
青い客車と同じ時代の茶色の客車たちも忘れてはなりません。
軽量客車以前の郵便車は全て茶色のままでしたし、荷物車もパレット用以外は原則茶色のままでありました(例外はあります)。

郵便車。マユ35形
郵便車は郵政省の私有であったため(原則。例外あり)、荷物車よりは新車への置き換えペースは早めであり、シルヘッダーの残る如何にも旧型なタイプは淘汰が早かったのです。マユ35形が1972年迄に引退。しかしなぜかマユ37形は1977年まで残っているのですが。あと、スハ43系列のは1979年まで生き残っていたようです。
マユ35形は1948年に製造されたマユ34戦後型に車掌室を後付け改造したもの。
明かり窓のあるクラシックな郵便車形態に、当時のオハ35同様の折妻形の車端部形状を持っていました。余談ですがマユ34の戦前型は丸屋根で、マユ35以降、スユ41以降は完全切妻です。

何を隠そう、郵便車=郵政省私有車の例外の一つがこのマユ35形で、全室の郵便車としては珍しく国鉄所有でした。おかげで引退後は国鉄財産として救援車に改造され1986年ころまで残存したものもあったのです。
閑話休題。
折妻形状の再現は先に津軽鉄道オハ35で行ったものの援用です。
丸屋根車同様の絞り込みにストレートな屋根載せて、妻の張り出し表現として1x3のタイル乃至プレート貼ってるわけですね。デッキというか妻鋼体端は敢えてポッチ出してリベットの表現に見立ててるわけです。
車体の寸法割はそれなりに苦心。

それにしても美しく、エキゾチックな客車であります。
窓上の明かり窓は仕分け便郵便車のアイデンティティですよね。ここから白熱灯の明かりが見えたらさぞかしロマンチックだと思いますが、残念、仕分け作業には光量大事なので、早期に蛍光灯化されてたそうです。模型に室内灯入れる方は注意ですよ(笑)。
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オハ35。張り上げ屋根雨樋なしタイプ
戦前製のオハ35は様々な試みがなされ、変形車が多いのです。窓の上下の帯(張り出し)を上下とも無くしたもの。上の帯のみを無くしたもの(大井川に1両現存)。そして張り上げ屋根にしたもの、そこにも雨樋の有無がありました。
雨樋なしの張り上げ屋根は、それはスカッとさっぱりしたもの。少数派に終わりましたが、見方によっては流線型の一種だったのかもしれません。
戦争に片足突っ込んでた時代の最後の華やかな存在。オロ40やマニ32にも同形態がおりました。

さて。こんな特殊形態の客車早期に淘汰された或いは更新修繕で通常型に改造されてしまったかと思いきや、1974年地点でも中央線での現存が確認されています。華やかなる、異形?

作り自体は特に凝ったことはしていません。パーツの色差し替えた程度です。ただし、結構な変化球になりますね。作ってよかった。
なお、今回記事の客車は全て台車はTR23ですが、軸箱結ぶ梁と軸箱の表現に「斧」使ってみました。良い感じで軸バネ台車に見えますよ?

そして、オハ35の戦後型。
先のマユ34同様の折妻形ですが、丸屋根車同様の屋根絞りが残るタイプです。
どっちが古いというわけではなく、ほぼ製造時期が並行しているようで……。
こちらは青で作り、鋼板製屋根意識した灰塗りにしてみました。

妻部。この絞り込みのおかげで、一番背が高く見えます。スマートであり。美しい形状。実は戦前の御料車・供奉車の屋根形状で、戦後になって一般客車に下ってきたのです。この形状の客車で有名なのは1等車マイ38形でしたね。
また、現行の1号編成の供奉車もこの屋根形状です。

オハ35の戦後折妻形は2種類あったのですが、どちらも旧型客車末期まで程よく残った感じでした。スハ43よりは設備も劣ると云うか古めのため、急行ではなく普通列車が主な使われ方でありました。
模型的には、大変に便利な車両です。そして形状違いが作り分けしてて凄く楽しい!
ああ、もう2-3両ほど欲しいですね。地方幹線の普通列車が捗りそうですよ?
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車端形状の比較です。左から。
戦後折妻絞り込みなし。キノコ型とも。
戦後折妻絞り込みあり。
丸屋根(ただし張上屋根の変形車)

同じく。角度変えて。
お好みは、どちら?
個人的には戦後折妻絞り込み無し(キノコ形)が一番好きです(笑)。

完全切妻のスハ43も交えて。
なお、最後尾、テールライト回りの標識円盤は1968年ころに国鉄では廃止されたようです。でも、これがないと寂しいのですよね。良いアクセントであったのです。