(転用されたのは主電動機のみの筈ですが)
さて、ED30という機関車。1962年に1両のみが試作されたもの。
高価になってしまう交直両用電気機関車を少しでもローコストにするため、合理的な凸型車体を採用したものです。恐らくはフランス国鉄のBB12000等の交流電機が凸型なのを意識もしているのでしょう。
用途は米原〜田村間の交直切換点での短距離用なので、入換にも便利な凸型にしたのかもしれません。
元来の導入線区では巧く活用されず(DD50やDE10といったディーゼル機関車使用に)、鉄道技術研究所に転じて実験用に使われ、1976年に廃車されてしまいました。
昔の図鑑では電気機関車の一覧で、同じく凸型のEF13と共に目立っていたもの。
尤も電気機関車で凸型は私鉄機では寧ろ当たり前でしたし、国鉄機でも私鉄買収機に凸型機は少なからず。実はED30には初代もあります。これは1944年製造で豊川鉄道からの買収機で、やはり凸型。二代目のED30よりはずっと長生きして、伊豆急行払い下げから東急の長津田工場の入換機になり、2009年迄残っていました。
閑話休題。この種の合理化凸型交直両用電気機関車はもう数形式考えられてたとか言われ、EH30(単車体でBBBB)なんてシロモノの想像図もあったとか。
(でも、ショートリリーフならディーゼル機関車の方が廉価で合理的なのでした)
アイン様の5月末の作品です。
https://ameblo.jp/ainchan2019/entry-12599198735.html?frm=theme

特徴を余すこと無く、そしてややショート寄りに可愛く再現されています。
真四角の大きなボンネットはサイドのタイル張りで微妙な幅に。4幅+プレート1枚分と思しき。
ボンネットとスペース食い合う?手すりは1x2丸プレートのポッチ穴を使ってデッキに生やす手法です。
こちらのエンドは、ダミーカプラーとスカート。灰色のスカートがこの機関車が新式機であることを主張しています。
赤いボディに黄のライン。お世辞にもスマートではない車体なのですが、何かしらの「粋」は感じさせるのですよね。

サイドビュウ。全長を24ポッチに抑え込んでいます。実物も全長15mと小柄ですから、「大柄になりすぎないよう」にするのは大事でしょう。
近代感と古風な要素が全身に共存しているのが分かります。
特徴的な突き出た庇。全長に対する比率が凄く良い感じ。少しでも機器搭載スペースを稼ぐための合理性。日本初とか言われた交差式パンタと高圧機器が乗っかります。
キャブ窓は横組で精細感出す。手すりの効果効能は言うまでもありません。
足回り。非動力台車と動力台車。床下機器を割愛してしまうのなら、前者を後者と大きさ揃えられたほうが凸型のしての前後対称性は良くなりそうですね。
動力は流石に9V仕様です。PFでは機器収納が困難。PUならギリギリ成立するか……なので、9Vのありがたみを活かすのはありでしょう。

動力台車側です。
こちらは列車牽引用にバッファ付標準連結器。欧州的な雰囲気?の凸型機ですからこれはこれで似合ってます。
キャブの窓は細い細い。アイン様の記事でも記されておりましたが、視界は実に悪そうです(笑)。なおキャブ先端に細い幅の乗務員ドアがあった由。太った機関士は乗務できなかったんじゃないでしょうか?(いやDE10とかと大差はなかったんでしょうけど)

交流・交直両用電気車の見せ場は屋根上。
機器とタイル張りのきれいな屋上は惚れぼれさせられます。ボンネット上面も当然タイル張り。2x4の大型タイルが実物のパーツ割のようです。
列車牽引の様子などはまだ上がっていないのですが、北陸線の米原口で長く活躍した設定で青い急行客車や、はたまた寝台特急合わせて絵になりそうです。
無論、茶色の旧型客車が一番似合うことでしょう。或いは黒貨車か。そして。
米原では東海道線の青や茶色、黒の電機たち。
田村では、北陸線の赤い電機。ED70やED74、EF70と。
そして同僚はE10にD51、DD50。
この異色の凸電。あの界隈に欠かせない名役者でありましょう。
実物は幸薄でありましたが、この作品は華やかに活躍できるものと思います。