九州鉄道(初代)が明治末期、すなわち鉄道国有化の直前に輸入した5両のアメリカ製客車。飾り窓に楕円窓、絵に描いたような豪華さを感じさせるスタイル。当時としては画期的な大型。優れた客車であったのです。
しかし、僅か5両、それも各1形式1両(2等・1等・食堂・1等寝台・特別車)。標準から外れた車であったことから継子扱い。
その豪華さを活かすような使い方は殆どできず
(※)、大正の末には空気ブレーキの教習車に改造されてしまいました。
※:今思えばそのまま供奉車に転用するとか(流石に御料車はあり得ないにしても)、5両とも1等の展望車か寝台車に改造して東海道山陽筋で特急・急行に使うとかあり得たと思うんですが。 その華麗さとそぐわぬ境遇から、戦前の鉄道愛好者つけた愛称が
「或る列車」。
車両そのものは戦後、昭和30年代前半までは残存。配給車とされてたようです。また、戦後間もないころ、仙台地区で三等車代用にされた事例もあったとか。ただ、内装のたぐいの殆ど無い詰め込み車であったのでしょうが(でも乗った人、羨ましい)。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
かなり前、それこそレゴに戻ってきた10ん年前から温めてきた題材です。
ただ、制作意欲を加速させてくれたのはアイン様の木造客車作品でした。
http://legotrain.seesaa.net/article/452717893.html 1x2プレート横組み積層で腰羽目板の表現を行うあの手法を見たときに、心が躍る。
ただ、「或る列車」では同じ手は使えません。等級帯が入れられないのです。強引に入れると窓框があまりに高く不格好になるのは自明と。
妥協策で考えたのが、1x1ブロックを並べての腰羽目板を造る手法。
先ず、二等車(ブオロ1→スロフ9360)を造ってみました。
窓配置が癖がないので(綺麗にシンメトリー!)、この系列のサンプルカーとなるはずと。
件の腰羽目。アイン氏の1x2プレートほどの重みはないものの、これはこれで自己満足度は高し。汎用性に優れること、コストが安いのも特徴。この手は木造電車などにも使えますね!
車体裾の1プレート部分は敢えて黒として、木造車だとチラ見えする台枠の表現に。木造車って鋼製車よりちょっぴり腰が高く見えるものなのですよ。
窓のアーチ部分は単純明快1x6のアーチです。この部品は新旧2タイプあるのですが、客車の窓に使う分には新タイプの方が見栄えが良いようですね(幸いにも新型は安い!)。中身には1x2のプレート詰める。
側窓は2x2窓の横組。楕円窓はもっと気の利いた組み方も考えましたが、時間と強度の関係で丸穴ブロックに妥協です。ここだけは手抜き。
ウインドシルヘッダーはダークブラウンを配して、色差表現に。メリハリ!
ドアは2x3上端丸窓を。この部品を初めてみた時からの妄想が叶ったのでした。
デッキは大きく絞り込んだ形状で、かつ窓有りを実現。
ダブルルーフはコストかけて?ポチスロとカーブスロープで優雅な形状に。トルペートベンチレータは「嘘」ですが、ここに張り出し無いと屋根が抜け落ちる(笑)。意図的アレンジです。
台車はもちろん三軸ボギー。床下にはトラス棒。
この1両を造ってみて。その重厚さというか周辺を支配してしまうようなオーラにくらりくらりと。「或る列車」と名付けた昭和初期の鉄道趣味の大先輩たちも、車両区の片隅で待機(放置?)してたであろう彼女らを見たとき、そんなオーラにヤラれたに違いありません。
制作2両目は特別車(ブトク1→ストク9000形)。
言うまでもなく展望車形状の車です。
概ね二等車と同じですが、ハーフサイズの窓入れて窓配置に変化をもたせたこと。そしてオープンデッキが特徴。
アーチ窓の「詰めもの」はステンドグラスを意識して、1x4ハーフハイトアームの「透薄青」を使ってみました。こんな色の部品があるんですよ。効果は絶大です。
なお、「或る列車」の色は諸説あるようです。模型で造る方は
好き勝手な仕上げにされてる傾向ですけども。例えば原信太郎氏は敢えて塗装せず真鍮色にしておりますし(個人的には好みではないです)、16番の作例では青に白帯、青大将のような薄緑色、というのも見た記憶があります。
然し、王道的に考えれば葡萄色……茶色系でありましょう。少なくとも国有化による買収後は他の客車と同じ色になってたはず……です。
この車は等級外の「特別車(貴賓車?)」ですが、敢えて白帯入れて一等展望車としています。一等白帯、茶色の車体だと映えること!
