カネモリトレインフェスティバル 1日目速報版【写真38枚・解説追記】
http://legotrain.seesaa.net/article/461699559.html
カネモリトレインフェスティバル 2日目速報版【写真55枚・解説有】
http://legotrain.seesaa.net/article/461770071.html
続いて3日目。9月17日 月曜日の模様です。
意外と撮れ高が少なかったので(申し訳ない……)暫定ではなくて本レポです。
展示は複数日行うと、どうしてもメンテが必要になってきてあれこれ忙しい。
人員も、疲弊してきます。自分の写真もミスが多いのですね。
会場が暗めで露出が苦しいのはありますが。撮影効率上げる為には何らかの写真用外部ライティング、今後検討の必要ありそうです。
それでも最後まで頑張ったのでした。
ともあれ、今回の催しを全力で支えてくださった金森商船の皆様、どうもありがとうございました。
多大なご支援、ご理解に感謝申し上げます。
そして、ご来場くださったお客様の皆様。ありがとうございました。
またお会いできること、楽しみにしております。次あれば、もっと充実させますよ。


最初は昨日に引き続き、EH800の「はまなす」から。いきなりマヤなすです。

見えにくいですが、マヤなすがDD51の普通列車(荷物列車)とすれ違ってます。

藤田氏のGP38は構内入換には使えること判明。活躍していただきました。
フェリー積込入換用には意外とアメロコ似合うのですね。
日本にもアメリカンロードスイッチャーが入ってたらという妄想は好きだったりします(台湾サイズなら大丈夫なんですよね。国産液体式にあそこまで意固地にならなければなぁ)


件の、国産液体式との出会い。
ディーゼル機関車としての思想がまるで違うのですよね。
真面目に、DD51対抗馬としてEMDが本気で売り込みかけたDF52(仮称)をレゴで考えてみましょうか。台湾のR100系の国鉄塗装みたいな感じで(笑)。


キハ82の8連。鱒寿司氏車を先頭に。
道内では基本編成の前後に増結した編成で、最大14両があったとか。
関山も鱒寿司氏も増備予定なので、何時か14連できるねって話題になってますよ。

先代函館駅とはすごく調和します。
この駅に数本の長大編成が待機して、連絡船を待ち受けていたのです。
1980年代半ばまでは。

このアングルはフィクションですが(笑)。

ユウユウ氏の 札幌市電散水車。
函館には散水車は居なかったですね。排雪車はおりましたけども。
それはともかく、この汽船を背景にしたアングル。思わずアメリカンなトロリーラインを合わせたい誘惑に駆られます。
或いは、マーチャントネイビー+ブリティッシュプルマン辺りを置くとドーバーな趣か。HSTなどもあり?
意外と「連絡船」の可能性は大きいのですね。

桟橋建屋の立派なこと。FBI氏の本気ですね。毎回お世話になっています。
また活躍させられる機会ありますように。

この日の摩周丸は接岸シーンの再現を行いました。もうちょっとで、繋がる、という情景です。

別アングルより。見れば見るほどに作り込み。
作業してるミニフィグの雰囲気もばっちり(服装とかの時代考証はご容赦を)。

連絡船回り。全景。
てりやき氏の倉庫も含めて、最高の情景を造っておりました。


山上線。C12(yamatai氏)とC11(隼氏)の重連。

このアングル好きです。
「山」は今後定番化できそうですね。楕円の板の上にフェルト掛けて、デュプロの脚で持ち上げただけのものですけども。あとはデュプロと2x2x3ブロックの書き割り(笑)。
なお、R24カーブ使えばこの上に複線で街っぽい情景もできるかも。


C11 隼氏作。動力なしのダミーで、外見優先です。
C11は自走か否かの境目でありましょうね。公的展示だとトラブルフリーが一番という思想もありますし、技術的チャレンジも大事という思想もあります。どちらも大事。

