1977年から81年ころに製造された、最後の一般型客車。
真っ赤な車体から、国鉄自ら「レッドトレイン」と呼称。
既に地方線区の電車化・気動車化の方針は立てられていたものの、老朽化している旧型客車の置き換えは急務でした。けれども国鉄の財政事情では高価な電車の新造もできず(特に交直両用車は高価!のうえ、旧型車の転用も出来ず)。
気動車も需要のある線区にどんどん新造車を回さねばならず(客車以上に、初期の液体式気動車の老朽化は深刻)。
当時なりの最適解が50系(本州向)、51系(北海道向)であったのでした。
今も昔もですが、地方線区の通学列車向け車両は「朝夕に1往復」のような非効率な運用も少なくはなく、その意味でもローコストな客車は正解であったのでしょう。
JR化間もないころまでは、全車が元来の運用をきちっと熟していました。12系1000・2000代という仲間も加わり、まだ普通客車列車に可能性があったのです。
(とはいえ、日中2-3両の列車に機関車1両なんていう編成の非効率は誰が見ても明らかでしたが)
しかし。
輸送力の減少とそれに合わせた適切化(※)を進めることで車両数の削減を図れるようになると、電車の新造もコストが見合うようになります。また、気動車も地方交通線の整理などで余裕が出来てきます。
※:編成両数の削減という詰め込み輸送の面もありますけど、電車化による運用効率の向上やスピードアップも考慮に入れて上げる必要はありましょう。
そうなると、全国で普通客車列車は一斉に滅んでしまいます。
50系の多くは、短命で廃車されてしまいました。
北海道向けの51系客車は主に函館本線電化区間で運用されていました。
721系電車への置換でありますから詰め込みではなく、スピードとサービスの向上という前向き投資でありましたし、津軽海峡線という適切な転用先もありました。
その上、141系気動車への改造も成功。まとまった両数が気動車化改造され、その多くは今なお健在であったりします。
一族の中では比較的恵まれているのかもしれません。
当時の「北海道向け」の例に漏れず、小さめの二重窓を持ちます。
オハ51とオハフ51の2形式でしたが、後者のほうが多く製造されたのは50系同様です。
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レゴでは2000年ころにawazo氏が50系を作られています。あと最近ではアイン氏にも50系作品が。しかし。

51系ともなると、隼様のこれが初か。
北海道向け二重窓車の窓サイズは「順組で高さ4プレート 幅2ポッチ(具体的には1x2プレート+1x2ブロック)」か、「横組で高さ5プレート 幅6プレート(早い話が2x2パネル)」と判断が割れるところですが、この作品は後者を取っています。
オハフ51は両端に車掌用ドアを持ちますが、客用ドアと違ってステップがないため高い位置に付いているのが印象的ですね。
また、トイレの窓も良いインパクトになっています。

反対サイドより。
車体形状は切妻に割り切られていますが違和感はありません。
(実物は微妙な折妻です)
高めのテールライトや、ちょっと無愛想な雰囲気は50系・51系の表情です。
屋根は端部のみ1x2カーブスロープ。メリハリある使い方です。他は通常プレート。なんとなくですが、ポッチ隠しよりはポッチ出しのほうが似合う題材であるような気がします。
近代的ではあるものの、どこか田舎臭さというか鈍くささが否めず。また、それが魅力でもありましたから。

横組みでは気になる?窓下のタイルラインも気になりません。
(この写真は一番目立つように撮影ですが)
現状で2両の製造です。狙うところは長大編成ではなく、末端線区での荷物輸送も兼ねた短編成と伺ってます。荷物・郵便輸送の末期に宗谷本線で見られたという「赤」+「青」+「茶」の三色編成とか目標だそうですよ?

そうなるとDE10辺りがのんびり曳いてくのが絵になりそうです。
DD51のオーバースペックというか無駄使い感も悪くはありませんけども。

モノレール(iL様作)との行き違い。ちょっと不思議な光景。
道内のどっかに懸垂式モノレールが導入されていたらという妄想もまた楽しいのですよ。


でも、やっぱり似合うのはキハ40あたりと! ですね。
キハ40はlime様の作で表現の方向性は全く異なる作品です。先にも触れた北海道向二重窓表現からして違いますし、幌枠などの表現も違う。全長解釈だって違う。
而して、同じ世界観に居る車両です。一緒に居て様にならないわけがありません。
道内の普通列車用車両は思えば魅力的なものが多いのです。現在も、それほど遠くはない過去においても。
極める楽しさ、並べる楽しさはありそうです。
(どうでもいいですけど、自分がキハ82を持ってこなかったこと激しく後悔なのです)