私的備忘録です。
支離滅裂な思考・発言というか鉄道趣味誌に燦然と輝く支離滅裂な表紙 pic.twitter.com/M9ON2HmdpZ
— anotherunity (@anotherunity) 2018年7月11日
rt:あの号は叩かれがちだけど正直1975-1983年頃の鉄道ピクトリアル殆どが面白く無いんだよなぁ マジで低迷期?(それ以前は面白いよ!)
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
でも1984年に表紙デザイン変わってから凄く垢抜けてきた。その流れと勢いは今も維持できてるとは思う
まぁ雑誌の面白い面白く無いは主観もあるんでその辺はご容赦を。
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
鉄ピク低迷期だけどその頃のRFとRJは結構良記事が多い。逆に言えばピクの復活劇は奇跡かもしれん。RMも始まった頃で執筆者も確保しにくかったろうに
ところで。
初期RMは本当にびっくりした。あらゆる部分が旧来の鉄道趣味誌とは別物だったから!個人的には好意的に受け止めたが。今の(というかRMM分離後の)RMは保守化して面白く無いけどさ… 閑話休題。
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
鉄ピク低迷は何が理由だったんだろ
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
執筆者の老化
でも若手はまだ育ってない
そんな印象はあるかも
雑誌のスタイルそのものは1950年代から今に至るまで変わって無いんだけどねぇ
全然関係ないけど「レイルガイ 」「マイレイル 」ムック化する前のレイル は皆つまんなかったなぁ。エリエイの本が嫌いなわけじゃなくて平綴じ時代の「とれいん」は寧ろ大好物なんだけど
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
「とれいん」の妙な貴族性は昔は大嫌いだったし、今も苦手じゃあるけどね
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
でも濃い記事が読める代償として我慢我慢w
でも、エリエイというか呉服問屋「えりえい」と社主松本一さんの事を知ってからあの会社の印象は大きく変わったけど。
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
浮ついた貴族って悪印象は消えたな。それよりむしろ企画室ネコの笹本さんの方が貴族じゃんw(おいやめろ
ただ、後日他の趣味界隈の雑誌メディアを見て思うのは「鉄道趣味誌はまだ良心あるし読者と趣味者を大事にしてくれてる」かな。業界がユーザ小馬鹿にしてるような業界はあったのよ 。ほぼ滅んだけどさw
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
ここだけの話
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
鉄道趣味誌は90年代何某誌でバイトしたことあります
色々あったけど「修行させてくれて有難う」かな。自分も甘かったしよくクビにならんかったと思うw あ、卒業就職で辞めたのよ。
オタク気質(但し超一級の学者級オタク)の編集長とはお話が合った。ただ副編さんがカメラマン系の上下意識の方で正直苦手だった。此処まで書いたら何処かバレそーだw
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
ここから脱線します。ご容赦を。
TRPGの雑誌メディアに関しては読者として恨みしかないぞw あウォーロックとシミュレーターとRPGコミックは大好きだったけど。でもこの辺が休刊した1992年以降は地獄だったなぁ…。
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
TRPGの話題に脱線
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
鉄道趣味誌の多くが読者=ライター /カメラマンなのよ。なので編集者も投稿者への敬意は持ってたよ
でもTRPGはクソ小さい業界のくせしてライター層と読者層が分離されちゃってた。そうなりゃ編集とライターが読者見下すようになるのよ。
おい角川系お前らのことだ。
あとHJてめーもな
TRPGの衰退の理由ってアマチュアがハイアマチュアになる道が1992年以降閉ざされちゃったからだと今でも思ってる。
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
まぁ今は雑誌メディアの時代じゃ無いのでゼロから再興できるのかもしれんけど。
でもあの遊びの性格上(簡単に遊べるもんじゃ無い)、大きくはできないだろうな。
この件をある編集者とお話したら、「業界規模が小さいからこそプロのみで回してくしか無い」みたいなこと言われたのは根に持ってます。今でもな! 読者やファンはてめーらの養分じぇねぇぞ。
脱線しまくったけど。
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
鉄道趣味鉄道趣味誌のいいとこって他大手の参入がほとんどなくて実質専門出版社のみの世界を維持できたことだったんだろうなと
ここに他大手や中堅が入ってたらどうなったんだろう?
(鉄道ニュータイプ みたいな?)
