上野駅を作る。ホーム部分は鱒寿司氏の担当です。
駅本屋は関山担当。タン色の四角いビルです 余裕と!
駅構内の屋根で覆われている部分はオープンにしちゃってそこはミニフィグを並べた楽しそうなシーンにしましょうということになりました。
そう、ちょうど下の絵がイメージにあったのですよ! 脳裏に焼き付くレベルで。

画像は拾い物で恐縮ですが「やこうれっしゃ」(西村繁男 1980)より。
あの傑作絵本(今も入手できます!)の冒頭のページでありますね。
そこで問題になるのが中央改札上の壁画「自由」です。

(wikipediaより。現代の姿)
猪熊弦一郎画伯によるもので1951年に設置。なにやらものすごく昔からあったのですね。1951年といえばまだ上野駅に蒸気機関車が当たり前のように入ってた時代です。
……というか、地平ホームはすべて非電化でしょうね。東北線も高崎線もまだ電化されてなかったはずですから。高架ホームの国電位が電車でしょう。煙に燻されてた筈?
そして東北筋がどんどん栄えて発達していった時代。地平ホームの主要幹線が電化で揃った1960年代初頭。
1970年代、列車本数が限界まで膨れ上がった全盛期! 「やこうれっしゃ」の時代はまさにこれ。或いは「でんしゃははしる」か。
1982年の東北上越新幹線開業。これは大きな転機であり、以後長距離列車は減ってゆきますが、まだまだターミナルの趣残してた時代が続いたのでした。
流石に今の上野も通勤電車の駅になってしまいましたが。
しかし、多くの利用者のある賑やかな駅を見下ろしてることにかわりありません。
これ、打ち合わせの段階では
「流石にモザイクなどでの表現は諦めよう」
って話になったのです。その種が得意なメンバーもおりませんでしたし。無論私もモザイクは未経験ですし。
しかし、先の絵本の冒頭が脳内に焼き付いてる私としては
「やれるだけやってみよう」と。やっと上野駅本屋の工事があらかた終わったJAMの3日前に手掛けたのでした。

図面なんて引かない私ですが、流石にエクセル方眼紙でさらっと設計です。
左右は大幅にカットさせていただきました。

ミディアムブルーのプレートは手持ち総動員で、なんとか出来上がったのがこちら。
制作時間はちょっと申せません。真面目に造ってる方と言うか元絵に失礼ですから。しかし時間と気力がどんどん無くなってく中で勢いで仕上げた最適解……。
犬とか馬とか牛とか女性とか人魚? とか、かろうじて判別できるでしょうか?
いや「上野駅の中央改札の上にある絵だ!」と分かってもらえればよいのです。
猪熊弦一郎画伯作のモザイク化ではなくて、あくまで上野駅の一部のキリトリなのですから!
アートじゃなくて鉄道模型なのですよ自分が作りたいのは。
それでも、こうした表現の勉強にはなりました。
正直、象徴化の過程は凄く楽しかった! この1プレート分が犬のお腹とか、この1プレートが女性の髪とか考えるのは楽しくないわけがないです(笑)。
造って楽しかった。これで良いんでしょう。

こちらは8月14日の設営時の様子です。鱒寿司氏の駅施設にマッチング。

そして、8月17日の「本番」より。
位置関係は大幅にディフォルメしちゃってるんですが、あの冒頭の西村繁男氏の雰囲気を求めること、叶いましたよ!