端面。手すりには1x4円のフェンスを使用。丸みの強調が似合うのです。
妻面窓も上端アーチ型のものを使用。
この角度から見ると、側窓の立体感がとても素敵……。
2両揃って。今回は資材と時間の関係で2両にとどまり。
いや、先にも触れたよう激濃オーラですから、この2両で「お腹いっぱい!」でも有りますが正直。
めったに使われない事業用車として車庫の片隅に放置?でも良いのですが。
さて。
牽引機が問われるというか、なんだかんだで愉しめる客車です。
先ず、専用機として想定したのが8200形(→C52)。少し時代が下りますが(大正末なので15年ほど)、同じアメリカ製の3シリンダ・パシフィック。似合いないわけがない、王道な組み合わせ?
いや、アメリカ製パシフィックでは8900形も迷いましたし、4-4-0の最終形態にして最強機6400形もまた迷ったのでした。電気機関車ではEF51やED53も名コンビになることでしょうね(あぁ作りたい!)。
背後に現代のアメリカ貨物列車がいると、本場アメリカでの保存鉄道っぽい雰囲気になります。
「或る列車」は日本でこそ特別な存在でしたけど、あのタイプの木造客車はアメリカでは「標準型」であり、あらゆる鉄道で見られたタイプであった模様。
無論、モータとパンタと制御器付けて「電車」になってたものも。
そして客車・電車とも鋼製車の初期にその影響を残すことになります。
アメリカンというと、妙に似合ったのが隼様のシングルドライバー。
玩具的な、而して妙にリアルなアメリカンスタイルのシングルに、やはりファンタジックな客車は絶妙な調和なのです。
いや、8200が間に合わなかったらこの組み合わせを使うつもりでしたノースブリックでは。
同じく隼様のC57と。
「或る列車」も昭和中頃戦後まで生き延びておりましたから、雑形客車の一つとしてこの組み合わせもまたあったことでしょう。鋼製客車(スハ32等)を連ねた編成に、ぽつんと木造雑形客車が繋がってる編成というのもまた味わい深いものです。
また末期は配給車になっていた車もありましたから、案外貨物列車に繋げても似合うかも? 等級帯は要りませんけども。
あとは、あり得たif。
木造客車の一部は私鉄への払下げがあり、北海道の炭鉱私鉄には元優等車の三軸ボギーなんてシロモノまで紛れ込んでた由。
或る列車も払い下げられていたら、こんなシーンを演じてファンの注目を浴びていたかもしれません。4110とも意外と似合うもので、このまま北海道の炭鉱に居た古典機たち、各種揃えても見たくなります。8700や8850だって居ましたから。あとは夕張の11-14号機とか。
でもその前に、ダミー動力車も兼ねて木造ワフ再整備して。線内(社内)輸送用の出処怪しそうな雑形石炭車の2-3両も? 世界が膨らみそう。
もう一つ。
木造客車はなにも蒸機による鉄道だけではなく、電気鉄道にも払い下げられていました。とくに戦時の統制経済下、新車を申請すると鉄道省の木造客車を斡旋されることもあったとか……。そうした車両は阪和電鉄や阪急電鉄にも入っていました。
もし、新京阪鉄道にもそうした木造雑形客車が入っていたら。
電動車ばかりで付随車不足気味だったので、あり得た話……?
アメリカンスタイルの鋼製電車P-6。それがアメリカンな木造客車を挟み・従え疾走してくのはそこそこ様になってたと思うのです。それこそ本場のインタアーバンでの木造→鋼製への過渡期に見られた編成かもと。
あと、この客車の技術援用でガチなアメリカン・インタアーバンも造ってみたいと。食堂車に寝台車に展望車何でもあり。都市部高架だって、道路の上だって走っちゃう。色も派手派手でOK。あぁ涎が止まりませんよ……。
最後に小ネタ。il様作品と並び。
嗚呼、不幸が滲み出ています……。
「或る列車」は九州で観光列車として、キハ40の改造で生まれましたが、同じ年に気動車の「平成版:或る列車」が北海道で生まれてしまうとは……。
量産先行前提の、キハ285系。決して(財務処理税務処理上で短命の強いられる)試作車ではありません。
走行距離は100km未満。函館へも小樽にも顔を出せず。
そして僅か半年の在籍と、1年後の解体が行われてしまった285系。
九州鉄道のアメリカ製客車が「或る列車」として悲運の象徴のように言われますけども、それでも木造車としては長命長寿な方でした。
それ以上の伝説が生まれてしまったこと、不幸としか申しようがありません。
285系もまた、語り継がれる存在になるのでしょうか?
閑話休題。
ウチの「或る列車」の方は、あと2両ほど揃えて編成化の予定です。無論食堂車と1等寝台車を。あと、ほぼ同時代の木造郵便車で素敵なのがありますので、その辺も含めて編成化できればと。