なんとも、ファンタジックで力強く。そして鉄道屋と土木屋の誇りが強烈に感じられるじゃありませんか。
……ただ、歌われている歌は余りに戦争末期のつらい状況故の歌詞であり、お世辞にも褒める気にはなれませんが。(戦時歌謡全て嫌いってわけではないですが)
また、記録映画のタイトル「海底の鉄路」も、その重みを感じさせるのです。
閑話休題。
ブリックライブ北九州。日本初の、そして長らく唯一の存在(※)だった海底鉄道のあるこの地で、この撮影ができたことはまことに感慨深い。
※:日本で海底トンネルで旅客列車運行があるのは、関門トンネルの次は1988年の青函トンネルを待たねばなりません。とはいえ東京の貨物経路には1980年代に幾つか海底区間が発生しています。その流れで、今は「りんかい線」も海の底を走っています。

ジンベエザメの許。汽車は海底の都をゆく。
ジンベエザメは直江さんの作品です。かつて那須ハイランドパークに展示されていたもの。今回は、久々の展示。久々にやってきた晴れの舞台!
ホワイトブロックによる都は、現場でお客様が組まれたもの。

嘗ての「達人」と今の子供達。
奇跡的なコラボがここに実現。もちろん、閉会後に撮影させてもらいました。
(3日目の閉会後)

「海底列車」は、EF10形電気機関車の牽く20系客車。
これは1958-1961年の組み合わせです。
1930年代に製造されたEF10形電気機関車は1942年の関門トンネル開通に合わせて門司に配備されました。未だ山陽本線も鹿児島本線も未電化で蒸気機関車だった時代、下関と門司の海底トンネル区間のみは電化され、この区間専用の運用が行われた由。
4両ほどが外板をステンレスに改め、中でも24号機は未塗装の銀色車体で活躍しました。
20系客車は1958年から、東京〜九州方面の寝台特急用に投入された初代ブルートレイン。

ゆったりと、泳ぐ。
モータの音ジョイント音、高らかに響かせ、駆け抜けてゆく。
絵本のようなファンタジィの世界、実現したのでした。