
参宮急行2200形は1930年製造の、当時として画期的な大型・大出力の長距離用高速電車。上本町〜宇治山田間に投入されました。今の目で見ると真四角な電車に見えますが、当時はそれが最新のモダニズム。木造車時代の意匠から抜け出した、鋼製電車ならではの近代感を誇っていたのでした。
長距離用に相応しく両端に寄ったドア。1800mmもあった、国鉄2等車並のボックスクロスシートも自慢!
2227形はその増備車で、1939年製造。
張上屋根になってより美しく。ドア配置は中間よりになったものの、クロスシートは転換式に。
両者とも大阪線急行に終始用いられ(1947-1960年頃は2227形の一部は「特急」格上げあり)、1974年に引退。支線落ちも出来なかったのは、その大きさ・大出力の故でしょうか※。2200形は3ドア化されていましたが、それでも最後までクロスシートを維持。後継の2600・2610系に道を譲ったのでした。
2200形・2227形は近鉄特急のルーツでもあり、また5200系などの大阪線急行用クロスシート車のルーツでもあるのでした。
※;同じ時代の弩級電車は概ね退役が早く、使いやすい中型車のほうが後年まで長生きした事例が多いです
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エース君の作品としては異例とみるべきか? はたまた「必然」と見るべきか?
歴史系への進出は嬉しい限りです。関山が最も好きな電車の一つですし。
(近鉄歴史沼は深いです。ただ、資料・記録が多めなので危険度は小さい? 大軌・参急・伊勢電・関急・大鉄・吉野その他諸々……)

モ2200を先頭にして。ク3100とモ2227を従えて。
時代考証は1960年代から引退の頃まで。色は近鉄マルーン(1963年)。2200形が3ドア化(1960年以降)されたあとの時代です。
(特急では10000形や10100系、旧ビス・新ビスの全盛期でもありますね。並べてみたい!)
車体造形は荒削りな印象はあれど、dyson氏流儀のぶっといシルヘッダは2200のイメージ通り。シールドビーム2灯化や3扉化、また先頭床下のATS地上子も、末期の近代化された姿ならではの良さがあったこと感じさせます。
幌枠がとても重厚。逆三角に張り出した台枠端面の処理。ダミーカプラー。巧い処理です。

2227形が2200形を従えて。張上げ屋根での差別化に成功しています。より、美しく。
2227形は最後まで2ドアのままでした。前面の片方が塞がれていますが、ここはトイレがあったためで独特の表情でした。厳密に申せば2200も2227もパンタのない側にトイレだったのですが、此処は野暮言いっこなし。
重厚さとスマートさの入り混じった2227形の表現として、申す言葉が見つかりません。側窓はパネルで割り切ってますけどこれは一つの回答として違和感の無いものですし。それよりも三角形のベンチレータやら、貫通扉やその桟板。「赤地に白丸」であった急行前サボの印象に目を奪われます。

3並びの顔。
モ2227形。同系の制御車ク3100形(? パンタがないので)。モ2200形。やはりDyson氏流儀の大きな前照灯が作品の印象を良い意味での「戯画化」に導いていますね。
なお、何時かでかまわないのでモニ2300形も欲しいと思ったり。荷物室とコンパートメント(!)を持つ凄い電車でしたから。

往年の大阪線急行のイメージで。
こんなツリカケ・クロスシートの電車で青山越えて大阪から伊勢や名古屋へ。
特急とは違う憧れを誘うものです。嗚呼 乗ってみたかった……。
(5200系で決め打ちできれば、この気分を再現できるかしら?)

制作過程での、2200形の2ドアバージョン。
濃緑から近鉄マルーンへの塗替えと、3ドア化改造のタイミングが微妙にずれているので、おそらくは存在しなかった? そのためか、ボツに。
何時か緑色での再チャレンジに期待しておりますよ! (混結だって過渡期にはあったと思いますし)