こちらは、てりやき氏のC11。PF自作動力です。
こまめな動力系の改良を重ね、かなり経験を積まれてるのではないでしょうか。この種は経験値大事です。

山上線にも気動車の時代。
隼氏の初代キハ40。スイッチバック駅?でキハ42000とすれ違い。
紅葉の葉がすごく雰囲気を出してることに気がつく。


定山渓鉄道キハ7000も併結です。キワモノ同士の組み合わせ。
ピカピカの新車キハ7000が短命に終わり、木造客車の台枠にルーツを持つキハ40(キハ08)が実にしぶとく残ったのは運命の悪戯ですが。京都丹後に会いに行きたいもんです。

この雰囲気、ジオラマとして悪くない! ですよね?
この面積なら地面のバラスト処理も現実的ですから、一度頑張ってみようかしら。

青函連絡船入換専用だったFBI氏の9600。本線での運用です。無論、石炭車を曳いて。

拙作の9046も本線で運炭列車牽引。ただ、大型レイアウトにはやや苦しい。
ローカル線が似合う機関車ですね。

クリスタルエクスプレス。街並みの美味しいところをバックに。

FBI氏のボールドウィンCタンク(明治村9号)が入換。
しかし、見れば見るほどにこの可動橋は素晴らしい……。
このインフラがあるのですから、みんな青函連絡船を作りましょう!(無理を言ってみる)
あと、記念船の八甲田丸さんか摩周丸さん。
設備まるごとで、展示させてくださりませんか(半マジ)。
特に、青森風レイアウトもいつか行ってみたいですね。

現在の青函連絡の主役。H5系新幹線と、EH800形電気機関車。
翠と紅の対比が堪りませんよね。

ユウユウ氏のDE10も入換ばかりではなく本線運用も。
14系を曳かせて、最も華やかだった運用の急行「天北」気取ります。1985-1989の4年間でしたけども、昼行客車急行の復活に皆が驚いたものです。乗りたかったなぁ……。

1日目に続き、ご地元のよこち氏のEH500 3次形が登板です。


JR貨物現行機種の並びです。
左からEH500(よこち氏)、DF200(隼氏)、EH800(SUU氏)。
作風が三者三様になりますね。どれも大好きです。

貨物用の機関車って、見上げると迫力あるんですよね……!
ウチのEH500 901もリメイクしたくなってきました。

終了間際となり、お客様も減ってきましたので並び撮影の機会です。
小型機古典機並びから。
左から。隼氏のクラウス17。拙作の9040形(雄別鉄道9046)。FBI氏のボールドウィン(明治村9号)、右端が拙作160形(明治村12号)。

別アングル。独・米・米・英 の並びですね。見事に舶来機ばかり。
古典機が此処まで揃う時代、いい時代です。

裏から。拙作4110。Eタンクは存在感ありますよね。

そして本番。
大型蒸機の並び撮影です。
線路配置も少し変更。コーディネイトyamatai氏。背景に赤レンガ倉庫と連絡船の煙突という好ましさ。
左から、隼氏C57。拙作C55。FBI氏9600。yamatai氏C62 3。隼氏C62 2。

当然ながら、作風に個性が出ます。
こうしてみるとウチの子(C55)はちょっと小柄ですかね。

横から。隼氏機はエンジンドライブでもテンダドライブでもなく、未動力の割り切りがあり、それ故の理想的なフォルムです。テンダドライブは炭水車にどうしても違和感が生まれますからね……。
yamatai機のデフレクタに注目。曲面が美しい。この手がありましたよは。
ウチのC55は線の細さにこだわってます。美形解釈(笑)。

背後にたるご氏の789系「白鳥」も加えて。
列車の進化史的な並びも何時か行ってみたいですね。北海道なら7100形から始まってC62が折返しくらい。789系の隣にはH5が来るような。


今度は中堅タンク機並びです。
左から てりやき氏C11。隼氏 C11。yamatai氏 C12。
こうして並べると、C12の自走が軽く信じがたいです。小さいのに。

C11同士です。
左がてりやき氏。右が隼氏。

いよいよフィナーレ。最後の1時間となりました。
メインは「はまなす」のフル編成です。

函館には1988年から2016年まで。実に28年も縁のあった列車でした。深夜の方向転換を覚えている方も多いでしょう。
この運行中に函館駅も大きく変わっていったのも感慨深いですね。
ところで、山上線の気動車も良い背景に。

山上線はディーゼル急行の出番です。
ミニマムな小型レイアウトですが、気動車4連くらいなら余裕ですよ!


