栃尾電鉄(越後交通)モハ209形。
レゴトレ・ナローゲージの「動力実用化」で真っ先に狙っていた題材です。
(尤も他に蒸機と内燃機もほぼ並行制作していますが)
電車なので、機器搭載部は若干の余裕はあります。
電車ですが、軽便の有る有るで貨車も客車も曳くので使い勝手は良い。
そして、唯一無二のスタイルは大好きな電車の一つです。
栃尾電鉄(越後交通栃尾線)は1975年に廃止されてしまった電化軽便鉄道でした。
戦後の電化に始まって、電車の新造を多々行い、電車も総括制御化、CTC化などの近代化を熱心に行なっておりました。しかし、越後交通がバス中心の会社だったのも災いしてか1973年に区間廃止、そして全線廃止です。
長岡の街の規模から言えば、郊外電車くらい維持できた筈なのですが……。
モハ209形はその電車群のなかの1両。電気機関車との兼用のためか?デッキ付の姿。よく軽便鉄道の気動車などでみられた鮮魚台(荷台)ではなくて、入換用のデッキなのです。足回りも第1軸と第4軸は普通に吊掛駆動でしたが、第2軸と第3軸は車体装荷のモータをカルダンドライブという変態でした。おかげでこの鉄道随一の強力車だったそうですが。
こんな特異な車でありながら、1973年の部分廃止まで活躍を続けたのでした。
現存こそしませんが、然しファンの記録は多く、
検索すると多くの写真が見つかります。人気ものであったのでしょうね。
5幅で、デッキ部のぞいた全長は16ポッチです。デッキ含20ポッチ。窓配置はかなり省略して、取り敢えず「小さく造る」ことを心がけました。
車内にはMモータ縦置と、PF受光ユニット(魔改造)、そして縦置きの006P電池がぎりぎり収まります。
なお、動力の関係でパンタ側が前になります。逆行は調子がよくありません。動力系を改良予定はあります。パンタ側の磁石連結器はダミーです。
屋根の登る梯子はテクニックアームで表現。
シルヘッダは濃灰の色差表現。一方で雨樋やドアは凸表現でメリハリ付けてます。
カラーリングは1950年代には青系ツートンだったのが、1960年代には何故か茶色一色にされてしまいました。然し1970年代廃止寸前には赤系ツートン(西武色とも)になっています。
好みで末期の赤系ツートンとしました。
(この色、良いですね。普通に昔の西武も造りたく……)
サイドビュウ。
窓越しに機器が見えると思います。パンタの下にモータ。隣が受光ユニット。右端に電池です。
なお、車体の下半分は上下を逆に組み、車体裾が台車に少し掛かるような形状にしています。L形パネル使用。
軽便電車の腰の低さ(車輪や台車の小ささ)を表現するためですが、この題材ではデッキも有るため、かなり苦戦しました
006Pスナップが丸出しなのは仕様です。電池を完全に覆うと車体を1プレートは高くしなきゃいけなくなり、それが全体のバランス壊してしまいますから。
またスイッチもないので、スナップの脱着平易にする必要もあります。
モータはパンタの下ギリギリ収まります。
受光ユニットは窓越しに受光します。
車体裾。車輪を避けるため、L形パネルの上下逆転組です。
動力台車についてはこちら参照ください。
http://legotrain.seesaa.net/article/471960631.html 付随台車も動力台車と形状揃えました。
以前の計画では二軸車に割切り、ボギーはダミーにする予定だったのですが、無事にボギー車で走行するものが出来たのです。感無量です!
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