(サンフランシスコのBARTのA形を更に窓を大きくした感じ)

1972年、現実に顕れたのは1000形電車でした。角ばった現実的なスタイル?
而して、助士席側の天地寸法の大きな窓!に初期パースの面影を残します。そしてステンレスボディの下降窓。当時の根岸線にはモハ72がごろごろ。東横線にも3000系が残り京急も吊掛車が珍しくなかったこの時代。
1000形は十分に「未来的で大胆な電車」であったのでした。
1435mm軌間で18m級のボディは、初期構想にあったと言われる京急との直通を意識したものか? ただ、残念ながらも第三軌条方式です。あぁ、架空線なら違った未来もあったことでしょう……。
(横浜市内の京急と地下鉄両方使える場所に住んだ印象としては、都心に繋がる京急と、横浜市内ローカルの地下鉄は「有難味が違う」乗り物でした)
妄想はともかく。1000形は1985年までに6連14本が製造され、2004-2006年まで活躍を続けました。
3連1本と、先頭車1両が横浜市で保存されています。
enquete-art様の作品は、意外なところから出てきた!感じですね。
http://www.brickshelf.com/cgi-bin/gallery.cgi?f=572741
先ず、enquete-art様はアメリカンストリームライナーのイメージが強いので、横浜題材が意外でした。
というより、地方都市の地下鉄というのが未だマイナーな題材でもありましょう。1103spa様の札幌市南北線ディスプレイモデルや、あおつき様・エース君の京都市営東西線に南北線。ルビー様の仙台東西線が造られてはおりますが。
それだけに驚かされますし、題材の魅力の再評価にもなっていると思うのです。
1972年の電車といえば、もしも現役なら立派なヘリテージなのですから。

前頭部。額縁顔ともちょっと違います。今風に言えば「ベゼルの細い顔」ってことになるのでしょうか。ベゼル……というかピラー部分が細い・薄いのですね。
此処はプレート1枚分で。そして車幅方向には6幅ジャストに収めています。実物も縦長感があるので、これは大事。
大きなガラスは2x3パネル。助士席側がヘッドライトギリギリに迫っているのが分かりましょう。左右が段違いに見えるのも、好ましいデザインです。
非常口はプレート3枚分。その真中には交通局マークも。
ヘッドライトは取り付けとケース表現をブラケットで行っています。逆テーパ部分は非常口部のみなのですが、これだけで全幅分逆テーパに見えるんですね。
スカートはないので、胴受けの表現が拘りです。ダミーカプラも欲しくなりますね。

側面。中間車基準で全長は33ポッチです。3ドアの割付に無理がありません。
さて。この題材がさり気なく難しいのはドア部分の縦塗りです。実物では塗りかシール貼るだけですが、レゴだと難度跳ね上げます。そつなく処理されているようです。
屋根肩は近年流行りのポチスロでもカブスロでもなく平面タイルですが、これがこのお題の断面再現になってる感。角ばり感があるのですね。
屋根上は何も乗ってない状態。冷房化される前の姿ですね。
そして忘れてはならないのが台車。第三軌条方式の必須品。コレクターシュウが色も形も実にそれっぽいのです。
実物はデビウ当時は3連だったそうですから、あと2両作れば編成にもなりますね。
編成の完成が楽しみです。
ストリームライナー系は一区切りついた気がするので
今度は身近な車両を製作していこうと思っています
ご無沙汰しております。
ストリームライナー系も素晴らしいので、何時かゆっくり作品拝見したいものと思います。神奈川県下での催しは多いので、またご参加お願いできたら幸いです……!
(自分も参戦したいと思うジャンルなのです)
さて、横浜市営は意外なジャンルですね。そして記しましたけどできの良さ。まずは3両編成化?楽しみにしております。実物ではなかったですが、京急や横浜線とか東急と顔合わせなんて情景も出来ましょうし。