もちろん、生き残れなかった路線もあり。標準軌に改軌された湯の山線もある一方、松坂周辺の松坂線は1964年に早くも廃止されてしまいました。
松坂鉄道が統合で三重交通になり(北勢線や内部線とともに)、それが近鉄に引き継がれる直前のこと。
そこのプロパー、デ61・62の電気機関車は1923年に製造された10噸電機。貨客ともに活躍した、キャブの大きな愛嬌ある凸電でした。
61は最後まで松坂線で、62は内部・八王子線や北勢線に転じて使われていました。62の廃車時期は不明なのですが、近鉄車籍には入らなかったようなので、三重交通時代のことだったのでしょう。1964年ころか?
こちらに実物写真があります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link243.html

デ61。三重系ナローゲージ……あのへんの動力車の中では一番好きな車です。
なので、レゴでナローゲージ動力の問題が解消したら手掛けてみたくなったの言うまでもありません。
そしてもう一つの欲望が。魔改造ありで、どこまで小さく単体で成立する動力車を作ることができるか……!
無論既存作のコッペル蒸機や酒井ディーゼルのようにモータのみ搭載なら、このサイズの動力車も難しくはありません。
然し、単独で走れる機関車という夢叶えるのに、「ちょうど・ぴったり・ぎりぎり」なのでした。

もったいぶらず、先に中身を見せてしまいましょう。
左から006P電池。Mモータ。必要部分以外切断加工済のPF受光器です。
受光器は横置きにして、受光部を側窓に見立ててます。縦だと5幅に収まりません。

地味に難儀したのは006P電池の格納です。横幅がレゴでいうとこの3ポッチ+1mm程なのです悲しいことに!
ほんの僅か大きいだけで、5幅の車体に収まらない。電池部の側面も特殊なものに相成りました。

足回りはベベルギアによる2軸駆動です。これまで同様の安心のメカ。
台車枠の装飾は凝ってみました。バー使いまくって精密感。

上まわり。サイドビュウ。
5幅の車体。全長は13ポッチです。真ん中のドアははめ込んでるだけで接続されていません。

窄まった足周りこそ、ナローの味。
緑とクリームのツートンカラーは1960-1964年ころの姿のようです。

はい。機器側のサイドビュウです。
窓の見立ては妥協しまくり。でも、こうでもしないと実現しない最小動力車。

でも違和感はないぞと、造った本人は思っちゃいるのですけども(笑)。
2019年11月の制作ですが、幸いにも動力系に不調なく元気な機関車です。

そして、こんな列車を曳かせてる訳です。
時代考証は……1960-64年頃でありましょうね。
近鉄名古屋線の急行電車は伊勢電・関西急行・近鉄・吉野のごちゃまぜ編成。
特急は10100系新ビスがトップスターであったころ。国鉄線はかろうじてあの辺にC51が残りつつも主力はC57。そしてディーゼルカーたち……そんな時代です。
さて。お供の不揃いな客車に付いては、次回記事にさせてください。
電池を別にすれば、銚子電鉄のデキも作れそうなコンパクトさ羨ましいb
これはなんだかんだで自信作ですし、一番トラブルのないナロー動力車でもあったりします。仰るとおり銚子デキ3も自走は夢じゃないかもしれません。