
ただ、4両編成を3両編成に縮小して、ですが(苦笑)。
もう1両分の資材が微妙に足りないのです。1950年から1953年までの間の3両編成……? ということで。
先にも触れましたが、1937年製造の流線型電車。名鉄での車内呼称は「流線」。
デビウ当時はモハ−クハの2連だったものが、1950年にモハ増結で3連化。1953年にサハ増結で4連化された由。後日の増結車も形状が揃ってたのは立派です。4連化後は本線特急に、後日の新造車(3900系や5000系)に伍して使われたのでした。
1967年ころに大規模な車体更新で大きく姿を変えましたが(窓の全面更新。前面は連続窓化)、側面スカートは維持。国鉄モハ52が戦時中にスカート喪ったままであった事思えば、如何に社内で大事にされてたかわかりましょう。
1988年に大半が廃車。3連x4が2連x1に。
残った2連は緑色に塗色復元されたり、冷房化されたり。ただ末期に7300系譲りのエアサス台車化されたことで大きく姿を損ねたのは残念でしたが……。2002年廃車。以後は静態保存となっています。

モ3400形。或いはク2400形。
ク2400にもパンタがあり、ましてや床下はスカートで覆われていたので一見区別が付きません。それほどに編成美が考慮されていたのです。
レゴ的には、ほぼ同形です。
塗色は1953年からの特急色。
かなり微妙な色合いらしいのですが、レゴでの再現ということでタンと茶色に割り切っています。
窓枠は原型の、上辺に丸みのついた1段窓仕様です。
3400系では二段窓→更にアルミサッシ化されてしまいましたが、3600形には似たような窓が廃車時まで残ってましたね。

真正面より。前面通風口の表現も拘ってみました。
尾灯は省略も考えたものの、なんとか隙間に割り込む形で設ける。宝石部品は流線型に似合います。

サイドビュウ。流線型の角度も、納得。
ドア上部の丸み、実に優雅なのです。
全長は29ポッチ。32ポッチ=20m(か、それ以上)のスケールゆえ、18mのこの車両はこんな塩梅に。可愛い!

屋根上、ランボード(歩み板)あると精密に見せられるんですよ。

中間車。モハ3450形。
レゴ的にはこの車が動力車となります。
全長27ポッチ。可愛らしくも優雅な姿。

中間車は後日の増備ゆえ、屋上の違いに注目。通風器の形状と配置が違う。
作り分けできると楽しい。サハ2450だと台車まで違うんですよねぇ。

恰も3編成が揃っているかのように。
いや流石に複数編成作る気は無いですけども。でも、同じ時代の3900系とかにも興味が。真っ赤な名鉄も辛うじて間に合ったので(3400系も、850系も)思い入れはあるのですが、それ以前の時代にもより惹かれるものあります。

でも、名古屋デビュウ後の最初の課題は4両編成化でしょう。
幸いにも?火曜オフin名古屋のレイアウトは「広さよりも密度」なので3連でも良さげなのですが、近年のイベントの大型レイアウトだと4連でも物足りないくらいですから。
それから。
戦前の流線型電車もモハ52、京阪1000形、そして名鉄3400系。
だんだん役者揃ってきた感。戦前の古典電車は余りイベントでのウケなど良くないのですが(苦笑)、流線型は別だなぁというのが実感だったりします。
まだまだ、楽しめちゃいますよ?