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2018年10月31日

【作品紹介】もり様の旅客飛行艇! 6幅の丁寧な造形です。

 民間航空機の作品も少ないので、鉄道やバスに汽船と同じく公共交通の仲間として紹介させていただきましょう。


 特定モデルのない、自由形?の飛行艇です。水陸両用機ではなくて水上機ですね。
 時代考証はわかりにくいのですが、この種の旅客機の全盛期だった1920-30年代風でもあるようにもみえますし、第二次大戦後1950年代の機種にも見えます。尤も、WWII後は陸上機(普通の飛行機)の時代になってしまい、水上機の出番は軍民とも激減していくのですが。

 レシプロ串形の複葉機ですから、やはり1920年代の機種で、カラーリングは1950年代位の雰囲気で解釈するのがよさげ?

 6幅の民間機ですが、みんな大嫌い!な一体成型部品の類は一切使用せず。機種はパーツ組み立ての美しいものですs。

 翼断面はシンプルながらそれっぽいですね。3プレート分の厚みですが、おかげで強度もありそうです(拙作のDC-3では2プレート厚に拘り、強度がない)。




 水上にて。美しくもユーモラスでもあり。
 ハイマウントのエンジンが不思議ですが、でも水上機として合理的配置です。


 後ろから。上手く尾部を絞り込んでおりますね。
 タイルは斜め張りで尾部を形作ってます。

 水平舵が可動するのが嬉しいですね。

 尾翼のマーキングも印象的です。


 機内。旅客機らしく。
 操縦席と客席の間のバルクヘッドがあるとより旅客機らしいかもと思いました。


 民間輸送機や商船の作品はもっと増えてほしいなぁと。
 自分も去年冬のDC-3以降手付かずなので、そろそろ増備(やはりレシプロかターボプロップ?)図りたいと思ってます。
 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | 国内の作品紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月30日

【作品紹介】ジョージレモン様の旧型国電増備(2)渋き世界の拡大拡張。クハ79、クハ55。

 前回記事
 ジョージレモン様の旧型国電増備(1)渋き世界の拡大拡張。先ずはクモハ11
http://legotrain.seesaa.net/article/462742769.html

 引き続き、ジョージレモン様の旧型国電シリーズです。
 時代考証は1970年代なかばから1980年代前半の、いわば旧型国電の末期です。


 クハ79形。呉線および可部線仕様車。

 戦中戦後の4ドア通勤型のモハ72系列(モハ63系列)の制御車で、クモハ73・モハ72・サハ78と一緒に、はたまた3ドア車70系やクモハ40形なども交えてカオスな編成美を見せておりました。まぁ長距離運用に入って顰蹙を買ってたりもしましたけども(笑)。

 1970年ころの呉線投入時には茶色から鶯色に。そのうちに(1972年ころか)前面にオレンジの警戒色を加えた姿に。呉線からは1975年ころに撤退したものの、そのまま可部線に転じて1985年という、旧型国電としてはかなり末期の頃まで残ったのです。

 ジョージレモン様の作品は特定車番ではないようですが、でも、あの頃のロクサン形の味を出しきっておりますね。良い意味でのガタガタ感と言いますか。
 

 サイドビュウ。4ドアで全長は33ポチです。
 ドア凹みは4箇所ともなりますから大変でしょう。シルヘッダは割愛なのですが、なんと申しましょう違和感がありません。この割り切りもありと思うのです。タイル表現と色差表現もありえますけど、どれがベストなのでしょうね。

 また、側窓位置がクハ79にしては高いのは他車とのバランス上、ありでしょうか。前面に合わせると1プレート下げたほうが良さそうなのですが、幕板が広いと別の違和感も生じてしまいそうです。


 前面アップ。警戒色に合わせて上手く横組しています。
 実物のあの塗り分け、シルヘッダや雨樋や縦樋などで枠状に囲まれたところをオレンジに塗るという凝った?もので、結構かっこよいものであったのです。

 それを再現。良い感じじゃありませんか。


 連結面です。屋根は先のクモハ11と同仕様で、雨樋っぽい雰囲気。


 側面アップ。特徴的な三段窓は鶯色には似合いません。呉線可部線の車は2段のアルミサッシ化されていましたから。普通にクリアブロックの横組で、あの電車らしさは伝わってくるのでした。
 モハ63系列(モハ72系列)が作れると、事業用車も含めてかなりバリエーションは狙えるのですよね。


 クモハ11と。
 クモハ11の記事でも記しましたけども、1975−76年ころの置換端境時にはあり得た並びです。




 さて。この完成車に至るまでの検討中のモデルです。
 側面の総横組まで検討されていたのですね。

 でも、完成版がベストでしょうか。



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 クハ55形。20m級で3ドアロングシートの制御車はひとまずクハ55! というほどに種々様々なルーツから成り立つ形式です。基本的に戦前製の車両ですが。

 ジョージレモン様の作品は、以前制作のクモハ42の相方として各部の寸法や仕様などをあわせたもの。もちろん小野田線設定です。
 この辺の車は1981年の105系投入で引退しています。

 前面は水平雨樋の車ですね。運転台上の通風孔が良い雰囲気。
 


 サイドビュウ。全長34ポッチ。
 側窓は2x2パネルの横組で、広窓風? 本物より優雅?な印象もありますけども、これはこれで味のあるスタイルです。

 シルヘッダは完全省略ですが、クハ55にはノーシル・ノーヘッダーの車もありましたので、良きバリエーションでありましょう。


 車体構成。使いにくいパーツも無駄なく、活用されています。



 4両揃ったところで。楽しき、4連。
 クモハ42・クハ55・クモハ12・クハ79。
 瀬戸内の片隅で、あり得たんじゃないかという感じがします。嘘とは言い切れまい。

 1975−76年ころのイメージとすると、その頃の山陽本線は未だ80系が普通列車の主力でありましたね。本線も支線も吊掛だらけ。


 小野田線のスター。クモハ42を先頭に!
 こんな編成が80系に伍して広島と下関を結んだら楽しそうではありますが、よくみたら便所付きの車が1両もないわ、クロスシートなのはクモハ42のみ。やはり無理が有りそうです(笑)。でも、入出場の回送なら?