初期RMの話に戻します。
初期RMというと、とれいんやTMSとの確執は私より詳しい人いると思うので特に記さない
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
トロッコの記事も今じゃ無理だと思う。今のWEBやSNSよりフリーダムだった…
「the トロッコ」ものすごい記事だったなぁ。
岩堀春夫さんの「専用線の機関車」ともに大好きだったけど。
とれいん は編集者の引き抜きやったから揉めたんだっけか。
TMSは因縁つけのレベル。でも真相は知らない。
初期RMで空撮の記事あったけど勝手に書き散らしたようなエッセイが凄かった
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
一回あのエッセイ部分がほぼ真っ白な号があったけど印刷直前で削除か? 何があったんだ? マニ30事件とか思い出し冷や汗
青空の下レールは光る、って連載記事。創刊から40号くらいまでかな。
「事件」のあとも連載は続いたので、多分おおごとになる寸前だったんだろう。
マニ30の件は有名ですよね?
そういや京王7000系の新車紹介がふざけた文章であの時代的にはありだったんかなぁ。高校生が読んでも「ちょっとひどいんじゃないの」だったけど。
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
自動車雑誌、それも三流の雑誌のような凄いインプレ記事だった。
アレは流石に怒られたんだと思う……。
ただ、鉄道趣味界が大人しくて飼いならされてる印象は事実だと思う。
アナーキズムへの憧憬は確実にあったんだろうと。
少し話題脱線。
鉄道趣味界隈の貴族というと原信太郎さん野村董さん佐々木桔梗さんか
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
佐々木さんは気障な人だと思ってたけどまさかお坊さんだったとは!
それ知ってからやはり文章の印象が(良い方に)変わったなぁ
原信太郎さんは言うまでもなくの人だけど趣味誌に殆ど投稿されてないのよ! 貴重な写真とか紀行とかしてるのに。まぁ少しづつ原鉄道模型博物館が公表してくれてるが
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月11日
ところであの時代の海外鉄さん同士って情報交換とかしてたんかしら堀淳一さんとかと
あとは反応です。世代が違うと見方も違うなぁ。
初期RM、個人的にはあんまりびっくりしなかった。
— うかい (@ke_ukai) 2018年7月11日
ってのは、直観的に「あっ、これマイレイルとレールガイが合体したやつだ」と解ったから。
初期RM=マイレイル+レールガイ+初期プレイモデルですよね。
ただ、初期RMは当時の若者(昭和40年前後生まれ)に「俺たちの雑誌が出た!!」と熱狂的に受け入れられたのですよね。
— うかい (@ke_ukai) 2018年7月11日
RMの前身の一つ、「レールガイ」については、南正時先生の『鉄道「大百科」の時代』に詳しいです。https://t.co/5xTP7AUEki
— うかい (@ke_ukai) 2018年7月12日
あえて書くけど、あの時代の鉄道趣味界にRM誌があらわれ若い世代にある種の熱狂をもって受け容れられたのは、宗教界におけるオウム真理教のそれとひじょうに「空気」「匂い」が似通っていたように思います。登場時は旧来のほこりっぽい「権威」へのカウンターと見なされた https://t.co/D6tkfh8XCW
— ('_') (@shangri_la_19_o) 2018年7月11日
だから、さきほどのうかいさんのツイートに即してふりかえれば、マイレイルやレールガイはヨガサークル時代のオウムと位置づけることができるかも。これらの媒体は地方の書店にはなかったので、地方在住のマニアはRM誌の登場であたらしい「空気」「匂い」にはじめて接した https://t.co/zKmxvU4d8W
— ('_') (@shangri_la_19_o) 2018年7月12日
言わんとすることはわかりますけど、オウムに例えるのは勘弁してほしいです。
権威へのカウンターであったのは事実ですが、その後RM・RMMもまた権威になっちゃったのは事実ではありますが。
いわゆる「軽チャー」路線だったんかしらねぇ。
— ひろ (@hiro_hrkz) 2018年7月11日
初期路線は30号くらいまでかな・・・。
で、トワイラ開始がレイマガ中興なんだろうなあ。
84年以前のRPは確かにピンとこない。
— 企画屋(C94 8/12(日)3日目東3Z27b) (@team185) 2018年7月11日
大いに首肯するところ。https://t.co/CmiOcrqnPa
以上です。
trpgの雑誌の話題は殆ど反応なし。まぁそっち方面のフォロアーさんも殆ど居ないので仕方ないですね。鉄道趣味界以上に縁が遠くなってしまいましたし。
でも、「プロがメディア独占してアマチュア排除したからTRPGはつまんなくなった」という説は変わんないです。プロは売れる記事しか書けないけど、アマチュアは書きたいもの書く自由がありますから。だから90年代なかば、TRPGの雑誌は複数ああったもの、まともに読めるものは皆無になっちゃったんですわ。ゴミの山。
逆に言えば鉄道趣味界はアマチュア主体でプロを最小限にとどめてきたからこそ、この多様性と、ハイアマチュアへのステップアップが保証されてきたっていう歴史と実績があったからじゃないでしょうかと。
(それから、角川みたいな半端な中堅がしゃしゃり出て覇権取るような愚を犯さなかった……)
いろいろありました。またネコの経営不振とかやばい話もちらほら。
でも、今でも鉄道趣味界は好きです。居心地が良い!
