先方の記事。「 旧丸ノ内線(営団500系)をレゴで再現しました。」
帝都高速度交通営団 300形/400形/500形/900形は1954年の丸ノ内線開業に合わせて用意された地下鉄電車。
真っ赤な車体は当時は非常に鮮烈なもの。他の電車がみな茶色か濃緑だった時代の話です。いやカラフル化は当時の流れでしたが、屋根まで真っ赤に塗り、「サインカーブ」を配したデザインは最高傑作。ヘッドライトを窓下に2灯配したデザインもこれが最初でした。
開業時は両運転台の300形。その改良の400形。
さらに後世に片運転台の500形に移行。編成が伸びていって(当初2両が最終的に6両に)用意された中間車900形という陣容でした。1960年代に増備も完了。
その後、1989年の02系の投入まで1両も欠けること無く活躍したものの、1995年には本線系から引退。翌96年には方南町支線からも引退してしまいました。
しかし。その後アルゼンチンのブエノスアイレス地下鉄にまとまった両数が譲渡。近年まで活躍続けた長命な電車でもありました。
譲渡されたうちの4両が「里帰り」保存されることになったのは近年の報道です。
他に、300形や400形には保存車もあります。
さて。
自分の1970年代の記憶ですが、あの時代地下鉄といえば「丸ノ内線のこの電車」でした。玩具や絵本で地下鉄といえば丸ノ内線。流石に当時は古臭く見えて好みではなかったですが(……もっと古いのか、もっと新しいのが好みだったんです。営団なら銀座線の1200や1300、或いは半蔵門線の8000系の方が好きでした)。
しかし、カラーブックス日本の私鉄「営団地下鉄」買ってもらってからこの形式の魅力に気がつく! 件のサインカーブがステンレス切り抜きの非常に丁寧な仕事で出来てたことに驚かされたり。引退間際には数本待って乗る、なんてことやってましたね。

ペイ様も此の電車が「一番好き!」とのこと。
馴れ初めがちょっと気になりますよ?
試作品通りの、凝ったサインカーブ表現です。良い意味・正しい意味での「力技」ですね。4両揃うと重みも伝わるってもの。思いついてもなかなか実践に移せない技法です。
前面は前面窓を3幅横組。0.5プレート分の隙間も埋める凝ったつくり。
貫通扉は凹表現です。桟板も合わせて、どことなくレトロ感が強調されておりましょうか? 1954年という新性能車の第一世代。未だ随所に昔ながらの電車の面影だって残って居たのでした。

後ろから。ヘッドライト(点灯!)は前部のみとして、後ろは帯の形を優先しています。灯火がないことの違和感は殆どありません。帯表現の美しさとの間で迷われたようですが、「両方採用!」は正しい割り切りでしょう。

500形後期車がモデルと思われます。最大公約数的なところを巧くおさえていましょう。
側面は相当に悩まれたようですが、3ドア。そして大きな窓が2個づつ並ぶ側面。戸袋窓は割愛ですが、ドア窓と側窓のサイズ差が良いリズムを創りだす。そして、リアルでもあります。ベターな表現の一つでありましょう。

内部。電池boxモータ上に置き、牽引力への配慮も有り。

中間車。900形。すっきりした中間車も魅力があります。そして力技サインカーブが引き立つ!
また、真っ赤な屋根は鮮烈ですね。
なお蛇足申し上げると、車端部の窓は2幅にしたほうが他の窓と揃って綺麗に見えそうです。
……ただし、1幅の車端窓で中間車という姿だと、300形や400形の中間封じ込め車(中間車代用)を思わせ、これはこれでマニアックかもしれません。
ついでに記すと300形だと屋根形状も違ったりします。丸ノ内線の中間車は奥が深い。間違っても退屈な車種ではないのですよ(笑)。


最後尾車の、やはり500形。こちらは1両だけですがインテリア表現有り。
緑の床に赤い?シートを再現しています。いやシートは青だったような記憶も有りますが。でも緑の床は間違っていません。
東京の地下鉄は作られているようで未だ再現作が少ないジャンルです。
銀座線の旧型車(2000形等)も実は世代が幾つあって各車が個性を競い合うような状態。日比谷線も3000→03と世代重ねてる。新旧交代進行中の千代田線。未だ7000系が健在な有楽町線……。魅力的な題材はいっぱいなのです。