多数が製造され、そして稚内から鹿児島、また外地では台湾で活躍した機関車です。蒸機末期まで残りましたし。1975年の、最後の蒸機旅客列車(室蘭本線)もC57の牽引でした。
動態保存機も2両もあります。それぞれJR西・JR東の看板役とも言えるでしょう。

ゆゆ様も造って来られました。
手持ち部品の中で無理せず、形にされたのが分かります。而して、特徴を抑えているのでC57に見えるのですね。細めの缶胴であり、相対的に大きく見えるキャブであり。
(スポーク動輪ゆえ、C55に見えなくもないですが。これはどのレベルの作品であっても逃れられない問題でしょう。3Dプリントのボックス動輪使えるなら事情も変わってきますが)
スノウプラウ付の連結器も北にいたこの機関車には似合ってます。
メインロッドはbikkubo式簡易可動。動力系はテンダドライブの様です。走行性能重視でありましょう。
やや惜しいのはフロントエプロンや先台車周りでしょうか。先台車の上のプレートを6x4から6x2にして、ランボードのつながり自然なものにしたらかなり化けてくると思うのです。
昨今の水準から言えばやや荒削りなところは残りますが、蒸機は難しくないってこと、教えてくれる作品です。まず、形にされることが大事でありますから。ディテールなどはあとから考えればよいのですよ。

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嘗ての交通博物館での展示を思わせる、9850マレーとの並びですね。赤いカーペットの見学通路も懐かしく思えます。

この並び。印象的です。
ボルジッヒのマレー 9850形の方、初出時に比べてかなり細かく改善されているのも分かりましょう。
両機とも、活躍がまたれるところです。

さて交通博物館と言うと。初代1号御料車と、初代2号御料車が保存されておりました。
九州鉄道引継、ドイツ製の初代2号。
オープンデッキの華やかな車であり、何処と無く御伽の国の王様の車……という感じがします。いや、ドイツにもそうした列車ありましたよね(例えばルードヴィッヒ皇帝のお召し列車とか)。
曲面ガラスの妻窓や、両開きの扉など特徴掴んだ作品です。

サイドビュウ。2軸車として、バランス取れた形状、サイズです。
床下の補強バーがシンプルながら効果的。

牽引するのは同じく交通博物館の同志。9850形。
この組み合わせはなかったはずですが(ただ、何故か似合うのですよね!)、東海道を往く「お召」にもマレーの補機はついていたはずです。
2号御料車に似合いそうなのは、九州鉄道でも小さなクラウス達?
このあたりどんな運用されたかは存じませんが。流石に鉄道国有化のころには、こんな2軸車をお召に使うのはあり得なかったでしょう。
(かの「或る列車」の特別車(展望車形状)は、案外2号御料車の後継になったのかもしれません)
閑話休題。御料車の作品はこれが初めてかもしれません(貴賓車クロ157の作品はBUCHI氏にありましたが。あと三木氏の外国貴賓用の10号及び11号)。
取り扱いにくい題材ではありますけども、題材としては魅力的です。令和元年を祝ってみては如何でしょうか……?