 繰り返しますけども旧型国電は繋げば走っちゃいますから(笑)、どんな編成も成立します。なので、1両づつ揃えていくような楽しみもあるのですね。固定編成の新性能電車、はたまたJR世代の新型電車よりも模型向けと言われる所以です。
 
 
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2018年10月29日

【作品紹介】ジョージレモン様の旧型国電増備(1)渋き世界の拡大拡張。先ずはクモハ11


 3両の同時紹介となります。
 旧型気動車を連発されてきたジョージレモン様の久々の?電車作品。

 既存作のクモハ42。
 今回改良のクハ55。
 新作のクハ79。
 新作のクモハ11。





 先ずはクモハ11形から。

 元はモハ30形で、1926-1928年に作られた最初の鋼製国電で17M級。当初はダブルルーフ。これが1950年代に丸屋根改造と改番が行われ、クモハ11形となった由。

 モハ30時代は首都圏で、そして1950年代以降は地方の電化区間に転じてゆきます。山陽地区の電化区間(可部線・福塩線・小野田線など)にも多数が入りました。


 作品は、ジョージレモン様の基本フォーマットに則った造形です。
 太めのシルヘッダ。横組の側窓。側面上下の寸法非は窓位置を高めにすることで、モハ30形の小さめの側窓の表現になっていましょう。窓位置高いと、窓は心なし小さめに見えるものなのです。
 ドア凹みありなのは嬉しいですね。その中できちんとPF動力まで組み込みです。

 前面は下半分横組。上半分順組の凝ったものですが、おかげで独特の表情が上手く再現されています。絶妙なさじ加減!なのですね。方向板挿しをプレート裏面表現も芸が細かいです。

 屋根はカーブスロープ・ポチスロではなくて段付表現ですが、これはこれで雨樋っぽい雰囲気を出しておりましょうね。


 サイドビュウ。
 全長32ポッチです。20m級を33-34ポッチで作られているようなので、なんとか整合性ありますね。

 2+2の側窓配置が、如何にも17m級旧型国電らしいのです。


 連結面も手を抜かず、です。


 実物。モデルになったクモハ11117は、1976年に広島配置で廃車されています。その後は長期間の保管がなされ、今も幡生工場に残っているとか。出来れば京都鉄道博物館などでの保存公開を望みたいものですが……。


 車内。というか機器の収容状況です。
 電池BOXは単3用を使用です。上手く収めたものですね。

 立体的なシルヘッダとドアの凹みが印象的。存在感があります。


 大胆な分割による電池交換。二次電池使用ですからアルカリ電池よりは底力は有りそうですね。


 バージョン違い。小野田線仕様をイメージした黄色警戒色版です。
 これはこれで、末期の旧型国電らしい味わいがあります。クモハ11でこの警戒色をおびた車があったかどうかはわからないのですけども、でも、違和感ありません。17m級がもう少し使われ続けていたらあり得たでしょうね。




 クハ79をお供に。可部線での17m級から20m級への置換え過度期にあったかも知れませんね。旧型国電はどれもこれも「繋げば動いた」ものですから、17m20mの混成は珍しくはなかったのでした。というか戦前は木造鋼製の混結さえ。





 実物とレゴの対比。
 幡生の保管車。クモハ42とクモハ11。

 程よい模型的ディフォルメで、実物の魅力が上手く抽出されている感じでしょうか。
 ただ、ジョージレモン様の作品はどこか「生きた」感じがありますので、やはり保管車(保存車)というよりは、広島か宇部辺りの現役時代の光景に見えてしまいますね。


 そんなわけで、2018年現在でも可能な編成ですね。
 クモハ42は2000年ころまでは現役だったのですから、構内だけでも走行可能に出来ないものかしら。尤も無理させるよりは、京都鉄道博物館入りが望ましいのかも知れません。

<続>
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2018年10月28日

【作品紹介】ながに様の「パシナ」設計中/yamatai様のC53流線型も設計中

 流線形蒸機(LNER A4 鱒寿司氏及び三木氏)を紹介したところで。
 少し前の話題(9月15日頃)ですが、ながに様が満鉄「パシナ」を設計中です。




 あまりに有名な流線型蒸機です。レゴでも国内外に何作品かありますね。

 1934年の営業投入ですから、時系列から言えばLNERのA4よりも、JNRのC53やC55よりも早いのですよ! 客車の冷房も南海電車やら燕の食堂車よりも早かったのです。
 現存は知られる限り3両で、3両とも流線型への復元がなされています。動態復元は叶わなかったようですけども。

 最初の検討案のようで、エメラルドナイトと寸法比較されています。
 大きめのカーブパーツの使い方が大胆。色はミディアムアズールのようでなかなかに美しいのですが、主要部品がこの色で揃うかどうか……ですね。ダークアズールなら大型カーブ部品はあるのですが。




 もう少し設計進んだ状態。
 缶胴部分はテクニックパネル。
 
 寸法は動輪回りで9幅でしょうか。8幅世界観の作品なら許容されましょう? いや、エメラルドナイトと比べて特に横幅が膨らんでる印象もない?
 ただ、先輪は無事旋回できるかの懸念はあります。

 張り出し部分のステップ表現が印象的ですね。ここはステップでもあり、流線型の――アールデコ的流線型のフィン表現でもありましたから。


<追記>


 11月14日現在の状態の画像をいただきましたので追記いたします。

 右が新バージョンのようです。
 飽くまで個人的好みではありますが、側面のポッチは隠したほうが良いかしら?


 新バージョンとエメラルドナイトの比較。


 新バージョンとエメラルドナイトの比較。上から。
 車体幅の抑制は課題のようですが、上手く解決すること願っております。



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 変わって、yamatai様のC53 43。これも9月ころの情報か。

 これまた有名なC53の流線形です。
 C53は戦前のうちに殆ど引退状態なのですが、43号機は流線型まま廃車されたのかどうかは気になるところです。
 C53自体も45号機 1両しか残されていないのが惜しいですよね。

 サイドビュウでわかることですが、先輪のうち前1軸は割愛かダミー?にして、先輪とスカートの干渉問題を避けています。なるほどです。
 テンダも2軸に割り切られています。スカートで深々と覆われていますから、見た目で気がつかれにくいことでしょう。

 あとは、比較的シンプルな流線造形ゆえ、卒なくまとまりそうな感じでしょうか。


 リアビュウ。凝ってますね。
 意外と後ろ姿が絵になる?機関車でもあります。

 テンダ7幅想定のようです。6幅の足回りとのバランスが良さそうです。

 難しそうな題材ありつつ、意外と?現実味は帯びているのかも知れませんね。
 

 レゴトレインは案ずるより産むが易し、の典型ですから、不可能と思ってた題材も意外とあっさりそして見事に叶っちゃうのかもしれません。それがまた愉しいのですけども。 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | 国内の作品紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月27日

【ヒント・アイディア】5udon様の、レゴブースト仕様の自動化踏切。現実的技術!?



