前回記事
http://legotrain.seesaa.net/article/460685689.html
いろいろ拾った情報と今回の実時刻ですと。列車運行はこんな感じらしい。
宮浦 810頃 → 仮屋川 815頃 45噸+貨車
仮屋川 820頃 → 宮浦 825頃 45噸 単機回送
宮浦 915頃 → 仮屋川 920頃 45噸 単機回送
仮屋川 922頃 → 宮浦 930頃 45噸+貨車
宮浦 935頃 → 化学工場内? 20噸+電源車+貨車
化学工場内? → 宮浦 948頃 20噸+電源車
※この便を、宮浦構内のコキ200形がなくなるまで繰り返す。10時半頃まで5-6往復くらい? 1回1両だけです。
仮屋川では5分ほどで折り返していることになります。見てないのでどんな作業手順かわかりませんがかなりシンプルかつスピーディなのでしょうね。
基本は午前中で完結するようですが、午後にも化学工場内〜宮浦構内の便はあるようです。工場内から貨車を宮浦のヤードに送り出すのでしょう。それを翌朝に仮屋川→JR線に送り出すってパターンか
あと、土休日も各種連休も運転。
(但し稀にメンテの全面運休あり?)
機関車は45噸は同型の18と19が現役。
20噸は9と12が現役。電源車はデ1とデ4が現役。
つまりそれぞれに予備機1両づつの体制みたいですね。

さて。
1997年まで運行されていたという三池港方面の線路あと。鹿児島本線をオーバークロスするものです。
廃止。それほど昔ではないのですね。それゆえ、築堤などはっきり残っています。
ここで撮りたかった(笑)。
1970年代前半の廃止なら過去のものと割り切れますがねぇ。


同じく。
ここでの廃線跡巡りはなかなかの沼になることでしょうね。

そんなうちに、旭町第一踏切に到着。
なお、道に迷ってる間に、先の列車の折返し単機回送を撮りそびれてしまいました。
ここに早く付けば、もう1便稼げるはずです。
この踏切、いまや貴重品のワイヤー昇降式です!
無論、踏切番がいて人的操作を行ってます。
こんなところ、日本で唯一かも知れません。

しかも有り難いことに、適当な撮影地として歩道橋があります。

宮浦から仮屋川への単機回送。貨車を取りに行く。9時15分ころです。
光線こそやや逆光ですけど、古典踏切と古典凸電機の組み合わせベストで狙えるなら不満なんぞありません。

入換の作業員も必要なのでしょう。2人乗務です。

さて。920頃。仮屋川から宮浦に貨車牽いて列車が戻ってきました。
長い踏切で適度なカーブも掛かってます。ただ、意外と引きが取れません。編成全部を収めるのはやや困難かも。でも、手軽に狙えます。

サイドビュウ。

撮り終わったら大急ぎで宮浦に戻ります。
すでに、宮浦から化学工場への移動が始まっていました。ここは20噸機の出番です。

電源車デ1形。4両居たのか? 現在はデ1とデ4のみ。
電気機関車に外部電源車付けて蓄電池機関車などに兼用できるようにというアイディア車両ですが、他の事業者では聞いたこともない車種です。
知る限り50年以上前から使われてるはずです。
あと50年ほど前はリール台車「リル1」形も居たらしい。
こちらは有線で電気機関車をコンセントロコとして使えると言うものだったそうです。

最大のお目当て。20噸電車(機関車)。
この日の稼働は「9」ですが、「12」の写真観る限り同型の模様。この番号が残ったのはデ1形への連結対応がされていたからと思われます。
それはそうと、B凸電数あった中でも、もっとも均整の取れたスタイルでしょう。

キャブ内。機器類は或る程度近代化されている印象を受けました。

サイドビュウ。どうやら給電ケーブルは解放テコ下にある模様。

機関車+電源車。

化学工場へは、貨車(コキ200)を必ず1両づつで持っていく模様です。
つまり撮影チャンスがそれだけ増えると。
あと、この写真で、列車の上に架線が無いのもわかりますね。
ここの入換、電源車の必然があるのです。
(いや、冷静に考えたら普通のディーゼル機関車、はたまた日本輸送機辺りの新型バッテリー機関車に置き換えても良さげなのですけども。でも残すなりの理由はあるのでしょう。)


9号機が戻ってくるのを待つ。

9号機が宮浦に戻ってきました。約10分ほどで工場内で折り返し。
作業員は連結作業用でしょうね。

貨車に近づいていきます。


再び、貨車を引き出し。


化学工場をバックに。


また、宮浦に戻ってくる。橋梁と程よいカーブ。
背景には年季の入った工場建屋。

真四角なビルも工場建屋の一つだそうです。
モダニズム初期の貴重なものだとか?

作業、更に続きます。
撮影も、遂に「お目当て」行けるんじゃないかと気が付きました。
ここなら、多分、大丈夫と。
<続>
◆写真1〜3枚目の築堤や跨線橋は、先ほどコメントした「三池浜線」です。三池港が出来る大昔は、陸上で掘った石炭は三池浜港から石炭を輸出していました。しかし三池浜港は干満の差が激しい有明海特有の自然現象と浅海の悪条件で大型船が入港できず近代化が図れないので、三池港の建設が急がれました。三池浜線は大牟田旧市街を東西に隔てる築堤が現在も残っています。無用の長物で世界遺産対象外なのでいずれ道路拡張で壊されるかもしれません。
今までにいろいろな大牟田の地元・縁のある鉄と出会いましたが、三池浜線を走っている貨物列車の撮影をしていた方には会えませんでした。末期は不定期運転だったようで、地元人ほど見慣れたいつも走っているものほど記録しないものです。私はそんないつ消えてもおかしくない炭鉱電車達を余所者の視点で撮り続けこういう記録が残ったのです。
◆仮屋川操車場での折り返しが早い件ですが、結構テキパキと折り返し準備をします。たまに何やっているのか分からないほど折り返しが遅い時もあります。
朝8時過ぎに仮屋川操車場周囲で待っていると返空貨車を連れてきた炭鉱電車が宮浦に戻るために、広い操車場内を走って機回しします。
2年ほど昔は宮浦発が8:20頃が多く、単機回送の仮屋川操車場発が8:30頃だと線路が5本並ぶ区間では西鉄大牟田行き特急と4093レ鹿児島行き貨物と同一方向への3並走も狙える面白いチャンスがありました。現在はいつ行っても宮浦発が8:15前になっており3並びは実現しません。
ご返事が今回も遅れて申し訳ございません。
三池浜線の詳細ありがとうございます。
余裕あれば廃線跡歩きも、纏まった跡のあるうちに楽しんでみたいですね。夏はちょっと無理ですけども。築堤は魅力的でした。
西鉄電車と、三池炭鉱の列車が並ぶシーンがありえるのですね。流石に撮影は諦めですが、模型(レゴ)では楽しんでみたいとか思ってます。西鉄は1300系特急を以前制作しておりますので。