「ブロックで組み立てるのはカタチ」という常識を覆した商品が登場しました。この商品はブロックで車の形も作りますが、その車がどう動くかをブロックでプログラミングする事が出来ました。車体前部のボンネット内部にプログラミング用のドラム型部品があり、そこへ小さなブロックをセットする事で、曲がる位置やライトの点滅、停止等のアクションをプログラムする事ができました。この仕組みはその後も様々な玩具で使われ、プログラミングできるブロック玩具の元祖となった商品です。以上、公式ページより引用。
http://www.diablock.co.jp/about/history/1970.html
先に断っておけば、この種のアイディアは河田が元祖ではありません。
前進・後進・停止・左折・右折などをパンチカードに記録し、そのパンチカード通りに走る車の玩具というのはバンダイ・ハズブロの「コンピューターカー」(1969年)が知られています。
http://minkara.carview.co.jp/userid/240223/blog/17478565/
http://homepage1.nifty.com/HOBBYLIFE/lib42.html
http://www.hi-ho.ne.jp/mono/compcar/cmpc1.htm
他にも類似製品はあったようです。
ダイヤブロック「プログラムカー」は、そのパンチカード部分をドラムに置き換えたものといえます。切ってしまえばおしまいで試行錯誤もできない消耗品の専用パンチカードを、ドラムへのピン差しに置き換えるアイディアは評価されるべきでしょう。
(「コンピュータ」の記録媒体としては一度しか書き込みできないものと、何度でも書き込み消去できるものの差異は大きいですものね)
「Freemode」のモボ様がこの貴重な品を箱付き・説明書付きでご入手されています。
http://mobomode.blog135.fc2.com/blog-entry-451.html
先方記事こちら。写真など多数。

箱写真は初めて見るものです。やはり白基調のパッケージ。
形状がクラシックカーなのは、当時のブロックの造形として無理がないからだと思うのですが、どんなものでしょうか? バンダイ コンピューターカーのような当時のスポーツカーの造形は、当時のブロック玩具では無理があったのでしょう。
コンピューター、に対する「プログラム」が妙な対抗意識を感じさせます。
ちなみに、プログラムという言葉が「コンピュータの」という前置きなしで一般に認知されるようになったのは1980年代に8bit家庭用(MSX等)、或いは16bitのオフィス用(PC9801等)のパソコンが出回りだしてからと記憶しています。ここらは先進性を感じる部分でしょう。

製品現物。大変に色鮮やかで美しい。フェンダーに付いた黒いレバーが電源スイッチなのだそうです。
シャーシは言うまでもなく一体成型です。なお、ライトは点灯式だったとか。
ボンネット内に見えるのがコントロール用ドラム。

これが「頭脳部」のコントロール・ドラム。
A.E.C(Automatic Endless Control System)という名前は大仰ですが……。Endlessというのがパンチカード式コンピューターカーとの「差別化」を意識しているのでしょうか。パンチカード式ではカード読み終わるとプログラム走行は終了だからです。
ドラムの説明・プログラムのしかた

ドラムには半径3列にピンがさせるようになっています。それが裏表で6機能。
片面が「後進・停止・前身」。もう片面が「左折・直進・右折」。
ピンは円周に8本挿せますので、プログラムは8ステップ組めることになります。
ちょっと理解するのにコツが要ります(笑)。
コツをつかめば自由にプログラミングでき、凄く面白そうな玩具ですね。
ただ、対象年齢のお子さんやその親御さんが何処まで理解できたのか……そこが気がかりです。
(コンピューターカーには出来合いのパンチカードがあり、プログラミングなしでもすぐに遊べるというメリットがあったことに注意)
この先進的な製品はあとが続かなかったようです。
それなりに高価になってしまったのが原因だったのでしょうか? また、モボ様の入手された個体は「動かない」とのことですが、信頼性もまだ高くなかったのかも知れません。回転ドラムとピンによる自動操作というシステム自体にはまだまだ十分に応用・発展の余地はあったように感じるだけに、惜しい。
ただし、当時のブロック玩具の対象年齢は今ほどは(いや、1980年代ほどは!)高くなく、今で言うホビー性も皆無の時代でした。「対象年齢に対して高度過ぎる機能」がその辺りの事情のように感じます。
余談ですが、先の「コンピューターカー」も、自分の世代になると全く記憶にありません。1970年代も後半になると「直進と左折のみ」のような簡易なラジコンカーが普及しだしておりましたので、その流れで消えてしまったのでしょう。
その河田が再度、「マインドストーム」に近づいたのは17年を経た1987年。かの「リニアカー」……バーコードによる自動運転まで待たねばなりません。
しかし、この画期的な製品もまた1990年ころまでのカタログ掲載を経て、これも後継を残さず消えて行きました。
以後、河田においてこの種の試みは行われていない模様です。
ハイテク、が当たり前になりすぎて、ブロックに取り入れる余地が無くなってしまったのかもしれません。
コンピューターカー、初めて聞きました。
あの書き方では河田初出の様に感じますよね(^^;
いつもながらの深い考察と時代背景の情報。
資料としての深みが出ます。
私の記事の方にこの記事をリンクさせていただきますね。
ハイテク玩具は同ジャンルのレゴに太刀打ち出来ないということで、作らないのかなと思っています。
新しい創造性のある世界観も構築しなさそうなので、他の玩具メーカー同様、版権物メインになりそうな気がします。
先日の機関車のリンク、写真が資料になると思い貼らせて頂きました。(リンクを貼る意図を書き忘れてしまいました。
またダイヤブロックを入手して記事を書くことがありましたら、連絡させていただきますね(^^)
まぁコンピューターカーにしてもバンダイ・ハズブロが元祖かどうかも調べきれていないので、どこまで正確かわかりません(笑)。あぁパンチカードの車のおもちゃはあったなぁ位の認識でした。
>深い考察と時代背景の情報。
>資料としての深みが出ます。
いえいえ、そんな大したことは記しておりませんので。それよりは実際に発掘・入手・所持することのほうがずっと重いです。
>ハイテク玩具は同ジャンルのレゴに太刀打ち出来ないということで、作らないのかなと思っています。
つまる所は、そういうことなのでしょうね。
潔いといえば潔いのか……。
ただ、ナノブロックの展開が積極的なのは評価したいです。
機関車のリンク、記事にしたいと思ってます。幸いにも未だ売れていないようですし(笑)。あの写真はすごく貴重ですよ。