そういえば。
何故か1970年代には1000形や0系の色だけ黄色に変えて試験車に見たてた玩具は皆無でした。今の「ドクターイエロー」玩具やグッズが溢れてる時代からすると隔世の感。
事業用車だから売れないという判断がされてた?
しかし、「はたらくくるま」は子供に人気の定番でした。それに「図鑑」だと922など事業用車も掲載されてましたし。なにより、色変えだけですからローコストに製品の種類増やせたでしょうに。
余談ですが、1980年代になってもブリキ玩具の0系は「運行番号表示窓」や小さめの前照灯、窓枠のHゴムなどに1000形の特徴を残したものが多々あったんですよ(子供心にも違和感ありまくり!)。その塗り替えで「922初代」ってできたんじゃ(笑)。
まぁ、1000形を0系に見たてられるほどに当時の鉄道玩具は今ほど精細でもマニアックでもありませんでしたけども。
1970年代前半まであのプラレールでさえ「赤い新幹線」でしたものねぇ(流石に持ってなかったですが 自分のは青白になった初代だったのかな?)。
で。
何故か911形ディーゼル機関車のブリキ玩具が存在したのは、911形の記事で記しました。「特急電気機関車 EH1031」という、EF58やEF66風味の自由形でしたけども。
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ローアングルは正義。922-4を前にして。東京寄り・海側です。
マキシの側スカートがエレガント。0系は軽快なミニになってしまいましたが。
しかし、951や961はマキシに戻ってます。試作車の証!
500系以降の時代は事情も違いますけども。
922-1を前に。大阪寄り。同じく海側。
合計4基のパンタを結びつける高圧母線。
そして922-2 六角窓のインパクト。
試作車+試験車の食合せは垂涎モノですよ!
921-1。新幹線軌道試験車と並ぶ。
この車両もまたモデル線時代からの仲間でした(4000形)。
なお、922-4は連結器取り付けてスタンバイ。実物は光前頭開けての引き出しですが、流石にレゴではパーツ差し替えです。
この組み合わせ。やってみたかったのです。異形のモノ同士の連結。
921形は911形ディーゼル機関車に牽引される建前でしたが、922形による牽引もしばし行われていました。911形の最高速度が160km/hなのに、921形の許容速度は200km/h。無論、最初から922が曳くことが前提だったのです。
なお1975年の922形初代引退後も921-1は軌道試験車の予備車として残されていました。922 10番台(含む921-11)の検査時、0系8両編成が921-1を牽いた記録もあります(1977年頃)。勿論、200km/hで。
なお、921-1は後に小山に送られていますが……961や962が牽引したんでしょうか?
何れにしろ、電車が客車を曳くという特異な運行形状が事業用車といえ、新幹線で見られたのは愉快な話です。
ところで、この編成。気になるのは終端駅ので入換なんです。
922-1には構内移動自走機能があったので、東京駅のような行き止まりでも「機回し」が自力で行えたんでしょうか? 或いは東京駅から東一運までを推進運転したのか?
そうした面倒もあって、921形軌道試験車は921-11以降は最初から電車の付随車形状になり、922形10番台/20番台編成に組み込みとなったのでした。
ディーゼル機関車 911形も含めて。
こんな「異形のモノ」たちが深夜の新幹線を行き交う。まさに百鬼夜行!
而して彼女らは正義のアヤカシ。
線路と安全の護り手であったのでした。
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さて。
先行して事業用車ばかり造ってしまいましたが。
今更ながら、新幹線(東海道・山陽筋)の深さに嵌りつつあり。
1000形由来の922を作る中で、量産型としての0系の魅力にも気が付かされる。
また、0系顔を薬師山氏の模倣で制作する中で、意外や100系も可能であることまで判明……。
そしてさらなる試作車、951形(スーパーロングノーズの美形)や961形(食堂車に寝台車!)の存在。
あ、結局事業用車に戻っちゃいそうですね?
でも、営業車としてまず100系は優先したいところ。
国鉄時代の「締め」でありましたし、個人的には一番「未来」を感じた車。そして「最も華やかな新幹線」であったから。
次は素直に0系? 大量生産ゆえの特殊な編成や変形車の宝庫。趣味的な魅力はその末期に花開く。
まぁ、妄想もこの程度にしておきましょうか。