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京浜急行クハ140形は、1923年製の京浜電気鉄道51形電車を戦後1947年に電動車から制御車に改造したもの。京浜急行では珍しい「クハ」。
元が大正生まれの電車。
前面は5枚窓で小さな窓であるのは兎も角、ひたすら路面電車的形状を濃厚に湛えておりました。

この復元保存車の写真がまた分かりやすいですね。ポールに救助網。深く下がったドアステップ。まだまだ「軌道」であり、路上走行区間も少なくなかった京浜間をときにソロソロと、ときにかっ飛ばしてた電車です。
然し、「路面電車」にしては大柄な車体であることも分かります。
路面電車と高速電気鉄道の合いの子であり、そして本場アメリカのインタアーバン(都市間高速鉄道)の趣を漂わせる車でありました。何より、電装品や台車もアメリカ製だったのです。
さて。
クハ140形になってからは専らデハ230形と組むことが多かったようです。1950年代には赤と黄色のツートンカラーに揃い、230-140-230のような編成が定番に。残っている写真では大師線など支線の運用が多かったようですけど、1950年代だと、堂々・本線の優等列車運用にも入ってたようで。
あと、稀に2連もあり、この場合は5枚窓の前面を表にしておりました。
1963-64年ころ、廃車。
然し1964年の短期間、京急の標準色である赤に白帯を纏ってた車もあったとか。その場合はお相手は230形の更新済車でした。
1両が原型に復元。久里浜工場に保存されています(上記写真)。

造ってて、実に楽しい電車でした!
いやデハ230も造ってて楽しかったのですが、こっちは別の愉しさがある。赤と黄色の派手な姿もより一層、1920年代のアメリカン・インタアーバンに近づいた感があるじゃないですか!
前面5枚窓は半ポッチずらしで構成。見た目の割に内部は頑丈なんですよ?
(名鉄510とか、阪神801辺りに応用できそうですよね?)
方向幕(のあった箇所)を上げたオデコ出したような屋根形状はあっさりまとめ。車体裾はアンチクライマーもポイントです。
台車はちょっとブリル台車っぽい造形にしてみました。オーバーハング部分の外枠をシンプルに表現、これだけで「らしく」みえませんかえ?

側窓は上半分をヘッドライトの内側使った処理。色々迷いましたがこれで正解だったみたいです。窓の小さな印象のする車ですから。
台枠は木造車の面影残す、裾の上がった仕様。そこに大きく下がった路面電車の名残であるステップ迄下がるので実に不思議な形状。ただまぁクハ140の時代にはステップは既に痕跡でしか無く。この辺も含めて、年代以上にクラシックに見える電車なのかも。
あと、昔のトレーラです。屋根上にも床下にもなんにもついてない潔さ!
(実際には制御器と、空制関連はあったはずですが)

230形と組んだ3連。
デハ230形ももう1両追加製作しています。

クハ140を先頭に。
大きな窓で、1929年製にしてはモダンの極みだったデハ230形。
小さな側窓に5枚窓の前面、1923年にしてはクラシックだったクハ140形。
湘南電鉄由来の230。京浜電鉄由来の140。
あらゆるところが対照的なペアでしたが、不思議と似合ってた編成でした。
それにしても、窓の大きさが全然違いますよね。実物もこんなバランスだったのですよ(笑)。

デハ230形の3両編成。高架を駆け抜けてく。
湘南電鉄(横浜〜浦賀)は開業当時から高架やトンネルも多い近代的区間でありました。その、おそらくは1929年の創業時代からの鉄骨架線柱がまた似合うのです。
そして。この道は、今も多くの電車が行き交い、多くの人を運び続けています。
「インターアーバン」は本場アメリカではほぼ消滅してしまいましたし、欧州やアジアでは類例のないもの。しかし、極東の島国では未だに健在!なのでした。