 観てのとおりです。

 でも、今までこれを実現しようとすると高価なマインドストーム系か(中古も結構しますよねぇ……)、非コンシューマ向け故に入手などに非常に難のあるWedo系を使わなければなりませんでした。

 然し、ブーストならばコアユニットとモータが比較的廉価です。セットは普通に、どこでも入手できてしまう。
 その意味で革命なのかもしれません。

 音や動きの演出は意外と効果的ですから、もしお試し導入で余ってる?BOOSTあるなら試して見る価値は大きいでしょう。ユニットやセンサーやモータは線路際ならいくらでも隠す方法はありましょうね?

 センサーが1個だと進行方向が限られる問題はありますけども、それは運用の工夫でどうにかなりそうです。遮断竿を1個のモータで複数動かすなんて仕掛けができたら更に楽しそうでもありますし。



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2018年10月26日

【ヒント・アイディア】wing様のナロー動力5幅対応。志半ば……?/ゴムベルト伝達の持つ可能性(1103 s.p.a様)

 未だ完成にはいたっていないようなのですが、然し、アイディアとして魅力的なのでまとめ、記事にします。


 5幅の車体に収まってしまうナロー動力です。而も小径車輪を駆動。秘密はゴムベルト伝動。
 2階建て配置にすること(モータの下に前後シャフト通すこと)で、2軸駆動です。

 ゴムベルトは耐久性に疑問があるので余り使いたくなかったのですが、使い方次第では耐久性も大丈夫な模様です(1103 s.p.a様の情報)。


 改良版。ギア比を等速化。


 更に改良版。駆動軸数を最大に増やして、牽引力確保を狙ったものだとか。

 いずれにしても、長めの列車牽引は現状では難しいとのことですが、然し、ナロー動力の可能性を広げてくれた発明に改良であることは間違いありません。

 いつか道が開かれますように。
 自分も、久々にナロー関係弄ってみたくなりました。

 動力車に電池というウエイトを搭載できないのがナローの辛いところで、どうしても重い電池を死重として牽引することになってしまうのですが、電池を006Pリチウムイオン電池でも使えば軽量化はできましょう。その線での改良もありそうです。

 また、小径軸に関してはmieshin様情報ですが、クレのシリコンスプレーが回転抵抗を大きく落としてくれるという情報も。この面でも希望はありそうです。

 なお、以下にwing様の関連ツイートまとめさせていただきます。



 最初のバージョンだそうです。1軸駆動。








<<続きを読む>>
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2018年10月25日

【作品紹介】ふたつのA4パシフィック その2 三木様の作品から「流麗なる銀」nnnwnnn

 前回記事
ふたつのA4パシフィック その1 鱒寿司様の作品から「躍動の緑」
http://legotrain.seesaa.net/article/462514466.html
ふたつのA4パシフィック その1.5 鱒寿司様のプルマン客車
http://legotrain.seesaa.net/article/462514703.html



 「シルバージュビリー」なる流線型列車は意外と日本語の資料がありません。A4パシフィックの曳く華麗な流線型列車でありましたのに。断片的な伝説しか出てこない。

 というか、戦前の外国形客車に関しては資料が根源的に少ないんですよね。この辺の事情は英独米どこも共通してる感があります。鉄道模型のカタログや紹介が有力資料になるなんて本末転倒さえも。
 残念ながら、wikipedia(英語)の記述もあっさりしたものです……。
https://en.wikipedia.org/wiki/Silver_Jubilee_(train)
 
 1935年から、ロンドン〜ニューカッスル間をむすんだ列車。客車は7両編成で部分連接車。華やかな銀色塗装でした。
 なお、英国では第二次大戦の影響で1939年にはほぼすべての特急列車が運行停止されています。連合国、そして戦勝国に於いても戦時の影響は多大なものであったのでした。

 僅か4年のみ活躍した客車に関しては、その後の資料などがありません。
 戦時輸送下でもありますので廃車されたりはしないでしょう? 戦後は国有化前の雑型車のような扱いになったのでしょうか? 謎が多いです。
 




 西側の且つ鉄道趣味大国においてさえもミステリアスな列車自体は兎も角。資料少ない中でよく作られたと思うのが三木様の作品です。
 機関車に客車7両、フル編成です。


 先ずは肝心のA4から。
 さきにも触れましたが、多くの方が手がけられてきた題材です。それを最もスマートで流麗に仕上げてこられました。
 それもほぼ6幅に納めています。キャブやテンダも6幅です。

 動輪回りのカバーは流石にプレート2枚分の張り出しですが、観てわかるよう、違和感なく抑えられています。メインロッドの省略サイドロッドのみなのは動輪カバー考えたら致し方ないことでありましょう。動輪はBBB-XLではなく、純正大動輪です。動輪の小ささよりも寧ろ、全体を引き締める印象に繋がってる感はありますね。

 いつも申すことですが、英国機は、小さいのですから。


 流線型の造形が良い意味でカーブスロープに依っており、とても美しい。コストや技法面で無理を感じさせないのも安心感につながっておりましょう。

 ベストバランスのA4と言えるかも知れません。
 メインロッドの取り付けとか、動輪回りのカバーなしなどの考えてみたくなりますが、<<続きを読む>>
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2018年10月24日

【実物鉄道】北海道での野外撮影集3 釧網線・石北本線篇「ついに、出会えました」

 前回記事
北海道での野外撮影集2 稚内駅篇「稚内桟橋駅 復活?」
http://legotrain.seesaa.net/article/462514953.html

 また間が空いてしまいました。申し訳ないです。
 10月17日 釧網本線及び石北本線での記録です


 釧網本線は最後のオホーツク海沿いの鉄道になってしまいました。

 なんとも言えない、重い空の下です。
 天気は良いのに、何故か重い。

 釧網本線はほぼキハ54のみで運行されていますが、その体制がもう30年ほど続いています。キハ40でさえ新車代替が先送りされる中ですので、まだまだ活躍は続くのでしょう。


