
ED46形は1959年に製作された日本初の交直両用電気機関車。
この時代は世界的にも未だ交直両用(直流・商用周波数交流)の電気車は少ないもの。技術的には結構なチャレンジ?
果敢に挑んだのは、この機関車の「テストコース」たる常磐線の地元、日立製作所。
直流電気機関車に交流機器を追加したもの……と言われていますが、当時まだ新型直流電機は「出たばかりの新技術」。新技術の掛け合わせです。
もちろん試作1両のみ。のちにED92と改称され1960年代には早くも運用から離れ教習用になった模様。1975年廃車解体。
この機関車の量産型は全長を伸ばし、軸数増やしたEF80に。こちらは1986年まで活躍した由。

(画像は国鉄公式パンフレットより)
さて。
この機関車。中身も凄ければ外見も華やかなものでした。
鮮やかなピンクのボディ。3本のシルバーストライプ。ナンバープレートを彩る装飾。切れ上がった裾上げスカート周り。前面に曲面ガラスを機関車に使ったのもED46が最初です。
当時の日立製作所の試作機に多かったのですが、「メーカーのデモンストレーター」としての性格も濃厚だったのしょう。
余談ですが、ED44形ではhitachiの筆記体ロゴをメーカーズプレートの代わりに掲げたり、DF93形ではブロック体のHITACHIを大きく記す。そこまで行かずとも、DF91形は赤白に銀帯という派手な姿。
この辺の「商業的アピール」はこの時代の日立の試作機に共通していました。尤も、輸出も大事だった時代です。
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レゴ的にED46はかなり前から狙っていた形式でした。派手な外見は中学生のころに惚れ込んだもの。いや、まさに中二病機関車?
ピンクのボディは面倒ですが、EF81を濃赤と解釈した作品(たしか りゅうせん様)を見て、国鉄色ではローズピンク=小豆色(赤13号)という納得で何とかなると。その流れですでに交直両用電気車 475系電車も制作済。整合性はあります。
(あと、濃赤大好き)
厄介なのは供給されていないグリルブロック。ここは濃灰で代用する手が使えますので怖くはない。側窓に飛行機窓の濃赤が供給されたのも勢いに。

足回りは悩みの一つ。
EF30やEF80にも共通しますが、1台車1モータという変態的なメカ故にホイルベースがとても短い。レゴのトレインモータではその味が出せません(ホイルベース長すぎ)。
その上、ED46のみのDT112という台車は……なかなか異様な形状です。まぁ、それが良いのですが。
自作動力でショートホイールベース化も考えましたが、自作動力は性能が長期的には安定しない問題があり避けたい。結局 中央にモータ置く「1+B+1」方式と割り切りました。両端車輪はボールジョイントに依る連結です。
(現状9Vモータ付けていますが、車内にはPF機器搭載のスペースはあります)

ただし、サイドビュウには拘りました。
結合部分で向こうが透けて見えると興ざめですので、パーツ盛って結合部が極力わからないようにしています。
また、中央のモータも簡単ながらも床下機器を吊って、ここにモータ台車があると分からないように工夫。
異様な形状のDT112もU形の枠をパネル側面でL形向かい合わせて表現。あとは斧部品で台車枠そのものを「盛る」。

この角度で見ると、足回りが自然に「B-B」車軸配置に見えます。
やっぱり機関車は足回りに拘りたくなりますね。

微妙に傾斜した全面は横組み段差組で。古典的手法ではありますが。
切れ上がった車体裾はウエッジプレート。その流れで車体中央部下半はタイル表面に出しています。
3条の側帯はグリルタイル使って、地色の濃赤を帯の隙間からみせる。
前面窓は派手めに解釈と言うか、アレンジしちゃいました。
普通のクリアブロック使った形状を最初考えていたのですが、気まぐれに使った特殊カーブスロープがおもったよりも良い雰囲気。とりあえず、これで。

車体形状は左右同じですが、屋上機器は左右サイドで大きく印象が違うのが交流電気車の面白さ。

ナンバープレート周りの取り付け方法。L形パネルで細い線を表現し、間にプレート・タイルを挟み込む。L形パネルは使い方しだいですね。


同じ時代の交直両用電機の仲間。EF30 1と。
三菱主体で設計制作されたEF30が車体形状に関しては、とても保守的というか真面目に造ってたこととの対比が鮮烈。
この時代、交流電気車はメーカの色が濃く。
ED45 ED70 ED71 EF30……三菱
ED72 ED73……東芝
ED44 ED46 EF80……日立
という感じでした。安定してくると国鉄主体の設計(ED75 EF81……)になってくるのですが。その辺の縛りがない今は再びメーカ主体の時代に戻っています。
なお、EF30は60Hz用。1号機に関しては恐らく上京したことはない。
ED46は50Hz用。常磐線沿線と中央鉄道学園以外には入っていないと思われ、この並びは模型ならではと。
(え、米原に居た凸型のが気になりますって……? うーむ)

実物は試作機ゆえ短命に終わった機関車。
旅客用と云われていますが、急行や特急(20系「ゆうづる」)の牽引も無かった模様で派手な姿に似合わぬ、地味な存在だった……。
でも、模型では20系(無論 日立製50番台)とか曳かせて華やかに遊んでみたいものです。活躍は、これから。