かなり制作過程での画像も上がってますが、なるべく最近のものから見てまいりましょう。

C51形は1920年に製造の急行旅客列車用の機関車。無論、当時最大最速の機関車であり、特急牽引機でもありました。1920年というと客車はすべて木造車の時代ですが。
その後、C53が特急用の本命になりましたが、然し列車によってはC51がまだ一線級で活躍し、戦前の良き時代を過ごします。
流石にC59が登場すると二線級に降りてゆきますが、ちょうどC55やC57が類似するクラスとなり、うまく共存しておりました。
戦後ともなると段々と引退してゆきます。DF50などが新造されるとC57が捻出されて押し出される感じでの引退でした。全機の退役は1965年。早いような気もしますが、大正生まれの機関車としては妥当でしょうか。
静態保存機は4両残されています。
スタイルは、今の目で見ると近代化され尽くされていないところが目立ちます。8620あたりを大型化した感じでもありましょうか? 近代性の強いC57それも4次形と並べるとより古典的に見えるのでした。無論、その古さと典雅な印象こそが魅力なのです。形状的にもC55やC57ほど線も細く見えないため、バランスも良いのですね(ついでに言えばC54はやや畸形的な印象は否めないです。カッコいいけど!)。
さて、hiro様の作品。
8幅ゆえのバランスの良さと精細感。巧いまとまりです。

サイドビュウ。
ランボードの白線もベクトルを何度も変え破綻なく。
動輪は純正品なのですが、然し、小さくも見えません。動輪上のディテール空気関係がうまく処理されておりますね。
8幅の大型モデルですが、間延びした感じが皆無なのも印象的です。
今回記事書くまで、7幅だったかな? と思い込んでたほど。それほどに引き締まり、狭軌の蒸機らしさに繋がってるのですね。

煙突周り。給水暖め機やパイピングが凄く細かい。
缶胴はポチスロやカーブスロープの組み合わせです。
ドームは普通のΦ2ではあまりに小さすぎるため、タイルと丸タイルでの構成ですが、サイズが適切ゆえ、角ばってるのはデメリットに見えません。

列車牽いて。鋼製の2等寝台車と1等寝台車。
木造客車の時代の機関車なのですが、鋼製初期の客車ももちろん似合うのです。
余談ついで。末期は軽量客車だって牽いてたはずです。

上から。この地点では白線なしですね。何度か仕様を製作中に変えておられた模様です。
キャブはやや大きめのアレンジですが、この時代の機関車らしい優雅さに繋がっておりましょう。タイルの庇が良い感じです。
それにしても8幅の狭軌感。このアングルだと強調されますね。

これは展示台上の姿。やはりラインなし。これはこれで良いものです。基本造形が白ラインでごまかしたものではないのが分かります(装飾などで誤魔化すのも腕のウチですが、頼らないに越したことはなく)。
展示台ですが、展示台にモーター内蔵。静止展示でもロッドの動きを楽しめるというものです。
なお、機関車自体には動力は内蔵ではないそうで、客車の後押しでの走行です。

展示台上。
8幅フルなのですけど、全長がレール4本に満たないのです。先に申した、「間延び感が皆無」な理由でもありましょう。
なお、蒸機はどうしても大きくなってしまい、例えば関山拙作の6幅機だって全長はレール3本分が基準です。スケールの差異を加味したら4本未満はギリギリの寸法なのですね。

ディテール反対側。パイピングが効いています。
旧パンタヒンジアームのこんな使い方ありましたとは。

限定仕様? な門デフ機。C51の門デフ機は無論戦後の改造で、12両に達しました。
とても軽快な印象になり、標準デフ機とは違う良さになりますね。個人的には門デフ機の方が好きです。ただし、戦前の客車が合わせられなくなりますが。


門デフ仕様のサイドビュウ。

前から。デフレクタは気軽に?交換できますから、戦後設定を強調する時に使える手法かも知れませんね。

煙室扉は開閉ギミックがあります。
ヒンジを二段に使ってる由。


内部構造ですね。缶胴の作りも分かりましょう。

試運転画像のようです。
一度、記事切ります。続編お楽しみに。