マイナースケールの鉄道模型では痛感させられるのですよね。
どんな機関車でも、どんな情景でも或る程度合わせることが出来るのって、実に有難いことであります。
良い題材、造ってくださったものです。
そのありがたき、鉄道院基本型客車(12000系)は1910年(明43)から製造された、はじめての標準化された客車群。
それまでは、国鉄……官有鉄道も含めて統一もない良く言えば個性的、悪く言えば雑多な客車群が製造されていたのですが、1908年の鉄道国有化を期に、統一設計を徹底したのです。
国有化以前の日本の客車は欧州スタイルもアメリカンスタイルも両方入り乱れていたのですが、基本型客車はダブルルーフ、両端デッキの後者寄りの姿に。
しかしまぁ、独自の意匠というか味噌汁臭さみたいなものは入ってきます。
これが「客車」の標準として。
やや大きくなった22000系(大正時代)。それを鋼製化したオハ31等(昭和初期)。20m化したスハ32等。広窓で近代化のオハ35等……という、日本の客車の一貫性のある流れが始まるのでした。
基本型客車は。大多数の3等車はもとより荷物車も。また2等車はもちろん。寝台車・食堂車・1等車も作られています。供奉車・特別車・御料車までも。
優等車には(いや一部の3等車にも)三軸ボギーの20m級のものもあり。形式数では相当な個性を持っています。
一世を風靡した基本型も製造は1917年ころに終わり、以後は大型化した22000系客車に移行しています。無論、未だ木造ですが。
こうした木造客車は1950年代迄はローカル線中心ながら生き残っておりました。その安全性や接客設備の陳腐化の根本的改善として行われたのが、客車鋼体化です。基本型客車も台枠などを供出し。1950年代後半に消滅。
私鉄払下げもあり1960年代まで生き延びたものもありましたが。
残念ながら、本系列に属する御料車(6,7.9号)以外に現存車がありません。
22000系も現存車が殆どないことは惜しまれるのです。
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さて。模型的に見ますと、12000系は便利です。
大正初期から大正末。昭和初期から戦中、そして戦後の初めの時代までで使えてしまう客車でありますから。
活躍は稚内から鹿児島まで(流石に外地には居ないはず?)。最初期には急行のエリート。末期にはローカル運用。
古典蒸機から、C55やC57あたりまでの制式機群。
電気機関車の時代でも合うのです。舶来電機の時代は勿論。国産機でもEF53あたりまでなら……。
写真のように8620が似合うのはいうまでもありません。
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