 しかし、隧道見えるとテンションは跳ね上がりますよ。
 
 そして、隧道が涼しい。


 何箇所かで、国道18号と隣接します。凄い道路ですがあっちも。

 66.7‰をひたすら「躰」で感じます。
 あぁ、これがホンモノの碓氷峠なのだと悟りました。

 EF63に押し上げられ 189系のエアサス抜かれた状態のゴツゴツした乗り心地なんかゆるいものなのですよ多分。

 まぁ、こうして旧線跡を歩いて辿れるのも廃止になったからこそなのですよね……。ここの遊歩道化は1996年着手2001年完成と聞きます。もう20年。


 国道が上を越してく。
 あの国道、原チャで走ったら楽しそうではあります。下りが怖そうですが。


 3つめか4つめの隧道。皆さんペース早い。


 しかし。偶に立ち止まって良いシーンも。隧道続くんですね小刻みに。

 なお、ずっと登りです。ずっと66.7‰です。

 


 今度は長めの隧道が控えます。5号隧道。
 左上に排気穴?が見えます。ただ、中には何も痕跡は有りませんでした。早期に(電化時代に)埋められてしまったのかもしれません。


 暗渠またいで、良い雰囲気。
 
 5号隧道を抜けると。


 あの「第三橋梁」……めがね橋に!
 
 感動しつつ。疲れもそれなりに(笑)。14時27分。およそ1時間半で上がってきました。


 第三橋梁上から新線を見る。
 
 新線と言いつつ、50年以上前のもの。廃止されて23年も経ってしまったのですが。


 国道を見下ろす。すごい道ですよね。

 旧道経由のバスがあるらしいですが、運転日限定だそうです……。
 夏場は歩くの嫌なので(笑)、上りはバスで上がって、下りだけ歩くのはありかも?


 ここをキャンプ地とする!

 ああ、ついにまとまった休憩。


 おなじみの。

 でも、ここで頂くことに凄く意義があります。


 美味い。美味い!

 さて。
 おぎのやの釜めしは1958年に販売開始と。碓氷峠旧線の廃止が1963年ですから5年間はここを超える列車でいただく機会があったのですね。
(今ほど力入れて売ってたかどうかは知りませんが)

 スハ43やナハ10、はたまたキハ57やキハ80とか。そのあたりに思いを寄せつつ。
 あの時代は所要40分ですから、ちょうど食べ終わって軽井沢?


 こんな絶景。

 ここで暫く作品撮影タイムに。


 欄干の上で。落ちたら、おしまい(回収は不可能)。
 緊張感ある撮影でしたよ!

 でも、第5隧道抜けて第三橋梁に掛かる列車……の雰囲気は撮れました。


 恰も第三橋梁 通過のごとく。


 蒸機時代。


 光線の関係で編成の向きが史実と逆でありますが。


 ひろどり様の3920。やっぱりいい感じです。


 ドヤ顔写真。

 よくこの格好でここまで来たもんだと自分でも呆れ(他に服持ってないのよ!)。

 茶マント、行きの途中は暑かったので脱いで行きましたけど、途中から必要になる微妙に寒い。


 これなら安全な撮影方法です。如何にも隧道から出てきた感。


 さて。これから向かう第6隧道。


 こちら側でも撮影。さっき釜めし食べたベンチが便利でしたので。
 トンネルに入ってくが如く。


 ED42は運転台側向けて。


 3920も向きは正確です。


 いいものですね。


 熊ノ平に向けて再出発1530。休憩とか撮影でだいたい1時間。
 体力も回復ですよ。


 第6隧道へ。ここからは2010年とかなり最近に遊歩道整備された区間でもあります。

 長い。曲りくねる。
 そして続く66.7‰。


 開口部?! 外部に繋がってるところがあります。

 天井には通気口も。


 通気孔見上げる。今はガラスが入っているようですね。
 電化時代は鉄板で塞がれてたらしい?


 開口部から出たところ。ここはトンネルの土被りが殆どないところです。


 外から見た開口部。右上の蓋付いてるところが通気孔。


 第6隧道にはもう一箇所開口部あります。


 ここは外がすぐに崖なので出るの無理。
 
 国道からはよく見えると思います。
 そして国道も凄い勾配です。


 ここにも通気口が。


 短い7号8号隧道抜けて、いつしか9号隧道へ。

 嘗ての標識が残っていました。この斜め線の意味は?


 そして。9号隧道10号隧道抜けた先が熊ノ平駅跡。1558着。

 ここで碓氷新線と合流します。左の二つの坑門ですね。

 感動。思わず声が漏れました。感動です。
 新線で何度も通ったところですが、満員の115系や189系からではゆっくり観察など出来なかったところですから。


 左が抜けてきた10号隧道。右が熊ノ平駅の下り押込線跡。
 
 ここの運行形態は特殊でした。色々解説されておりますが。お陰でアプト式時代は横川方も軽井沢方も3個づつ坑門が並んでた由。

 なお、今も黒部峡谷鉄道 鐘釣駅は同様の運行形状です。
(はじめて鐘釣に行ったとき、熊ノ平と同じことしてたので強烈に驚きましたよ!)