 こちらは石北本線入ってから。留辺蘂の辺り。
 乗っているのはキハ40なのですが、然し、北見〜旭川間はキハ54の運用もあります。


 この辺り、今は穏やかな景色です。


 紅葉の許。あぁ、外でも撮りたいですね。
 常紋信号場の辺、今は撮影も車がないと無理なんでしょうけど……。


 網走1158発〜遠軽1505着と3時間ほど乗り通し。遠軽駅についたら実に嬉しいサプライズ。

 キハ54 527。元 急行「礼文」用の窓上にも赤帯のある車です。僅か3両のみ。拙作のプロトタイプもこちらなので、最後の最後でまさか出会えますとは。

 遠軽では幸いにも長めの待ち時間があります。逸る心を抑えずに撮影です。


 自撮りも忘れずに。「ここに来てよかった!」と。

 沈んでいく陽と。

 このキハ54 027は旭川の車で、遠軽→旭川間の普通列車に回送車として併結されています。なお、この区間の普通は1往復、快速1往復です。
 1本の重みが違います。


 さぁ、乗りますよ! 1635遠軽発旭川行に。
(ええと、この撮影後に蕎麦食べたりいろいろ。遠軽は濃ゆい場所でした)



 さて。
 遠軽1635時発で旭川1950着。この列車1時間ほど全く停車しないところあるわ常識離れした普通列車でした。乗ってよかった……。景色こそ殆ど見えませんが、夜の普通列車って「いろんなものを、全身で感じる」ものだと思うのですよね。それが良い。

 それはそうと、旭川でも並び撮影に挑戦です。
 問題は乗ってきた列車の前に別の列車(特急「サロベツ」)止まってて線路越しの撮影ができない。でも20分ほど待ったらサロベツも発車し、無事キハ54並びが撮影できたのでした。

 キハ54+キハ40x2の3両編成は貴重な長編成でもあります。
 嘗ての急行でさえ、平時は2両であったのですから。


 さらば、愛しのキハ54。このあとすぐに回送で発車してゆきました。

 更にここから721系の普通列車で岩見沢、白石と乗り換えて南千歳へ向かうのです。なぜ新千歳ではなくて南千歳か? 新千歳への終電が終わってるからですよ(笑)。

 乗るのは千歳発050のスカイマーク深夜便。羽田行。


 さて。
 特に現地で人と合うような予定も入れず、ひたすら「乗るだけ」の4日間は割と楽しいものでした。一人ゆえの気楽さも捨てがたし!
 観光化された名物よりはセコマ飯を愛して、日本最北端に近い旭川のネカフェと日本最東端(こちらは多分正確)のネカフェに泊まり。往復飛行機でズルするのもありなのですね。
 また、出かけてしまうかも知れません。その時はキハ40も用意しましょうか(笑)。

<完>

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2018年10月23日

【実物鉄道】北海道での野外撮影集2 稚内駅篇「稚内桟橋駅 復活?」

 前回記事
【実物鉄道】北海道での野外撮影集1 宗谷本線篇。天塩川に沿って。
http://legotrain.seesaa.net/article/462512198.html

 稚内についたら、宗谷岬に行くバスまで1時間余あります。
 さぁこの間に「撮影」を済ませてしまいましょう!


 最北端の線路。飽くまでモニュメントですが。でも本線と繋がってる演出が嬉しいのですね。


 さて、最北端の線路から16ポッチだけ線路を伸ばしてみましたよ?


 最北端から更に北を望む。ここから稚内桟橋へと線路のあるような演出があります。
 埠頭のドームは目と鼻の先です。

 
 急行「礼文」はたまた「宗谷」か。稚内桟橋駅に復活です!


 

 理想申せば、C55の曳いてた「利尻」の編成もここで何時か撮影してみたいですね。
 DE10と14系の「天北」でもよいですけども。

 いや、「利尻」の1990年代末のあのごちゃまぜ編成か……。キハ400・480は製作予定ありです。


 北の空。広く高く、而して気まぐれな。

 この撮影の後、宗谷岬へ向かいました。
 で、稚内駅に帰ってきたら「雨」。そしてどんどん暗くなる空。

 撮れるものは撮れるうちに撮っておけ! ですね。
 今回は運も味方しました。


<続>
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2018年10月22日

【作品紹介】ふたつのA4パシフィック その1.5 鱒寿司様のプルマン客車

 三木様のA4の前に、鱒寿司様の客車も紹介しておかねばなりません。
 英国の象徴たる豪華な「プルマン客車」です。

 あの国の1950年代、鉄道国有化された頃の鉄道等級は1等と3等があり(2等は時事上消滅)、それぞれにプルマンカーがあり特別料金が必要でした。
 注目すべきは、3等にもプルマンカーが存在していたこと。英国は貴族の国でもある一方、中流階級創出の国でもありました……?

 それにしても料金表など無いので実態が分かりかねますが、通常の1等とプルマンの3等は何方が「上」だったのでしょうね。

 なお、プルマンカーのサービスそのものは1980年代初頭に終わっていますが、今もLNER(今の!)では「プルマンダイニング」と称した上質な食事サービス行ってるようです。贅沢旅行のイメージで残っているのですね。あぁ何時か利用してみたいものです。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 尤も鉄道模型的にはプルマンやワゴンリは、引っ張る機関車を選ばない便利な客車です。現代の最新型の機関車でさえも保存運転等でありえる組み合わせですし。



 それはさておき。先ずは1等車から。

 ドアは楕円窓。楕円窓は透過を割愛して白タイルです。こうした非透過処理はブラックアウトが定番ですが、どちらが良いのでしょうね。
 金の手すりはなかなか印象的です。

 側の楕円窓はポチスロ合わせです。意外とはまり込んで固定されます。
 側窓は3x4の建築用窓がイングリッシュプルマンだとしっくり来るんですよね。

 床下で嬉しいのが台枠のトラス棒表現でありましょう。シルエットが引き締まります。


 屋根は浅めの解釈です。実物でも色々なタイプはあります。また、角度によって印象も変わってくるのですよね。
 

 インテリアとミニフィグ。
 この大きな窓の客車では大事な要素でありましょう。

 新聞読んでいたり、食事中であったり。クロワッサンは大陸からのお客さんでしょうか?


