カネモリトレインフェスティバル2 旅立ちおよび設営篇(2019 9月13日)
http://legotrain.seesaa.net/article/470079729.html
9月14-16日 カネモリトレインフェスティバル2 レポート1日目
http://legotrain.seesaa.net/article/471647960.html
函館市電貸切での楽しい宴会を経ての、二日目突入です。
しかしたっぷり休んで、朝から余裕持って運営することが出来ました。

しかし、登場するのは札幌市電の方です(スマヌ)。
拙作のMc101+Tc1編成。

ガード下が似合う! 連結車A870形編成。背景の町並みも良い感じです。

続行運転。
もい様の木造3階建て。魅力的な建物です。

本線の主力はIL様のご地元特急車両。キハ183系の混色編成です。
青函連絡船をバックに。
キハ183系はスラントは勿論、500番台以降にしてもデビウ当時は連絡船時代だったのは今思うと奇異な感じがしますが、それだけ昔の車両ということなのでしょう。

キハ40と。これは未だ多数健在。
そして高架抜けてくキハ82。

手前側からの全景こんな感じ。
お客様の第一印象もこのアングルになリます。
もい様とMugen様の建物で東京下町感を演出。
そしてもい様の寛永寺五重塔は、今回で一番高いシンボリックリンクなものとなりました。
右手の青函連絡船(初代「摩周丸」)は当初予定になかったのですが、輸送の余裕ありましたので付け加えたものです。変化生まれてよかった!

構内留置のキハ283系と、高架往くキハ82。
時代が離れてるので直接並んだことはないにしても、道内特急新旧対比ですね。

五重塔と。交直両用電気機関車に特急気動車。モノレール。
昔の絵本的なアングル狙ってみました。


JAMでは同じくもい様の国立博物館本館、また東京タワーというより目立つ建物がありましけども、函館では会場で目立つ建物として君臨した五重塔でした。
お借りできてよかったです。
また、組み立て整備の鱒寿司様に再度感謝を。

青函連絡船。摩周丸(初代。1947-1964)。
建造された浦賀の地から、また函館にやってきました。
浦賀で建造されて時折回航されたのは、浦賀船渠生まれの実物も、そして拙作も同じくなのです。浦賀生まれの青函連絡船は他に「津軽丸」(1964-1982)がありますよね。いつかは……!

裏手のロングストレート。これが高架上です。

283系爆走。

283系と82系。

そして、函館市電の連接車。
北海道新幹線開業の頃纏っていた、北海道新幹線ラッピング広告車を再現したものです。凄く似合っていたので、また復活してほしいものです。「スポンサー」に余裕がないのが残念ではありますけども。

このくらいのカーブであれば、IL様の作品も違和感なく見栄えがしますよね。
283系の新塗装も悪く有りません。
(雪の中で目立たないって声もあるようですが)

蒸機もお出ましです。
鱒寿司様の8620。実物もレゴもお馴染みの題材です。

待機する183系500番台。
平面的な貫通型は、やはり82系の後継車としてのアイデンティティを感じたものでした。
IL様作品、サイドの丸み表現が美しいのが分かります。前面も横組を3+1で入れる辺りの凝りよう。

上野モノレールの、絵本的アングル。
動物園の上、ぶらりぶらり。ゆらりゆらり。

道内車両の再集合です。

ラージスケールと、ローアングルの相性の良さ。

白鳥とはやぶさと、おおぞら。
82系は全盛期の3+7+4の14連イメージして、鱒寿司様+関山の2+4+2の編成組ませた由です。運転台が中間に入るのが萌えですよ。


市電の走る町並み。癒やし。

一番人気の新幹線。現役の華ということもありますけども、しかしMugen様作品のこり方こだわり方も評価されたのだと思います。

8620の牽く普通列車……はよく見ると混合列車です。

甍の海を泳ぐかのように。
立体的情景は、ローアングルから見てくださる若いお客様たち(目線の低いお子さんたち)に伝わってくれたと信じたいです。
(だっこされてたら大人と同じビューポイントでありますが)

市電と特急。緑も鮮やか。

裏手のスタッフエリアより。
わかりにくいですが、4列車が1フレームに収まってます。
あの賑やかさ。4列車運行と市電とモノレールですからね。

ついに抑えました
実物ではありえなかった、北海道新幹線と、北海道新幹線PR塗装時代のらっくる号。余談ですが北海道新幹線カラーのタクシーは健在で、金森赤レンガ倉庫前でも客待ち見かけましたね。今度作ってみたい感じですよ。車種プリウスだったかしら……?


スタッフエリアから。高架を行き交う新幹線とディーゼル特急。

この辺のアングルはやや北海道らしく?
(ただ、複線同士の立体交差ってあったかしら?)

8620。今度は貨物列車牽いて。古典黒貨車が似合いますよね。

スタッフエリアの立体交差です。

そして遂にキハ81も解禁、82系の先頭車と差し替え「はつかり」を気取る。

1960年登場の日本初のディーゼル特急は東京〜青森間を結び、北海道連絡の役割も担ったのです。

すれ違う、「はやぶさ」は遥かな後輩……ってことになりますね。

北海道連絡特急、連絡船を横目に。
キハ81の時代は、未だ洞爺丸型の摩周丸初代等の蒸気タービン船も健在で有りました。津軽丸型のディーゼル船が主力になるのはもう少しあと、1964年以降の事です。
ファンネルマークも「工」(工部省)から、「JNR」へ。

キハ81系は後にキハ82系と各部共通化されて、東北からの転出後は混用されることも多かったようです。それこそ「くろしお」辺りで。
<長くなりましたので、一度記事を切ります。2日目下へ続きます。>