1927年から製造された、最初の量産型鋼製客車です。
木造客車(22000系)をそのまま鋼製化したため、至る部分が古いまま。頑丈な台枠やダブルルーフ、そして小さめの側窓。木造車ならそのスタイルでもそこそこ軽快に見えるのですが……リベットだらけの鋼製車ではひたすら鈍重に。
ゆえに、1930年頃には20m化した32系客車(スハ32等)に移行しています。窓も大きく台枠も軽量化であるべき鋼製車に。
つまり過渡期の客車でした。
しかし、追突などの事故の多かった当時では安全面で果たした意義は大きかった!
鋼製車のため戦後も活躍続けていますが、17mの小柄さが嫌われ、1966年までに国鉄の営業車としては引退してしまいました。救援車など事業用車としては国鉄末まで残ったものはあります。
また、私鉄払下車……津軽鉄道のものは1982年まで現役でありました。うち1両が現地に保存されてた由で、それが鉄道博物館の開館で大宮にやってきて、今に至ります。
あの時代の「三等車」の残存例として、極めて貴重なものです。

なんとも言えない重苦しさ、きちんと伝わってきます。
(無論、重苦しさとか重く見えるというのは、この客車では賛辞になるんですよ!)
リベットに注目しているのは嬉しいですね。1x1で高さ5プレート分側面ポッチ付きのブロックを使いこなして腰板を表現。
側窓は高めの位置に(これで窓は小さく見える)。
2x2窓の横組で、窓枠の分厚さで重みを加えています。
シルヘッダ省略のウインドヘッダのみですが、立体表現はリベットとの兼ね合いでバランス良いものでしょう。

オハ31。標準的な3等車。
窓割は吹き寄せ部省略ですが、それほど違和感はないです。
17m車としての小柄さも、味になっています。
ホロとの兼ね合いで難しいのかもですが、アンチクライマーは車端部にほしかったかも? 更に重厚に見えそうです。

ダブルルーフのヌケもいい感じですね。
赤帯入りですから戦前の1941年ころまでの姿でありましょうか?

屋根車端部に切りかけカブスロと1/4タイル使っているのが形状面で丁寧さを感じさせられる所です。平板な印象を逃れているのです。

屋根外しの状態です。ダブルルーフは2幅分を持ち上げる解釈ですね。
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