 窓割りに合わせて座席とテーブルがあります。
 1等車設定なら定員4人に割り切って、椅子やテーブルをより豪華に。真ん中の窓は座席とテーブルなしにしてしまうのもありかなとか思いました。3等車設定ならこのくらいでもよいかもですが。




 厨房付1等車。窓なし部分が印象的です。

 プルマンカー編成だと3両に1両ほどの割で厨房車が入る感じみたいですね。
 すべての座席が食堂車となる感じです。

 関係ない話ですが、2000年に乗った中国の列車(東北地方)では、軟座車だと食堂車から食事の注文を取りに来て、料理届けてくれたこととか思い出します。大きなテーブルの向い合せの席に、プルマンカーを偲んだものでした(まぁ随分リーズナブルな話ですが)。


 インテリア。厨房は側通路省略はやむなしですね。そのかわり、楽しげな演出が。


 広義の食堂車になりますが、やはり楽しげな車種になります。



 
 1等荷物合造車。これも昔の列車には必ず含まれてます。
 荷物室部分が茶色なので、やはり、程よく目立つ車種です。

 確か英国だと最後尾か、はたまた機関車と客車の間に荷物車挟まないといけないのでしたっけ? 何かしらの規制規則があったような。

 
 張り出し部分はベイウインドウでしょうか? 
 荷物車は「ブレーキ車」(緩急車)でもありました。



 
 インテリア。シンプルながら荷物室が表現されています。

<続。次は三木様のA4です>
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2018年10月21日

【作品紹介】ふたつのA4パシフィック その1 鱒寿司様の作品から「躍動の緑」

 LNER A4パシフィックは世界で一番速い蒸気機関車であり、そして世界で一番有名な蒸気機関車のひとつです。1935-1938年に35両が製造。

 最高速度記録は「マラード」の203km/h。1938年の記録ですが、この時代は既に電気車や内燃車の時代に入りかけておりました。
 故に、その後の蒸気機関車の最高速度記録更新はなく永遠の記録です。

 A4は速度記録で華を残し、そして戦線戦後にかけてLNER→BRの急客機として活躍続けます。1966年にあのクラス55 デルティックに置換えられて引退しました。
 特記すべきはこの種の流線型機関車としては珍しく、全機が流線型ケージングを纏ったままの引退であったこと。ライバルLMSのコロネーションは流線型と標準型が並行して製造され、また流線型から標準型への改造も少なくなかったですから。

 英国の素晴らしさ、動態保存機は6両に及びます。


 さて。
 世界一有名な機関車ともなれば、国内外のレゴ作品には恵まれています。
 然し、そこに2018年の最新解釈でのニューモデルが競作されたのでした。流線型は決して難度の低い形状ではないのですが……。近年のレゴトレイン界隈の英国型ブームも後押しですね?


 先ずは鱒寿司様の作品です。JAMでの活躍シーンから参りましょう。


 観ての通り、一番ノーマルなブリティッシュグリーンの姿です。
 動輪回りの覆いはありませんが、これがない姿も力強くて良いものですね。


 腕木信号。妙に似合います。
 

 プルマン急行を曳いて。
 はるか向こうにはドーバーの連絡船か?
(そこはSRのカマの仕事だろとか突っ込んじゃいけません)


 高速運転・高速回転が似合うます。
 動力系はテンダドライブで安定したものでした。


 SRの「マーチャントネイビー」との並走です。どちらもプルマン編成。
 1960年代まではロンドン近郊で、こんな姿が観られたのでありましょう。


 並走。
 マーチャントネイビーは関山作。動輪がBBB-XLで、テンダドライブなのが共通します。ただ、関山はBBB-XLはフランジレス-フランジ-フランジレスの変速配置ですが。


 もちろん、重連も。
 

 実物はほぼ同じ大きさなのですが、
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2018年10月20日

【実物鉄道】北海道での野外撮影集1 宗谷本線篇。天塩川に沿って。

 2018年10月の、北海道行のまとめはここから
http://legotrain.seesaa.net/article/462482867.html

 他の野外撮影はこちら
【実物鉄道】美唄鉄道2号機(4110同型機)に対面。大きいなぁ……!
http://legotrain.seesaa.net/article/462217525.html


 「1日目」10月15日の旭川から稚内への往復。
 名寄を過ぎると、宗谷本線の普通列車は……空いてきます。
 こうした撮影するチャンスとなります。


 天塩川沿いの区間がずっと続きます。程よく紅葉も始まる10月の半ばです。
 窓枠に置いたキハ54。走らせてみたくなりました。


 iphone8のカメラは独特の画像処理をするのか、不思議な色が乗りますね。
 嫌いじゃないです。
(しかし世界で一番多くの人が使ってるカメラじゃないだろうか?)




 北海道形気動車の窓枠、独特の「額縁」感があります。


 自撮り(笑)。




 天塩川を眺める。
 普通列車の速度が程よいのですよね。


 快走!
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2018年10月19日

【実物鉄道】2018年10月北海道行。3日目オマケ。南千歳駅→千歳空港徒歩。スカイマークの深夜便。羽田空港の早朝3時……。

 この旅行のせいではないと思うのですが、10月22日ころから体調壊し(咳とか呼吸器系)ぎりぎりのラインで運行していたので(カンブリ業務のみがぎりぎり)、つい更新が空いてしまいました。
 更新日と日付がおもいっきりずれていますが(13日ずれ)、どうかご容赦をば。

 10月の13-18日の北海道編の締めです。
 最後の帰りまで、大冒険です。大冒険しなくても良いのにw


前回記事
2018年10月北海道行。0日目。浦賀羽田→千歳 夕張 美唄で旭川。石炭の跡をたどる旅?
http://legotrain.seesaa.net/article/462217474.html

2018年10月北海道行。1日目。旭川→稚内(宗谷岬)稚内→旭川。北の果てへ。
http://legotrain.seesaa.net/article/462272727.html

2018年10月北海道行。2日目。旭川→富良野経由→代行バス→新得。帯広釧路根室で釧路。「狩勝峠」は代行バスのほうがいいんじゃね?
http://legotrain.seesaa.net/article/462291140.html

2018年10月北海道行。3日目。釧路から釧網線経由網走。石北本線経由で旭川へ。今日も海辺と峠越え。常紋伝説を偲ぶ。
http://legotrain.seesaa.net/article/462302252.html















 飛行機に間に合うかどうかというシビアな状況ですからね。その意味でプレッシャーだってデカい。道間違えたら最後です。リカバリが出来ない!

