精細路線もあるこの世界なので、これで良いのかと思うことはありますが、関山は基本的にコストと時間と手間は惜しみます。
その分、作品数を増やす。浮気者なのかも知れません。
碓氷峠専用電機のEF63という題材ももっと凝ったアプローチは有るはずなのですよ。
が、今回は迷って悩んだ末に、シンプライズな選択となりました。
何より時間がありませんでしたから。

何処らへんがシンプルかというと、側面で。
実物は2組のグリルが2組で、それが更に2組の8組。2-2+2-2みたいな感じです。
此処はどうやっても全長30から34ポッチに収めようとすると破綻してしまう困った寸法。表現するなら、1プレート単位の横組を駆使したり、3幅分のグリルとか考えましたが。しかし断念して、シンプルな順組オンリー。グリルは5組に省略です。ピラーもぶっとく1x1。3巾分のグリル、1x3プレートの緩ハメを考えたたりしましたが意外と見た目が悪くて断念。
しかし、細々と細工するよりは、自然な、そして悠然とした力強さは出せてるかと?
一方で前面は自分なりにこだわり。
傾斜した前面窓はポチスロ。テールライトの位置やクリーム色警戒色の位置も試行錯誤と微調整の末、固めました。
なお。
左のは警戒色が左右側面に潜り込むような塗り分けなされていた、青塗装時代初期(1967-1970年頃)のものです。この塗り分けが個人的には好きですので。
故にウチのEF63は設定年代が1960年代末ということになります。
(なので、あの目立つ前面アンテナは付けてません)

重連用に2両作りました。碓氷峠関連の機関車はコスト食い(苦笑)。
この顔は軽井沢方(長野方)であり、名物だった複雑怪奇なジャンパ栓群が備わる側です。
左は見栄え重視の旧型連結器版。
右がコスト優先の新型連結器版。造って思うは、意外と右もあり!?
前面スカートは1プレートぶんのみ車体に表現し、残りは台車側表現です。このへんは走ってなんぼの割切です。
手すりはハッタリ効かせる意味で重要。メーカーズプレートも。

動力はPFやPUに対応できる車体構造ですが、とりあえず9V仕様で落成です。
2両とも9Vx1として。
無論、1両を2M、1両をダミー化することも出来ますが。
全長が32ポッチと長め(新型電機にしては)なので、車軸配置をシンプルに出来ました。B-B-Bの電機で中間台車に動力仕込もうとすると車内にウエイト搭載するのが難しくなりますから。ただし、現地点ではウエイト搭載無しです。必ず重連と余裕のある使い方の機関車でもありますからね。なお中間台車は片方の台車からボールジョイント連結です。
足回りは……いつもの手法ですが、台車枠として1x8タイル裏面を積極多様。
ただし、そこにいつもより少しばかりディテールを盛ってる由。
もちろん車体裾は電車・客車よりは1プレート上げています。電機では大事です。

こちらは横川側(高崎、上野側)の顔です。
ジャンパ栓周りがシンプル……というより普通の機関車でありますね。
充電池箱の表現お気にいってます。
スカートはショートにする代わりに、ステップ表現忘れず。
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EF63形は信越本線の碓氷峠(横川〜軽井沢間)専用補助機関車として1963年から製造されたもの。
常に重連で。この区間を走る「すべての」列車に連結され、動力とブレーキ(とても重要!)を与えてきたものでした。
連結は勾配の「下」即ち高崎・横川方です。
(即ち、この機関車の軽井沢方の運転台は殆ど営業運転では使われてない由です)
1990年代、2度ほど横川訪問しました。
この区間は既に貨物営業こそ廃止されていたものの(1984年迄)、その分の輸送力は持て余されること無く特急「あさま」の増発に充てられておりましたね。
30分毎に次々とやってくるインターシティに連結される重連の補機。補機を使う線区は世界に数多あれど、碓氷峠の列車密度は明らかに異例のものでありました。ゆえに事故車や欠陥車の補充も含めて25両に達したのです。わずか1駅間に11組ですよ。
自走走破できる電車は技術的には可能とか言われてましたが、重装備で全区間(上野〜長野)走るのが無駄ということで流れてしまったのだとか。
1997年の北陸新幹線開業にともない同区間は廃止されました。
嘗てはゆっくりとたどり着いた軽井沢も(空気バネの空気抜くのでゴツゴツしたのり心地でありました)、今の新幹線では東京駅からあっという間に通り過ぎてしまうように。
難所も昔語りになってしまい、横川駅もひっそりと。