本線のもう片方は、C62重連「ニセコ」。一番、華のあるところです。
またyamatai氏の客車も今回は大任果たされてました。取扱便車と護送便車で郵便車が2両続くのは迫力あります。

「はまなす」と函館市電。

「はまなす」別アングルです。軌道試験車+B寝台x2+座席x5。ほぼフル編成!
マヤ34の併結は月に一度で、廃止寸前まで続いておりましたね。

客車列車同士の出会い。

連絡船設備と「はまなす」。
青函トンネル開通で生まれたのが青森〜札幌の夜行急行「はまなす」でしたから、この並びはやや皮肉ではあります。
ただ、連絡船夜行便の代替として大きな役割は果たしたと言えます。28年という運行期間は、汽船なら一度代替されてる期間でしょうね(青函連絡船の寿命は概ね20年です)。。


ラストチェンジ。
「はまなす」の牽引機をED79に代えて。

小柄ながら力強い、青函用の機関車でした。
1987年の函館来訪時、五稜郭の構内にずらっと並んだピカピカのED79を眺めた記憶が蘇ります。多くは北海道新幹線開業までも生き延びることは無かったのですけども。
(貨物用としては、ED79重連をEH500で置換えてしまいましたから。末期のED79はもっぱら旅客列車用でしたね)

「はまなす」と「ニセコ」の出会い。
実は時代は結構違うのですが、違和感の無い出会いです。

ラストを俯瞰します。3日間の思い出深いレイアウトでした。
お客様の心の中にも残り。
そして、函館や青森から新たにトレインビルダーの方が生まれ出ること、期待しているのです。一緒に、がんばりましょう! 愉しみましょう。

車両の減った駅構内も、リアルではありますがやや寂しい。


山上線も一時のお別れです。でも、次の演出も楽しみだったりします。
先にも記しましたが、意外と広い、使える! ですから。

山上エリアに置かせてもらった、藤田氏の小民家。トタン屋根にストーブの煙突。まさしく昔の北海道の民家ですね。
(もっと時代が下ると防風室が付いたりしますが)
この場所にあると、鉄道職員の社宅的雰囲気? ホンダのNコロは時代も合いますが、360ccのFF軽は冬期は苦しいかも知れません?


高低差と見下ろし全景は2017年の富山で気がついたアングルです。以後多用してますけど可能性を拓いた感。理想はレゴで作った山ですが、現実としてできる範囲では……ですね。無論、理想は追い求めるべきでありましょう……!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
18時まで運行し、即、撤収開始。
最初の30分にかなりペースを上げ、無事、当日22時に終了です。
撤収は個人的には好きな作業です。
(頭を休められる)単純作業がほとんどなのもありますけど、新しい次の機会へのチャージでもありますからね。
その夜は最後まで函館に残ったyamatai氏と祝杯あげました。
早く帰った てりやき氏・FBI氏は未だ東京に着かず、隼氏はまだ運転中、ユウユウ氏は船の中でしたけど(笑)。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
これにて、3日間のレポート終わりです。
1日目・2日目は「補遺編」を出します。またツイートまとめや動画まとめも予定しております(動画はそれなりに撮りました)。
あと、往復の旅行記的まとめも残ってます。いろいろ楽しく「美味しかった」ですからね。
最後になりますが、改めて、関係各位とお客様、協力してくださった皆様に感謝を申し上げます。
またの機会、楽しみにしております。