姿の良い凸型電機の走り回る三井三池専用鉄道は幼児の頃の図鑑的な本で見て、凄いなぁ今もこんな機関車が! とか印象付けられたものでした。で、子供なりに「これは過去の写真なんたでしょ?」とか思ったもの。
ずっと後年、鉄道愛好者向けの書籍や雑誌を読み漁るようになっても、現役であることが半ば信られず。そのうち三池単行そのものも閉山です。一部は動いてるよという噂話程度の情報は入っても来ましたけども。
そんなわけで大学生で鉄研合宿で九州に行っても、どうせ撮りにくいんでしょとかもう動いてないんでしょ……位の感じでパスしちゃう。
そのあと2000年代、2度ほどの九州訪問でもJR九州の特急やら各都市の路面電車など優先してしまい、三井三池は忘却の彼方に。
しかし。
この高度情報化時代(死語ですけど)、運行状況までも掴めるように。
現役。
土曜日曜でも動いてる。
午前中に行けば確実…どころかかなり具体的な時刻表的データまで明らかになってる。無論、敷地外から余裕持って撮影もできる。
この状況下、行かないほうがまちがっておりましょうと。

大牟田駅から20分ほど歩いて「宮浦」地区へ。
現存区間では大きく2地区に分かれるこの鉄道ですが、仮屋川地区ではJRとの受け渡しがメインになるようです。こちらを好まれる方も多いのかもしれませんが、この日の暑さで歩き回るのは嫌なのでパス。宮浦地区のみに絞ります。
まずは銀タンクコンテナ載せたコキ200形がお出迎え。
化成品タンク車を多く置き換えて私有貨車ファンの恨みを買ったらしいこの形式も自分にとっては新鮮で、魅力感じられる貨車です。普通のコキよりずっとカッコいい。

「東泉町第二踏切」
宮浦の構内に横断する踏切2箇所あります。これが大変に有り難い。
公道かどうか不明ですが「関係者専用」とか「立入禁止」ではありません。無論線路には立入禁止ですし(当然)、駄目なとこは柵が巡らしてあります。
小うるさい守衛のたぐいも居ません。
ここは化学工場というよりは、元は石炭施設のゆるさなのかも?
無論、撮影はルール・マナー守って、ですよ。
こちらは構内入り口のところ。真っ直ぐに伸びるのが仮屋川地区(JR)につながる本線。右手のカーブは化学工場への線路。左手はすぐに行き止まりの線路ですが、無論かつてはどこかにつながっていたのでしょうね。

踏切わたって宮浦全景。架線柱の形が昔の写真で見た三井三池専用鉄道そのもの!です。
吊橋形のとてもかっこよく 古典的なものですね。
さて、上の写真見ると普通のコンクリートポール+トラスアームになっています。つまりこの専用線もそれなりに更新など為されてるということですね。
柵のフェンスはAPS版なら映りこむことないでしょう。

構内にいた怪しげ。シュウ式の古典無蓋車。
保線用に現役なのでしょうか。



午前中にはバッチリな光線状態で、45噸電車(電気機関車)を撮れます。
この機関車が宮浦と仮屋川の間を結ぶ、本線用機関車のポジションですね。19号とあります。
昔は三井三池専用鉄道の中では「おとなしい」存在だったこの機関車ですが、他私鉄のBB凸電が尽く退役した今となっては、「定期貨物仕業」を持つこの機関車は奇跡的存在です。
機関車そのものも美形ですね。台車も電車用などではなくてきちんと?板台枠です。
前照灯の2灯化以外、全く外見に及ぶような改造がないのも良し!
そしてカラーリングです。臙脂の車体に緑のナンバーと三井マーク。
エンドビームのゼブラパターン。完璧です。そして水色のパンタグラフ。
ここは相応に美的観点のある方が機関車の管理なさっているのか?
妄想しちゃいますね。ただの産業鉄道なの? と。

ただし、個人的なお目当てはむしろこちら。20噸電車(電気機関車)。
ドイツはジーメンスのフォーマットの機関車を国産化したもので、もう車齢97年とか? 銚子のデキ3のお仲間ですが、こちらはマスコットの類じゃない、毎日はしる現役機なのですよ。
相方はバッテリー電源車 デ1。
この組み合わせで持って、蓄電池機関車として機能しますがこの柔軟性は日本唯一のもの。思えば九州はこの種の変態電源車?に縁が深いですよねぇ。
電源車はこの場所で充電されています。
建物は詰所か? 木造の味のあるものです。
ただ、この場所少々撮りにくいです。撮影しようとするなら、化学工場への貨車出し入れを狙う必要があります。

怪しげその2。むちゃくちゃ古典的な保線用モーターカー。この手の車両が導入されるようになった1950年代のタイプじゃないでしょうか。

奥の方にあるもう1箇所の構内踏切「三坑町3号踏切」の更に奥は<<続きを読む>>