(wikipedia)
駆動装置側
駆動装置のない側。左右非対称です。
日本にやってきた瑞西製の電機は国鉄ではED12(貨物用)とED41(碓氷峠用 アプト式)、また吉野鉄道1形(凸型小型機)。そしてこのED54の5形式が全て。
吉野鉄道1形が3両の他は各形式2両づつの輸入でした。
ED54形は高速旅客列車用であり、最高速度100km/hオーバー。当時の地上最速の乗り物でありました。
出力は1500kwもあり、同時期のF形機さえ(EF50 英国製/EF51 米国製)を凌駕するもの。これ以上の出力はEF12/EF57を待たねばなりません。
とりたてて高級品で高価だったというわけでもないようで、輸入価格自体は英米製とは大差もなかったようです。
しかし、不遇と言うか、失敗作扱いされる機関車です。
ブフリ駆動などのメカの複雑さが維持できなかった所以とか言われておりますが、その他にも2両だけ特別な性能でも運用に入れにくいこととか、また製造元のブラウンボベリ社が日本に提携先を持たなかったことも悲劇の遠因であったのでしょう。国際関係的に英国メーカーは特に優遇される中で、中立国の製品は選択されにくかった事情もあるでしょう。
戦前のうちに殆ど使われなくなり、戦後は放置の後に廃車。
1964年ころまで何らかの研究目的に残されており(弾丸列車のEEF50・EHE50、また戦後のEF80形ではこの種の駆動装置を検討したとか?)、その後は青梅鉄道公園への保存話もあったらしいのですが、解体されてしまいました。
同型機がインドネシアに納入されており、ESS3000形は1970年代でも活躍していたようで写真も残されています。こちらも引退後の保存機がないのは残念ですが。
1973年7月29日撮影の写真が有りました。https://t.co/H7cFMBNAH0 pic.twitter.com/hgnjZbsVgF
— だーびー (@darbyz80) 2017年7月12日
貴重な写真です。
閑話休題。1500mmという電機らしからぬ大動輪とそのエキゾチックなスタイルからファンの人気は高い機関車です。
ただ、原信太郎氏クラスの自作か、はたまたHOゲージのエッチング板などを除けばマスプロダクツの模型にはならないのは些か残念ではあります。活動時期が少ないがために使いにくいのは事実ではありますが。
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実物でも鉄道模型の世界でも面倒な? ED54形。
しかしレゴ的にはお気楽に?取り組んでみました。
その応用篇に過ぎません。
何しろ、先に瑞西国鉄(SBB)のAe4/7造っていますから。
動力系は共通で、Powered UPのトレインモータに大動輪(BBBラージ)直挿しです。
車体の造形も(窓配置など以外)ほぼ同じ。色だけは流石に茶色にしましたが。

然し、大きく印象は変わるものです。
前後非対称でボンネット付きのAe4/7に対して、前後対象形状でデッキ付きのED54は違う魅力! と言わざるを得ません。同じような機関車でも作りがいはあるってもの。

駆動装置側側面です。車体リブは焦茶での色差表現。縦方向のリブは今回割愛です。前輪の台車枠には小さなエアタンク。ユニークなナンバープレート・メーカーズプレートの位置も再現。

非駆動装置側より。
細面の前面は造って楽しいものです。灯火類(標識灯・尾灯)は敢えて日本国鉄らしい片方に小さなものだけ……にしてみました。ステップはヒンジの下部でやや大仰に。

非駆動装置側。
この側にも機器が下がっているのですが、形状印象は瑞西本場のもととちょっと違います。

サイドビュウ。全長は約30ポッチに収めています。

屋上機器はED12ほどではないものの、エアタンクが2本乗ってます。
かまぼこ型の機器箱も印象的ですね。
屋根は簡単にはずせて、平易にPU機器へのアクセスが可能です。
PFと違って受光部露出させなくてよいわ、電池boxの上にコネクタ張り出さないわメリット大きいのですね。
さて。
急いでAe4/7に次いでED54を造ったのは、相互の重連用ペアという意味はあります。案の定、この機関車は空転が酷いので(高速寄りの上で車輪にゴムなどの滑りどめなし)、重連で使うことで対策にする狙いです。
欧州形世界観で使うときはED54はAe4/6にでもなるのでしょう(笑)。
日本形(戦前の)世界観ではAe4/7が架空形式、ED55形に。あるいは高速運転志向した私鉄が独自に導入した電機の買収機かなにかか……。ロコ1300とかデキ7800形とか。不遇であったがゆえに、妄想の余地の有る機関車です。
まぁ、レゴってこれくらい緩くても良いですよね?
なお真面目な空転対策で、車輪への社外品ゴムシート貼り付けは考えたいとことです。それこそ先輩?のED12(西武E52)やED41と同様に……。