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2021年02月22日

【鉄道作品日本形】 上田交通モハ5250形「丸窓電車」とクハ250形

 ぬぬつき氏作品とほぼ同時発表になってしまいました。


 あぁ、もっと早く晒せばよかった、畜生。
(トレーラーを作ってる間に、先に発表されてしまったのでした)

 
 さてさて。
 上田のモハ5250形は実は姉妹がたくさんいた電車でした。

 日本車両のレディメイドモデルであり、同型車が北陸鉄道、京福福井、福井鉄道、そして高松琴平電鉄にも納入されていたのです。細部の寸法とかは異なっていたのでしょうけども、窓割などは共通です。
(昔のグリーンマックスなら同じ型で済ませてたでしょうね(笑))

 多くが1960年代までに廃車されてしまうか、更新で丸窓失ってしまう中で、1986年まで原型を維持し稼働していたがゆえに、上田の3両が注目されたのです。

 尤も、車両として一番元気だったのは高松で、3000形は2000年過ぎてもほぼ全車が現役でした。今も1両が丸窓復元して「現役」ではあります。


 2019年4月撮影。この頃はまだ長閑なものでありました。


 あぁ、この日々が続いてくれればと思ったのですが……。
 ……琴電3000形。訪問に合わせて制作したものです。




 典型的な、昭和初期電車です。
 丸窓はポチスロはめ込みで表現した由。これ、意外と頑丈です。抜け落ちとかありません。


 要は、上田の5250も同じ流儀でちょいっと作れるというわけなのでした。


 先にぬぬつき氏の作品紹介でも記してますが、濃い蒼と白に近いクリーム、凛とした、よいツートンカラーでしたねぇ。

 全長26ポッチに抑えています。小柄な電車です。
 その中で窓数をいかに省略しないか、中央扉付近でつじつま合わせ。

 ドアは凸表現にせざるを得ませんでした。無理なくPU化したかったですから。がんばりゃ別表現もありえますけども。

 腰板はいつもより1プレート分上げています。窓の小さな感じが出せますから。

 屋根は平凡に45度スロープです。パンタ周りの屋根布の感じは色違いで。


 琴電3000との違いは前面。あちらは貫通型ゆえ前面は平面に割り切ってなんとかなるのですが、上田だと非貫通なのでまっ平らだと違和感が。

 窓柱やシルヘッダ、雨樋は1プレート分はみださせる。
 その上で腰板を1プレート 盛る。これでうまく雰囲気を出せました。こころなしか細面にも見えます。

 これで製作可能な電車のレパートリーが増えた感じですね。
 非貫通で、微妙な丸み(というか後退角)ついたデザインは戦前戦後とも多いですから。

 連結器はトレーラー連結の事も考え、平凡なバッファ付きに。
 でも胴受けはこだわりです。

 アンチクライマーは黒のレールプレート。これも無いと印象変わってしまう部材でしょうか。

 考証としては1960年代のイメージです。会社名が上田丸子電鉄だったころ……ですね。


 サイドビュウ。
 悩みは、動力台車のデカさ。トレインモータによる安定性を捨てて、自作動力に走る手もあるのですが……。

 ところで、隣の流線型は?


 トレーラー。クハ250形は2両おりました。252と253。

 相模鉄道から来た、気動車を制御車改造した車。253は相鉄時代にすでに流線型を失っておりましたが、252は1960年代までは流線型を維持。上田ではただ1両の流線型!

 ただ、1960年代のうちに253と同形状に再改造。そのまま1986年の昇圧・廃車を迎えるのでしたが。(ただし、252・253とも2枚窓の、なかなかスマートな姿でありました。それはそれで悪くないものでありました)

 上田には、この他にも気動車由来の車体を持つ電車や付随車が沢山いたのです。


 前面がたれ下がった流線型気動車は1930年代で結構類形が多いです。元祖はどこかわかりませんが……。北海道から中国四国まで。あと、ノルウェーの気動車や電車にも近い顔のがあります。
 元祖、どこなのでしょうね?

 ただ、あれだけ居たのにこの形態の現存車は京阪の60形(びわこ)のみ。残念。
 1970年代までは気動車のままのもの、電車の制御車になったもの、はたまた炭鉱私鉄の客車になったもの……といろいろ居たのですが。

 レゴ的には、シンプルに無理なくできました。
 腰板部分はカーブスロープ横組。
 前面窓は傾斜のみ。雨樋にブラケット半プレート部使ってるのがポイント。あとは微調整で微妙な流動感を。

 満足できる顔です。
 この顔は大好きなので、江若のキハ(キニ)とか、京阪60形のリメイクとか土佐電のトレーラーとか、雄別の客車とか夢が広がるってものですよ?


 電動車と制御車。
 
 5250形と252は制御器が違い、連結できても制御出来なかった……のは言わないお約束(笑)。上田交通別所線ではモハがサハを曳き、終点で入れ替えする運転も行ってましたので、この組み合わせもモハが前なら問題はなかったのです?


 おまけ。長野電鉄2000系と。
 赤い電車と蒼い電車が鮮烈です。

 残念ながら長野と上田は結構な距離があり、この並びは無理してどっちかの保存車を動かさないと無理ですが(笑)。

 長野電鉄の昭和初期の電車で、上田交通に移籍したのは居りましたね。


 でも、1980年代までの長野の私鉄を代表する顔でありました。

 大幅な路線網の整理は行いましたが、長野電鉄も上田交通(上田電鉄)も盛業中なのは喜ばしい限りです。それぞれのアイデンティティを引き継ぐ車両もありますし。

 
 上田に話を戻せば。
 同じ丸窓電車、もう1形式あったこととか(モハニ4250形 真田傍陽線)、木造省電払下車とか、明かり窓のついた素敵な木造電車(モハ3350形 丸子線)とか妄想は広がりますよ……!

 沿線の情景も素敵なものばかりですし。小型レイアウト、夢見てしまうのでした。
 
posted by 関山 at 23:58| Comment(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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