 段差があるのは、構内出てすぐに下って行かねばならない本線と、飽くまで水平であるべき構内線の差異なのです。


 あらためて横川方 振り返り。
 右の大樹の奥に押込線跡があるのです。


 新線側から構内振り返る。
 左から新線上り線。新線下り線。
(新線の下り線は、旧線上りの突込線を改修したもの)

 新線上り線が複線断面なのは新線開業時は単線で、交換設備用に坑口部のみ複線になってたからとのこと。今のこるポイントは安全側線でしょうか?

 しかし。
 1997年から時が止まってます。

 アプトの大昔とは違う感慨があります。




 熊ノ平変電所。
 新線開通時に設けたものかと思い浮きや、1937年に旧線の輸送力増強用に造ったものとか。EC40・ED40中心の輸送体型を、ED42中心にして輸送力強化した時期と重なり納得です。

 この変電所は1997年まで使われていました。


 さて、軽井沢方面です。

 坑門がやはり3つ有り。軽井沢に向かって……

 左:旧線上り線の突込線
 真ん中:旧線本線→新線の下り線21
 右:旧線下り線の押込線→新線の上り線

 とか。

 新線部分、なんどか運転再開の噂は立っては途絶えています。それに備えて維持されている線路や架線が切ないのですよね。

 時間経つほどに難しくなりそうで……。

 後ろ髪引かれつつ、熊ノ平は1617に出発。帰着目標は1830の横川です。


 幸いにも帰途は楽でした。ペースもガンガン上がる。

 そりゃ下りですからね。


 第4とか第3とか第2隧道です。
 坂を下ってく、上り列車のED42の機関士の視点でもあります。
(緊張感ある運転だたとは思いますが)


 確か第5隧道前の廃小屋跡。


 苔むし方も美しく。


 4号隧道・3号隧道。その向こうに見えるのは国道との交差です。


 山!

 送電線。
 ここでエヴァンゲリオンとウルトラマンとゴジラが共演して欲しい的妄言が皆から漏れてました。

 碓氷峠も第3新東京市の有力候補だったのかも?


 再び新線に合流。あとはひたすら下るのみ。


 桜はぎりぎり残ってる感じでした。
 先週だったらちょうどよかったのかも……ですが。

 結論から言えば、毎年でも通いたい場所ですね?


 鉄道文化むら上部の保存車両は、ここで保存線につながってる由です。事業用車も。


 第三村(笑)に戻ってきました。1755くらいに横川着。
 下りはやはり早い。早いといっても1時間半は歩いてるんですよね……。

 横川からは1813の高崎行に。はじめは1850発予定でしたので1本早く。


 東邦亜鉛のスイッチャー。
 このクラスの入換機は近年新造も無かったのですが、ここのは割と新しめ。
 
 近代形スイッチャーも良いものですよ。

 そのまま高崎ついて1845位。

 20時まで夕食。駅前というか事実上の駅ナカに「サイゼなう」できる有り難さ。メンバーの中にはサイゼ2回めって方も居られましたし、選択は間違ってない多分(笑)。

 ワインも進み(笑)、20時過ぎに高崎から上野へ。
 運悪くボックス取れず。快速は混むから駄目ですよね。というかなんでこの時間の上りが混んでるのよ?

 でも、酒入った状態で喋ってたら上野まであっという間でした。


 上野駅14番線着。ここに着くと有り難みがあります。解散。


 解散後、横浜へ東海道線で。こっちはまったりしたものです。あんまり混んでない。


 三島行こだまと並走しつつ。

 横浜で京急乗換。終電には未だ余裕あり。1000形のクロスシートでうとうと。

 でもって、帰宅後爆睡。翌日になんか予定入れなくて幸いでした。

 疲れた。
 でも、何度でも行きたい「ホンモノの碓氷峠」なのですね。

 紅葉の時期。
 はたまた、来年の桜の時期……再訪が楽しみなのであります。







 いや、マジで他の方の記録であるとか。昔の写真や雑誌記事見るのが楽しい! 現場知ってるからこそ理解できるもの、たくさんあります。百聞は一見に如かず!

 そして当然、碓氷峠題材の作品も作れば楽しいのですよ!






 思わず口ずさんでましたね。まさに通りながら!


 です。電化前の苦しさ……。


 えろえろです。でも全年齢推奨ですね?


 釜めしの蓋に乗っけて写真撮るのは「やられた!」です。









 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | 実物鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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