11月27日の「辻堂100」合わせの製作です。
国鉄80系。。いわゆる「湘南電車」は1950年にデビウした長距離運行も可能な電車であり、最初に東海道線の東京〜沼津間に導入されたもの。客車列車の守備範囲を「電車」で置き換えることに成功。また最大16両の編成も組み、編成長でもそれまでの電車の概念を覆したものでした。
80系あっての151系。そして0系へ。
歴史に残る車両です。
また、東海道本線東京口の発展期を象徴する車でもあり。
「湘南」というエリアの開発、そして藤沢・辻堂・茅ヶ崎……の都市化を支える原動力でもありました。
東海道本線東京口普通列車には111・113系が1962年から導入され、そちらが主役になるのは早かった。多くの80系は当時の直流電化区間に散っていきました。
それでも静岡地区に転じた車は、1975年ころまでは日に数度東京口迄乗り入れ。その静岡や名古屋地区からも1977年頃には80系は撤退。1978年には山陽本線等からも引退。最後は飯田線に少数が残り、1983年に全廃を迎えています。
特筆すべきは1977年まで廃車を1両も出さなかったこと。
その後はつるべ落としの引退劇でしたが。
関山は図鑑などで観て憧れたものの、遂に撮影はおろか乗車も叶わなかった形式です。かろうじて新幹線から豊橋駅の飯田線ホームにいる姿を拝んだのみ。
あぁ、もう数年長生きしてくれてたらと思うのですが。
(鉄道趣味界のお約束、あと○年早く生まれていれば……もあります。ただ5年早く生まれてたら現役SLに間に合わず、やはり愚痴ったと思いますけども。自分の世代は旧型国電・旧型客車・旧型電機にフラれた世代ですけども、地方私鉄の旧型電車には余裕持って間に合ったので、恨みはなしかもと)
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さて。
レゴでの80系自体は以前に関西急電仕様を造っています。茶色とクリームの急電色。今回はその応用で、大きく仕様は変えていません。
ただ、関西急電だとクハ86とモハ80のみですが、東海道東京口だとサロ85やクモユニ81という仲間も加わり、一気に賑やかに。
地味かもしれませんが、基本形式のモハ80形より。
実物でも、このモデルでも動力車です。
初期型のシルヘッダー付の車体。シルヘッダーの表現も多々ありますけども、先の急電仕様同様に「影の黒帯」表現としました。それっぽく見えてコスト面でも有利です。
湘南色の「緑」は通常緑か濃緑か迷いました。
ただ、後者は些か濃すぎる! 通常緑……レゴ基本色のラチチュードの広さに頼ったのは正解でした。
ドアは初期車原型のプレスドア表現。丸太ブロックがプレスドアに使えるのは新発見(笑)。広範に使える手ですね。
屋根は全車共通で45度スロープ 旧濃灰です。
旧型車には国鉄私鉄とも、ポチスロやカブスロよりこっちが似合うと思うのですよ!
反対サイド。床下機器は割と適当ですが、制御器と抵抗器らしいもの表現すると昔の電車らしく見えます。
動力系は取り敢えず9vモータx2。6両編成は1Mでは苦しく、2Mではちょっと勿体無い。片方はRC時代のモータにでも置換考えています(少しでもコストダウン)。
或いは、運行環境によってPF化もありえますかも?
同じくモハ80形。但し最終型の300番代。
ノーシル・ノーヘッダーの全金属製車体。木製ニス塗りだった内装も、今の電車と同じく樹脂化粧板に。座席も長距離用にスハ43並のものに改善。
しかし、足回りは吊りかけのままだったのでした。末期、飯田線に残ったのはこの300番代のみですが、全盛期には混結混用されてたはず?です。
レゴ的には編成に変化つけるために欲しい車両でした(同じモハ80を2両作るのイヤ)。
側窓は2x2パネルに1x2プレートつけたものを、窓内にはめ込んだだけ。
特に固定などしていませんが、がっちり保持されます。アルミサッシの枠が近代感を醸し出す。
また、雨樋の表現を軽やかなものに。
(逆に言えば、レール付きプレートは重厚な旧型車らしい雰囲気を出すのに有用です)
0番代(初期車)と300番代の違い。
同じ2x2パネル横組ですが、<<続きを読む>>