 なので急ぎ足になるんですが、心肺への負荷がデカい。息ゼイゼイごほごほ。<<続きを読む>>
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2018年10月18日

【実物鉄道】2018年10月北海道行。3日目。釧路から釧網線経由網走。石北本線経由で旭川へ。今日も海辺と峠越え。常紋伝説を偲ぶ。

 需要は少ない?記事ですが、備忘録として続けます。2018年10月17日 水曜日の記録です。

前回記事
2018年10月北海道行。0日目。浦賀羽田→千歳 夕張 美唄で旭川。石炭の跡をたどる旅?
http://legotrain.seesaa.net/article/462217474.html

2018年10月北海道行。1日目。旭川→稚内(宗谷岬)稚内→旭川。北の果てへ。
http://legotrain.seesaa.net/article/462272727.html

2018年10月北海道行。2日目。旭川→富良野経由→代行バス→新得。帯広釧路根室で釧路。「狩勝峠」は代行バスのほうがいいんじゃね?
http://legotrain.seesaa.net/article/462291140.html







 起きてまずはこれを。



 釧路は意外とセコマが少ない。駅周辺には皆無です。
 幸いにも、泊まった快活クラブの近くに1軒ありました。1日分の食糧を抑えます。下手すると20時ころの旭川まで食糧買える場所がないこと、有りえますので。

 セコマを知ると、もうセブンイレブンいけなくなる(大げさ)



 乗ったバス。阿寒バスの方です。
 で、おもむろにセレガ(ガーラ)の長距離車。マックスの運賃が3000円以上ですから長距離ですね。良くみたらトイレまで付いてました。



 釧路駅では857発の釧網線快速まで30分ほど時間ありました。
 ゆったり構内見物。

 道内の主要駅は平成の30年間でほとんどが小奇麗に建て変わりましたけども、小樽・釧路・網走は未だ昔のまま。
 
 釧路駅は街を分断してるのも事実なので、連続立体交差事業とか起こっても不思議ではないのですが……。或いは橋上駅か。

 とはいえ釧路駅も、このまま10年使い続けるとそれこそ小樽のように歴史的価値が出てくるかも知れませんけども。それまで保たせる気かしら?



 雄別鉄道! ここにあの気動車とか蒸気機関車がやってきてたんですね。感慨深いです。
 ところで、今の釧路駅駅舎が最新の民衆駅として出来た当時は、雄別鉄道でも8700が客車曳いて釧路駅に入ってたんかしら? ものすごいミスマッチではありますね。



 旭川のキハ54と違って、釧路のキハ54は<<続きを読む>>
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2018年10月17日

【実物鉄道】2018年10月北海道行。2日目。旭川→富良野経由→代行バス→新得。帯広釧路根室で釧路。「狩勝峠」は代行バスのほうがいいんじゃね?

前回記事
2018年10月北海道行。0日目。浦賀羽田→千歳 夕張 美唄で旭川。石炭の跡をたどる旅?
http://legotrain.seesaa.net/article/462217474.html

2018年10月北海道行。1日目。旭川→稚内(宗谷岬)稚内→旭川。北の果てへ。
http://legotrain.seesaa.net/article/462272727.html





 昨日は6時3分の稚内行だったので、今朝は24分も早い列車ででかけます。無論乗りおくれたらバックアップなどありはしません(笑)。
 キハ150の3連。途中美瑛で2両落とすのですが。

 富良野線はキハ150形で固めてるようです。旭川の近郊列車としての需要もありますし、富良野付近での観光需要もあります。新型車中心でイメージアップ。ちなみにキハ150形は北海道の一般型気動車では希少な「冷房車」ですね。



 旭川駅の裏って、良くみたら「整備された公園」なのですね(恥)。

 ということは、ガチな里山の新横浜駅の勝利です(何が?)
 高架駅出て直ぐに里山に突入する鳥取駅も凄いですが。昔の新横浜や岐阜羽島略。






 睡眠不足でボケてました。大学とか病院があるのは大岡山の方ですね。

 自由が丘は人工地名ですから北海道にもありそうですし、岡山の人が入植して造った大岡山なんて地名も北海道にあったらと妄想ですよ?

 なお、北海道の緑が丘も大学はあるそうです。



 北海道で農業っていうとその2タイトルしか思いつかないです……。荒川弘先生はすごい人だと思いますです。



 北海道の町のとてもよくある作り。駅から直線道路がひたすら伸びてる。
 なんともアメリカ的なんですよねぇ。

 ああ汽車がボールドウィンとかだと似合うんでしょうか。
 ディーゼル時代だと、電気式のロード・スイッチャーがDD51の代わりに導入されてたりと妄想。
 あ、ステンレスのキハ54はなんとなくRDCっぽいですけど。









 観光客が多いのは富良野までのよう<<続きを読む>>
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2018年10月16日

【実物鉄道】2018年10月北海道行。1日目。旭川→稚内(宗谷岬)稚内→旭川。北の果てへ。

 前回記事
【実物鉄道】2018年10月北海道行。0日目。浦賀羽田→千歳 夕張 美唄で旭川。石炭の跡をたどる旅?
http://legotrain.seesaa.net/article/462217474.html


 訪道はかれこれ8回目なのですが(内4回は函館のみ)、実は行動最北端は名寄までです。1995年。深名線の廃止の日に深川〜名寄を往復したのでした。

 なので名寄から先というか、宗谷本線自体が初乗車です。

 これまで避けてたのは深い意味はなく、大きく変わることも急に廃止になることもない……位のこと。それより優先順位の高いモノいくらでもありましたから。

 無論、北の果てへのあこがれは当然ありました。3往復(昼行x2 夜行x1)もあった14系の客車急行にはドキドキしたものですし、再気動車化後もキハ400・キハ480のカオスな編成に惹かれたのです。しかし、283系の導入でやや興味は薄れてしまいましたし、夜行も廃止。どうしたものかと思っておりましたが。

 さて。
 繰り返しますが、普通列車で行くことの意義を最近見出しつつあり。その流れで宗谷本線は難しいかと思いきや、時刻表調べると旭川早朝発6時3分発で、深夜23時40分着でなら、稚内に滞在6時間で往復できるじゃありませんか!
 俄然、行きたく・乗りたくなってしまいました。

 3日間の乗り放題。1日目にはまず稚内への往復です。




 誰も歩いてない旭川。
 旭川は道北道東へのベースキャンプとして実に有用です。札幌よりも行動可能エリアが広がりますよ。



 昨晩もつぶやきましたけど、銀河鉄道999的な未来感がただようのです。
 然し、木部が多いのでとてもあたたかい。

 ここに付く前にセコマで買い物。半日分の酒と食糧を。



 所要時間6時間という普通列車です。
 なお、乗り通しの方は2-3名程度でしょうか。






 暫くは旭川市街を走ります。
 旭川、大きな街なのを実感。そりゃ昔は郊外電車だって成立したのも分かりますよね。



 名寄までの区間も見どころ多い。
 塩狩峠はやはり景色良し。気動車はゆっくり登ってく。

 そして、前面展望は特急では楽しめない。これは<<続きを読む>>
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2018年10月15日