そういえば。
レゴ趣味界隈も幸いにも、ごく少数の公認プロと大多数のハイアマチュアという「鉄道趣味的な構造」になってよかったと思うのです。
まぁ、今は商業雑誌が趣味界隈のリーダーって時代じゃないですけども。
<追記>
初期レイルマガジンの事とか。当時を思い出しつつ。
今から考えると、80年代ぐらいまで国鉄私鉄問わず開発者本人が鉄道趣味人で趣味誌に毎月のように寄稿されてたってまあすごいことだわなあと思う
— anotherunity (@anotherunity) 2018年7月12日
RMのトロッコ座談会。私も読みました。トロッコ占いも壮絶でしたね。
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月12日
なんとか鉄道趣味をネアカ(当時用語)にしようという意志は感じられました。
で、トワイラが最後……もなんとなく同感です。 https://t.co/DRSorXDR8J
トロッコ演歌の花道が、意味わからなすぎて震えていました。 pic.twitter.com/KLqroW9ktN
— はいらーある (@hokuman_hailaer) 2018年7月12日
普通に爆笑して読みました(笑)。これもネアカ(当時語)にしようという流れだったのでしょう。
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月12日
それにしても大西さんと青森さんのお二人、その後トロッコ・ナロー研究方面では全然聞かない名前になってしまいましたね。鉄道趣味・鉄道研究界から忽然と姿を消してしまった感です……。 https://t.co/vilbukG0j3
ほんとあのお二人何処に消えてしまったんだろうか。1986年以降のレイルマガジン本誌でも全く見てないのです。
中に居たとき、名取さんに聞いときゃ良かったかもとちょっと後悔。
(ペンネームや名義を変えてる可能性は当然ありましょうが。)
後の名取さんがこの方面を触れるときは凄く真面目ですから、思えば凄い落差ですよね。産業研究という分野であのお巫山戯やってよかったのかちょっと考えてしまいます。といってもメジャーな分野はそれはそれではっちゃけにくかったのかも知れません。
— 関山@浦賀/JBF2018 お疲れ様でした! (@houmeisya) 2018年7月12日
メジャー題材。EF58の記事ではっちゃけたら、読者様の怒りを買うような時代でしたよ(笑)。
(学芸大学駅前の書店で見たRM創刊号の「なんじゃこりゃ」感はいまだに覚えているけど…。RMと自動車雑誌の「NAVI」とかは、あの時代の出版系の空気をよく表した創刊だったんだな、って今にして思う)
— 彩葉 (@iloha_train) 2018年7月12日
初期RMネタ、軽便祭プレイベント講演で、元RMカメラマンの青柳さんが乗工社の倉持さんに誘われてエリエイからネコ社に転職した…というお話をされてました。
— うかい (@ke_ukai) 2018年7月12日
以前から「RM創刊の裏には乗工社が…」と噂されてましたが、やっぱりそうだったか〜と。
乗工社/87分署は「ダックス」からしてTMS(=メディア)や珊瑚とのタイアップ、その後TMS増刊プレイモデルの編集請負や「軽便鉄道レイアウトの製作」を出したり…
— うかい (@ke_ukai) 2018年7月12日
ただ、プレイモデルは1〜4号まで出たあと、5号から若干モデルチェンジ。倉持氏の名前も消えてます。
プレイモデル、5号以降は文体が「Nマガさん」になるのですよね。おそらくこれは橋本さんの文体で、Nファインマニュアルにも受け継がれている。
— うかい (@ke_ukai) 2018年7月12日
一方初期RMの記事の文体は、改めて読み直すとプレイモデル1〜4号までとよく似ている。おそらくこれが倉持さんの文体。
ともあれ、当時TMSでやま氏が書いた「12ミリのPRは2つに割れた」云々は、確かにその通りではある。
— うかい (@ke_ukai) 2018年7月12日
しかし当時RMに対し「俺達の雑誌が出た!」と熱狂した若者層は「TMSうぜぇ」みたいな反応でしたね。
しかしそういう若手が12mm買うかというと…
自分もまた「俺たちの雑誌が出た!」と熱狂した者ですけど、TMS切る気になれなかったですね(一番熱い時代ではありましたから)。ウザいとは思いましたけど。
最後にややどうでもいいけど、今のRMMはNと16番のみで、他の扱いがちょっとおざなり感。
こればかりは残念なのです。