記述だけで写真も図もなんにもないんですから!
で、いつの頃かwikipediaには或る程度詳細な記述がされるように。
寝台バスとはいえ、写真も図もなく、そして構造への説明さえありません。
1960年(昭和35年)8月、日本のバスでは唯一となる寝台車が交通局に登場する。
札幌と函館、網走、稚内の各都市間の距離は約300 - 330 km、釧路にいたっては410 kmであり、高速道路のなかった時代、移動には長い時間を要していた。高度経済成長による観光ブームの到来で、近い将来、長距離移動に適したバスが必要になると読んだ同局は、寝台バスの試験導入に至った。
車体構造は、当時、同局が導入していたデラックス観光バスと同様、モノコック構造のセミステンレスカーで、リアエンジン方式であった。北海道にちなんだ愛称を与えられていた他のセミステンレスカーにそろえ、「ゆーから」と名づけられた。冷涼な土地柄から冷房装置はない。また、トイレもなく、駅やドライブインの利用を想定していた。
一般の車両に比べ全高と重心がやや高く、横転事故を起こしたことから、法規上も本格的な寝台を持つバスは認められなくなり、計画自体が中止に追い込まれた。ふそう製シャーシは空気ばね・重ね板ばね共に、他社に比べロールスピードが速い傾向にあったことも事実であるが、この時代のエアサスペンションは車高調整機能は持つものの、現在のような高度な姿勢制御は不可能であり、柔らかさ重視の設定のため、リーフ式サスペンション以下の耐ロール剛性であったことも一因である。
だからどんな姿だったの! と。

さて、交通資料館にあったこの1枚の写真(解説などなし)。
札幌市交通局の6台あったといわれる、ステンレスボディの観光バスの1台か、はたまたステンレスボディの路線車かと思ったのです。
観光バスの方は既に横引き窓でロングボディでしたから(2006年まで保存されてた「すずかけ」等)、バス窓でミドルボディのこの車は何? と。
まさかの、幻の寝台バス「ゆーから」であったのでした。
さて。
中国の寝台バスならご存知の方も多いと思いますが、尋常ならば進行方向側に寝る配置になりましょう。で、二段寝台位であろうと。
しかし、調べてみると想像を絶する仕様であったのです。札幌市交通局の寝台バスは。
数年前には画像検索してもなんにも引っかかりませんでしたが、今は何枚か資料が流れてきています。
http://photozou.jp/photo/show/930105/168433217
http://p.twipple.jp/FmmSr

札幌市交通局の局史みたいな本からの引用なのかしら?
まず車両外見が一致してますよね。そして、見取り図。
横方向に、まるで鉄道の三等寝台(B寝台)のような配置であったとは。
寝台数は29? いや、寝台の反対側の「座席」というのも気になります。あれ、寝台の長さが足りないんじゃ? 3人がけの席に横になるような長さにしかならないはず。
(この辺の問題は後述)
そして印象的なのは最後尾。
洗面所はともかく、調理台・下段食器棚・ガスコンロ・野菜入れという炊事設備まで備わっていたこと。
一体、どんな運用を想定してのでしょう? キャンピングカー? 或いはメーカーのコンセプトカーの如き、ぶっとんだ仕様ですよね。
当時の道路事情で、まさか走行しながらの調理とかはありえないでしょうが。滞泊地での車内調理を目論んでいたんでしょうか。
https://twitter.com/kiha_yuni/status/341881379337936896
こちらは車内の写真です。
スチル写真ではなく、テレビ放送の中での紹介ですね。もっと良い写真どっかに絶対にあるはずなんですが。やはり黒歴史なのか……?

横向きの3段寝台であることがわかります。
フレームは鉄道のものよりも細めです。
寝台には毛布と枕も備わります。50cm幅とも聞きますので、当時の三等寝台車並みの設備ですね。なお、向かい合った寝台の間も埋めて、寝床にしてたのでしょうか?
先の図は信用できない部分もあるので、何とも言い切れませんけども。
画像は車内を後ろから前方を見たものですね。3セクションあることも何とかわかります。昼間は3人がけのセミコンパートメント? その意味でも不思議なバスです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14118629404
非常に荒いのですが、なんと図面!
どこにこんなの落ちてたんでしょうか? というかもう少し解像度高く乗せて欲しかった……!

よく見ると、寝台は車体の4/5ほどの幅を使ってますから、先の図の寝台反対側の座席というのは誤記でしょう。これなら1700mmほどの寝台長はありそうで、当時の日本人なら収まった?でしょうか。
寝台の配置も最前部から3人・3人・6人向かい合わせ・3人・3人・3人(後向)であるように見えます。その後ろに横向きの2人がけリクライニングシートが2脚あり、エンジン上に炊事設備などがある?
リクライニングシートを除くと、寝台数は21名。含めて23名?
そう思うと、相当にデラックスなバスですね。当時はリクライニングシート装備の大型観光バスで50-60人乗りは当たり前の時代です。
最後尾は3人がけの後ろ向き座席に向かい合わせのリクライニングシート。恰も「走るリビング・ダイニングキッチン」という趣だったのかもしれません。
さて。
寝台バス「ゆーから」の具体的な姿はわかったものの、まだまだ謎は深まります。
この試みの息の根を止めてしまった件の「横転事故」も具体的な情報が何一つありません。車輌自体を廃車にするほどの損傷であったかのかどうか?
また、この事故が原因で以後寝台バスが認可されなくなった……というのも何らかの根拠のある話なのでしょうか?
(余談ですが、二階バスは日本では「ビスタコーチ」廃車の1970年ころから「ネオプラン」導入の1970年代末まで10年程のブランクがあったりします。業界も運輸当局も明文化されないところで保守的になってたのは仮説としてありえます?)
それから。
ミドルボディとはいえ定員23名のバスは運賃面で当時使い物になっかたどうか? その割には狭い3段寝台。バスにしては高額な運賃になってしまったことでしょう。
流石に、炊事設備は量産されたら割愛され、ゆくゆくはトイレ装備になったでしょうが……。
当時の道路事情も考えないといけません。高速は全然なく未舗装の一般道を走り続けなければならない状況だと、横向き寝台の乗り心地に過度な期待はできなさそうです。
故に「横転事故」無かったとしても、一時的な実験に留まったと思われるのです。
最後に。
現代的観点で寝台バスを再考するのは不毛ではないでしょう。
横転事故が理由なら、今のバスは低重心ですからその心配は先ずありません。シートベルトは寝台状態でも有効なものは作れるはず。運輸当局のくだらない意地だとしたら愚かにすぎましょう。
事業者の経済・経営面だとどんなものでしょうね。用途は貸切ではなくて長距離高速路線でしょう。
寝台2段にはなるでしょうから、今のフルフラットリクライニングシートの車よりは上下方向のゆとりがなくなってしまうかもしれません。無論、詰め込みも出来ず3列車よりも高い運賃設定が要されるでしょうか。
昼間の間合い運用は先ず諦めないと。ただ、そのへんの運用効率の問題は各種プレミアム席のバスでも発生してる問題ですが。
やはり、難しいのかもしれません。