でも、JAMに向けての宿題が終わった感じ。夏休みの宿題なら8月30日に終わった感じ……。
さて。
函館駅舎というと長く親しまれたのが4代目。1942年築で、2002年まで使われておりました。三角屋根が目立つ木造2階建て。
今の5代目になってからもう16年も経つのですが、然し先代駅舎のイメージは根強いのですね。そして背後に連絡船!

幸いにも「それほど大きくない」駅舎ですので、現実的なサイズに収まります。それでも、実物よりも窓数など間引いてアレンジ多々入れてます。建築模型ではなくて鉄道模型のストラクチャの文脈なのは言うまでもなく。
時代考証は1970年代前半。なんか……あの時代の日本と国鉄が一番好きなのかも知れません。貧しさ克服して誰もが急行・特急・寝台を利用できるようになった時代なのですよね。
雑談はともかく、1950年代の姿だと些かシンプルに過ぎますし、1990年代以降だと大きな看板が増設されたりして大きく姿を損ねてるのです。アルミサッシも下品ですし。なので適度に原型を残してる、1970年代というのは落とし所です。

真正面より。
見ての通り、左右の翼部と真ん中で三分割です
1970年代の姿だと、前面に増築部分があるんですよね。そこが左右非対称のアクセントに。
インテリアなしのドンガラですが、カーテンは上手くごまかせます。ここは商業施設だったはず……。

手抜きな建物ですが、屋根の縁の処理とか、トタン(スレート?)らしい屋根表現とか、窓の縁の処理とかでハッタリ効かせてます(笑)。

特に真正面の大窓、写真に寄ってはウインドシル・ウインドヘッダーがくっきり目立つのですね。ここは強調して表現です。
この種の建物、実物よりも彫りを深く、美形化するアレンジが好みです。
(宝塚ホテルのときも同じことやってます)

裏側(ホーム側)。
資料なんぞ無いので、適当にでっち上げました(おい)。というか、手持ち資材の出来る範囲での適当です。普通の駅らしく?
つまり、函館駅というよりは汎用の駅舎(地方の県庁所在地駅クラス)として使うことも少し考えてますよ。
如何にもな、国鉄な雰囲気はあるはずですから。
製作中のBGMは当然「ハイケンスのセレナーデ」でした。
さて。JAMではこの背後に沢山の側線と道内の列車が。
そして実物と同じ位置関係には、連絡船の接岸設備が。
そして、青函連絡船が二艘。ご期待下さい。