1986年の暮、日本国有鉄道が解体される寸前に駆け込み的な(或いは新事業者へのプレゼント的な)新型車両の投入がありました。北海道の気動車ではキハ183N。従来車(スラント)とは全く異なる別設計車。合わせて、一般形・急行形としてのキハ54 500番台も29両が投入されています。
なお、同じキハ54ではありますが、四国地区向けのキハ54とはかなり違う車ですので要注意と。
実物写真。関山撮影。2018年現在の姿であり、原型とは多少異なるところがあります。
キハ54 500番台車は「両運転台」「2エンジン」「極寒地対応」のすべてを満たす重装備のディーゼルカー。北海道用極寒地用には1エンジンの両運転台車のキハ22やキハ40が多々おりましたが、冬期の排雪抵抗を考慮すると1エンジンではパワー不足。また、機関故障即遭難にもなりかねませんので、2エンジンの信頼性も必要と。
この条件を満たすための車となりました。
なお、同じ時期にキハ56形に、廃車の同型車(キハ56及びキハ27)の顔を持ってきたキハ53 500番台も改造されています。これも両運転台2エンジンそして極寒地向けでありました。ただ、種車も古いためにキハ56・27と共に引退して久しいですが。
閑話休題。キハ54 500番台は最初こそ苗穂や函館にも道内新型のスタンダード?として配属されたものの、1988年迄に、旭川・釧路などのより条件の厳しいエリアに固められています。片運転台の複数両編成でも輸送力を持て余さないところや、冬期の積雪も1エンジンで乗り越えられそうなところには従来どおり、キハ40で済まされたわけですね。
そのまま、現在に至っています。
故に旭川よりも北、帯広よりも東で逢える車となってます。
なお、30余年の間に、足回りはほぼ総交換。元は端や発生のエンジンと台車使っておりましたので、これを新品に。
車内も車端部ロング中央部ボックスのセミクロスシートであったものを、中央部のボックスを転換クロスシートか、特急型から不要になったリクライニングシート(中央で向き合いの1方向固定)に全車改造。
足回りも車内も、原型とどめた車は居ないのですね。
それから。
ラストナンバーの3両はやや特殊な「急行仕様車」。
急行「礼文」の専用車であって、車内は全転換クロス(新幹線0系の廃車から)。そして急行用を示す赤帯が窓上に1本追加。
この車も急行の特急格上げで不要となり、ロングシート部分を設けたりして今は通常車と共通に使われてるそうです。但し、赤帯は健在だそうで。
10月14-18日の北海道旅行前に、やはり緊急制作したものです。
最近は緊急制作ばかりですが、気にしないでくださいね(笑)。制作時間は5時間ほどです。
プロトタイプには、デビウ当時の急行用仕様車を選んでいます。やはり、かっこよかったですから。
車体はあの時代の「軽量ステンレス車」をレンガブロック裏面で表現です。これも定着しつつありますよね。
こだわりの一つは側面窓配置。
全長32ポッチで両運転台車をヘタに作ると、実物に比べてデッキや運転台の占める比率がいたずらに高くなってしまい、長さという印象がスポイルされちゃうのです。
それを防ぐために、戸袋部分を1ポッチ分詰めてしまい、側窓の省略をミニマムに抑えました。乗務員扉と前面白枠の間も省略です。
両運転台ということで、全長自体を33ポッチにもしています。32ポッチでも例えばキハ22だと前面の折妻の張り出しで実質33ポッチですからね……これで良いのですよ?
もう一つは、額縁デザインの顔を側面ツライチで。
1980年代の車両デザインで目立った額縁状の「顔」は、6幅に対してタイル2枚をはみ出し表現する手法が多く、また、思い切って側面も同寸法のツライチ(即ち、全幅が6ポッチ+ブルーの2プレートという、いわば6.8ポッチ幅)にしてしまう方法もありました。
そこを、6幅ジャストで額縁です。
額縁に合わせて内部(窓やライトや帯など)を総横組みしていくのです。上下方向の調整が1ポッチ幅即ち2.5プレート単位でしかしか出来ないのですけど、キハ54等の顔と意外と相性良く、なんとかなったのでした。
足回りはかなり適当で、確かキハ58系の廃車発生のエンジンと台車使ってたような? ってことで、キハ58系(キハ56)とほぼ同一です。細かく見れば違うのでしょうが。
前面スカート(というか保護枠?)はコスト面で通常バッファ付きに。そこに1x6ブロックを貼り付けたらなんとなくそれっぽく見えてきて、採用と。
さて。
このキハ54、いかに現地で「活躍」するか、乞うご期待!