【ニュース】10月14日の「両国レゴ駅」のまとめ。良い意味での、プロの仕事。

 参加できなかったので、ツイートまとめで失礼します。

 まず、エッジ様のレポ読んでいると、正しい意味でオフシャルな・公式な催しならではの心配りや丁寧さ、そして良い意味でのお金の掛け方……が伝わってきます。
 もはやアマチュアの行うこととは、別の世界で考えるべきです。

 また、棲み分けは正しいことでありましょう。
 そもそも、費用の桁だって違いますからね。
(例えばですが、自分が公式なみの予算貰っても公式のような催しはとても出来ません。プロとアマの領域は余りに違います)

 何より、レゴジャパンがトレイン販促ここまで本気出してくれてるのは、素直に嬉しいのです。

 また、国鉄スタイルの駅名標など用意された小物も濃ゆかったようですね。三井さんのジオラマも良し。嗚呼、行きたかったです。














 mazta-k様も、できたらブログでのレポートもお願いしたいところです。



 エッジ様のレポート1。この写真ですが、あの殺風景だった両国駅3番線への通路は今こんなに綺麗な空間になってるのですね。驚!

ホームには、ジオラマが4つ。うち2つは三井淳平さんが「超巨大 入れるレゴシティ」で組んだ巨大ジオラマの一部を組み込んだトレインジオラマ、あと2つは市販セットを組み合わせたトレインジオラマ(システム/デュプロ)です。
 ジオラマそのものの紹介写真多し。必見です。



 エッジ様のレポート2。
 文章のみ、本文から引用します。
企画会社のカメラマンぽい方が静止画/動画、別メンバーで撮っていらしたので、今後公開されるであろう、リアルトレインとレゴトレインを絡めた作品はもっと素晴らしいものが出てくると思います。
事前情報や開場前の下見無し & 滞在時間が限られる中で、一般客が撮った画像として、お楽しみ頂ければ幸いです。

リアルトレインにタイミングを合わせて撮ってみました。
車掌さんは、イベント司会などのプロの方です。
みんなが組んだレゴ列車の準備が出来る度に「出発進行!」の声を発してくれるので、自分が組んだ列車が出発する時は、子供たち大興奮!
場だけではなく、こういう雰囲気作りも良いです、今回のイベント。
<中略>
リアルとレゴが交差する空間、いいですよねー。


 さて、翌日10月15日に、関山が撮った写真です。「幌延レゴ駅」
 リアルとレゴの交差する空間、良いものです!



 エッジ様のレポート3。
 各種案内票などの写真です。こうした演出も快いものでした。

 また、こうした販促があること、楽しみにしております。
 そしてレゴ社として、レゴジャパンのこの販促は見習ってほしい! そしてトレイン商品の拡充を行ってほしいと強く思うのでした。コがるに買える単品車両や、デュプロとシティの間を狙った4-6才児対象の製品とか、まだまだ抜け落ちてるものは多いのですから。そしてCityからのスレッピアップのクリエイター系も。まぁこの辺はいつも私が文句垂れてるところではありますけども。
 
 最後に。
 アマチュアなりのものは自分たちは頑張っております(至近だと調布「ぼくらのブリック」に、函館「カネモリトレインフェスティバル」等)。
 なにか、どこかで、ご縁があれば幸いと思うのでした。
 アマチュアとして少予算で、できる限りのことはやらせていただきますので。
 
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2018年10月14日

【実物鉄道】美唄鉄道2号機(4110同型機)に対面。大きいなぁ……!

 4110形という機関車は、写真などでの印象は小柄なタンク機です。
 5軸ではありますが、やはり小柄な印象はあるのです。ドイツ系の締まったスタイル。

 さて、4110は3両が現存しており、内1両は常時公開(除く冬期)されてるのは知られたことですが。

 今回、10月14日に夕張→旭川の移動で微妙に時間が出来たので、美唄に立ち寄った由。
 保存されている東明駅(美唄市民バス東線 東明5条)は、微妙に歩くにはしんどい距離ですが……。バスは、思ったよりは頑張った本数があります



 いろいろあって到着が1650頃。もう日が落ちかけてます。時間との戦い。

 実物と対面しての第一印象が、思ってたより、大柄!
 そりゃ奥羽本線板谷峠(現 秋田新幹線)の本線用の機関車で、戦後に電化されるまで使われ続けた機関車。大きく立派なのは当然なのですよね。

 でも、スタイルはドイツ系のちょっとメルヒェン入ったものです。
 可愛さは感じさせるんですよね。


 真正面から。
 「架線注意」表記は、この機関車が電化後(1968-)の美唄駅にも出入りしてた証といえましょう。当時最新だったED76 500や711系と並ぶシーンもあったのでしょうか? 

 それにしても、可愛さと力強さが両立したデザインですよね。ずるいです(笑)。


 解説板。十輪連結という表記がユニークですね。E形ではなくて。

 重量65トンは、DE10とほぼ同じ。


 側面よりで。
 撮るのに夢中で、じっくり実物眺める余裕が無いのでした。

 ああ、でも、カッコいい!


 バックビュウ。
 この保存機、後部灯火が喪われてるのが残念。ただ、全体に整備状態はとても良い。大事にされてます。


 さて、ここからは実物と拙作の合わせ撮影です。

 暗いのでフラッシュ撮影。駄目ですね……。


 スローシャッターで粘る。実物のシリンダブロックの上においての撮影です。




 こんな感じ。アングルは制約されます。


 サイズ差ばかりはどうしょうもなく。
 それでも、実物と拙作の合わせできてよかった。


 くれてゆく空に急かされながら。バックビュウも。


 こんな場所です。かなり明るく補正してます。
 ホーム跡と、嘗ての本線跡です。炭鉱へ向かって。


 反対側を眺む。こちらは、国鉄美唄駅に向かって。


 忙しないものでは有りましたが、やはり4110の実物を観られたのは大きな収穫でした。それにしても、釧路の8722は何時かの課題ですね。作品作るのも、実物を拝みにくのも。 
posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | 実物鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【実物鉄道】2018年10月北海道行。0日目。浦賀羽田→千歳 夕張 美唄で旭川。石炭の跡をたどる旅?

