実は制作直前まで6400形(2B。この車軸配置としては最高最大のもの)か、8900形(2C1。日本初のパシフィック)でも迷ってました。6400は後日作りたいですね。以前は(古典期に興味持ち出した高校や大学の頃は)苦手だったアメロコの粗暴で野蛮?なところが最近は「良さ」に感じられるようになりつつあり……。
さて。
8200形蒸気機関車は3シリンダのサンプル機としてアメリカン・ロコモティブに6両が発注され、1926年に到着したもの。1929年にC52と改称。
3シリンダ機としては日本初のものですし、また最後の輸入蒸気機関車(大型機・制式機として)でもありました。
C53の試作機という扱いですが、短期間ながら特急列車(「櫻」)に充当されたこともあったとか。持て余し気味ではあったものの、セノハチの補機に転用されて1934年から戦時中に使われていた模様です。1947年に全機廃車。
但し、国産の量産機たるC53も期待したほどの活躍は出来ておらず、やはり同時期に引退しています。3シリンダ機はファン的な人気は高いものの、実用としては駄目だったのでしょう。
スタイルはアメリカンな、まさに実用本位のメカ剥き出し……なものでした。そこは6400……8900……という流れを汲んでいます。
とはいえ、8200のキャブとテンダは日本製のため、ここらはハイブリット感があり。アルコ純正ならもっと癖強い形状になったでしょうに(ED14の如き田の字窓とか?)。
また、本場のパッセンジャーロコモティヴとは違い、マッチョ感はかなり和らげられてる印象ですね。その意味で馴染みやすい?スタイルなのかもしれません。
フロントエプロンは後日追加され、その有無でかなり印象も違います。


上写真(原型)はwikipediaより。
下写真(セノハチ補機時代)はこちらより
今の目で見ると、「かっこ悪くなった」というよりは、別の魅力が生まれたと見るべきでしょう。
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モデルは原型……8200形と言われていた頃を意識しています。
特徴・拘った点をを記しておきますと。
動輪はBBB標準(純正大動輪と同じ直径)。C52は1600mm径の動輪でしたので、1750mmをBBB-XLと想定すると一回り小さいほうが整合性が取れるのです。
(というか、BBB標準はやや持て余し気味だったので)
2C1の車軸配置ですが、先輪は1+1に分離して、動輪は第1・第3をフランジレスにする様式です(以前のC55などと同じ)。この作りのメリットは、先台車とシリンダの干渉をさけ、シリンダ形状が犠牲にならないところにあります。
ロッドはメインロッドのフル稼働を当初考えていたものの、上手く行かず断念。
(2時間位試行錯誤して諦め)
bikkubo氏流儀の簡易メインロッドをアレンジの上で採用しています。
蒸機の印象をがっちり決める缶胴は近年はいろいろな円筒表現が試みられているところです。思い切ってΦ4の丸ブロックの積層で表現しています。
シリンダ周りはこの機関車の要点な気が。第一・第二・第三シリンダの表現を頑張ってみました。第二シリンダは無論角度を斜めにつけてます。
火室は濃赤での表現ためしてみました。この題材ではしっくり来てますね。
ディテール類は全てランボードに取り付け。
ヘッドライトはアメリカ様式の、側面に形式番号を記すタイプです。
ここにナンバープレート同様、朱を差してみた由。

ほぼ真横から。前部ランボードはもっと前まで伸びてますが、敢えて短くアレンジした由。

斜め上より。アメリカ機にしては線が細い印象でしょうか。
同じ題材でも、別解釈あるかもしれません。

バックビュウ。炭水車はリベット表現頑張ってみました。この時代の炭水車はリベット打ちですから。ただ、少々オーバーな表現かもhしれません。
板台枠の台車は自分なりのコダワリです。
足回りは機関車の従輪と、炭水車の第一車輪を結んでボギーにしちゃってます。

キャブは国産の部品ですので、他の国鉄蒸機に合わせた作りです。
内部は未だ造ってないですが、完全テンダドライブ機ですから人形載せる余裕はあります。

ほぼ正面から。
本場のアメリカ機とも、また欧州機とも違う独特の雰囲気ですね。
飽きてきたら、フロントエプロンとか給水温め機とか仮設して、セノハチ補機仕様とかも遊んでみたいと思っています(本務機どーするのか、って話はこの際さておき)。
さて、客車を合わせたところをお楽しみに!