場所は先の銚子電鉄と同じく観音崎です。午後撮影。
伊豆急の100系の4連は2016年の暮れに造ったもの。
上半がレゴ的には「ライトアクア」、下半が「ダークアズール」。電車が作れるほどの供給がやっと叶ったのがこの時期だったのでした。
なお、おまけで貨物列車用のデハ3608号も造ってます。
創業時の伊豆急に貸出され、1965年ころには古巣の東急に戻っていった元旧型国電。
この車は後にこどもの国線専用車になり、さらに弘南鉄道払い下げとえらく長生きしちゃった車ではあります。尤も伊豆急から還ってきた後、碑文谷で車体は載せ替えておりますけども。

青い空の許、碧い海と、蒼い電車。
この日はピーカンではなく雲があったのでメリハリが生まれました。
海沿いの港町の駅での、貨物列車の退避シーンをイメージして。

灯台のある岬です。
伊豆急の沿線の殆どは高台走っているので、こんな海が近いところはあるようでないのですが、ここはファンタジーというかイメージです。

入り江を眺めつつ。貨物列車がやってきた。

貨物列車。デハ3608号は128kw x4もあったので(142kw x4かも?)十分に電気機関車の代役が務まったのでした。私鉄の小型電機なんぞ98kwx4なんてあったりしますからそんなのに比べりゃ強力機。弘南じゃ1M2Tなんて編成組んでましたし。

ワフ・ワ・ワム・デハ。
伊豆急行線の積荷は農産物と一般貨物がメインだったと聞きます。鉱物系石油系は縁のない線区ですし、海産物の冷蔵車の入線も無かったようですね。無論、コンテナ化などされる前の時代の話です。

創業時の伊豆急の貨物列車というとこんな編成の写真も見たことあります。
両運転台のクモハ100形が機関車代用。そしてデハ3608号は緩急車代用。
何れにせよ、電車の曳く貨物列車という長閑な風景が、当時最新インフラの伊豆急行を走ってたのは愉快な話です。
伊豆急行の貨物輸送は1961年の創業から1980年ころまで行われていました。
一応、1963年にはまともな電気機関車、ED25が入線して、電車が貨車を曳くことは無くなったようです。但し、ED25は1両しか居なかったので、予備機としてクモハ100の登板はあったのかも?
余談ついで。伊豆急100系は制御器がCSで旧型国電との混結が可能でした(営業列車で使ったことはないはずですが)。デハ3600形も元は国電でCS。つまり? ただ、写真は見たことがないです。

やっぱり。長閑なものです。
但し、10両編成の急行や特急がやってくるのも伊豆急行の顔なのですが。

100系電車。
創業時から2000年ころまで走ってた伊豆急の顔。
1970年ころのイメージで、右からクモハ100・クロハ155・サシ191・クモハ110。1形式1両の食堂車と、同じく1形式1両の半室グリーン制御車の入ったとてもユニークな編成でした。趣味的・模型的には「ベタな編成」でもありますが(笑)。

伊豆の海岸線を走ってるところ……と<<続きを読む>>