 9月に急遽思い立っての出発となった(手配は飛行機の予約だけ)、2018年10月北海道行の0日め。ツイートまとめです。
 0日目というのは、3日間有効の秋の青春18(笑)、鉄道の日記念フリーパス(だったっけか正式名称覚えられない)の期限外なので。この日は「一日散歩きっぷ」使っての移動です。




 その前に、徹夜でキハ54造ってました。なので仮眠なしで出発です。




 何かつまらぬ忘れ物するくせがあります。夜間だけ使う眼鏡は忘れ物の定番です。然し、無いと困るんだこれが。

 なお、電車1本遅れると20分以上あとになり、羽田空港で出発20分前にカウンターという微妙な状況になります。ちょっと嫌ですよね。









 実は席指定ミスりました。ただの中ほどの通常席。ジャンプシートにしときゃよかった(空いてた!)
 然し、スカイマークの737、通常席でもそこそこ広いから問題なし。

 あと、やっぱり窓際優先にするべきだったと。自分は窓際好き。



 結構待ち時間とかロスが多いのですけどね。千歳で2時間。美唄で2時間くらい。でも旭川着は2240ですから。



 この辺はあとでいろいろ事情分かりました。
 全ロングの車は札幌近郊にやはり固めてるみたいです。



 千歳駅の自動販売機にて。



 地元に支援する余裕ないですものね……。
 あれだけたくさんあった夕張地区の鉄道がついに完全消滅です。



 函館行が、ちょうど先月の今頃でしたから。
 ただ、別の目的地への旅行です。というかエリアが完全に別々ですし。



 夕張鉄道はもう少し頑張ってほしかったなぁ、<<続きを読む>>
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2018年10月13日

【鉄道作品日本形】国鉄キハ54形 500番台 北の原野の「頼れる脚」。

 1986年の暮、日本国有鉄道が解体される寸前に駆け込み的な(或いは新事業者へのプレゼント的な)新型車両の投入がありました。北海道の気動車ではキハ183N。従来車(スラント)とは全く異なる別設計車。合わせて、一般形・急行形としてのキハ54 500番台も29両が投入されています。

 なお、同じキハ54ではありますが、四国地区向けのキハ54とはかなり違う車ですので要注意と。


 実物写真。関山撮影。2018年現在の姿であり、原型とは多少異なるところがあります。

 キハ54 500番台車は「両運転台」「2エンジン」「極寒地対応」のすべてを満たす重装備のディーゼルカー。北海道用極寒地用には1エンジンの両運転台車のキハ22やキハ40が多々おりましたが、冬期の排雪抵抗を考慮すると1エンジンではパワー不足。また、機関故障即遭難にもなりかねませんので、2エンジンの信頼性も必要と。
 この条件を満たすための車となりました。
 なお、同じ時期にキハ56形に、廃車の同型車(キハ56及びキハ27)の顔を持ってきたキハ53 500番台も改造されています。これも両運転台2エンジンそして極寒地向けでありました。ただ、種車も古いためにキハ56・27と共に引退して久しいですが。

 閑話休題。キハ54 500番台は最初こそ苗穂や函館にも道内新型のスタンダード?として配属されたものの、1988年迄に、旭川・釧路などのより条件の厳しいエリアに固められています。片運転台の複数両編成でも輸送力を持て余さないところや、冬期の積雪も1エンジンで乗り越えられそうなところには従来どおり、キハ40で済まされたわけですね。

 そのまま、現在に至っています。
 故に旭川よりも北、帯広よりも東で逢える車となってます。

 なお、30余年の間に、足回りはほぼ総交換。元は端や発生のエンジンと台車使っておりましたので、これを新品に。
 車内も車端部ロング中央部ボックスのセミクロスシートであったものを、中央部のボックスを転換クロスシートか、特急型から不要になったリクライニングシート(中央で向き合いの1方向固定)に全車改造。
 足回りも車内も、原型とどめた車は居ないのですね。

 それから。
 ラストナンバーの3両はやや特殊な「急行仕様車」。
 急行「礼文」の専用車であって、車内は全転換クロス(新幹線0系の廃車から)。そして急行用を示す赤帯が窓上に1本追加。

 この車も急行の特急格上げで不要となり、ロングシート部分を設けたりして今は通常車と共通に使われてるそうです。但し、赤帯は健在だそうで。



 10月14-18日の北海道旅行前に、やはり緊急制作したものです。
 最近は緊急制作ばかりですが、気にしないでくださいね(笑)。制作時間は5時間ほどです。

 プロトタイプには、デビウ当時の急行用仕様車を選んでいます。やはり、かっこよかったですから。

 車体はあの時代の「軽量ステンレス車」をレンガブロック裏面で表現です。これも定着しつつありますよね。


 こだわりの一つは側面窓配置。
 全長32ポッチで両運転台車をヘタに作ると、実物に比べてデッキや運転台の占める比率がいたずらに高くなってしまい、長さという印象がスポイルされちゃうのです。

 それを防ぐために、戸袋部分を1ポッチ分詰めてしまい、側窓の省略をミニマムに抑えました。乗務員扉と前面白枠の間も省略です。
 両運転台ということで、全長自体を33ポッチにもしています。32ポッチでも例えばキハ22だと前面の折妻の張り出しで実質33ポッチですからね……これで良いのですよ?


 もう一つは、額縁デザインの顔を側面ツライチで。
 1980年代の車両デザインで目立った額縁状の「顔」は、6幅に対してタイル2枚をはみ出し表現する手法が多く、また、思い切って側面も同寸法のツライチ(即ち、全幅が6ポッチ+ブルーの2プレートという、いわば6.8ポッチ幅)にしてしまう方法もありました。

 そこを、6幅ジャストで額縁です。
 額縁に合わせて内部(窓やライトや帯など)を総横組みしていくのです。上下方向の調整が1ポッチ幅即ち2.5プレート単位でしかしか出来ないのですけど、キハ54等の顔と意外と相性良く、なんとかなったのでした。


 足回りはかなり適当で、確かキハ58系の廃車発生のエンジンと台車使ってたような? ってことで、キハ58系(キハ56)とほぼ同一です。細かく見れば違うのでしょうが。

 前面スカート(というか保護枠?)はコスト面で通常バッファ付きに。そこに1x6ブロックを貼り付けたらなんとなくそれっぽく見えてきて、採用と。


 さて。
 このキハ54、いかに現地で「活躍」するか、乞うご期待!

posted by 関山 at 23:59| Comment(0) | 鉄道作品(日本形) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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