
以前のデオ300形(上写真の真ん中)に連なる作品・作風です。
整合性を重んじるともうしますか、「スジが通っている」と申しますか。
作風的意味では、先の阪神赤胴青胴、はたまた京阪前頭部にも通じるものありますかも。
象徴化というかアイコン化の巧さは「唸らされる」。全体にシンプルな無理のない作りですのに、形式の特徴を抑えて居られる。
各車共通としては、白い碍子の強調が印象的。2段に使うことで精細感を強めてるように感じさせます。また、この並びではデオ300形だけがカルダン駆動の新性能車でしたが、この車だけパンタが新灰表現で、当時なりに近代車であったことを感じさせます。
こうしてみると、デナ21形はともかく、デオ600形も機器流用の旧型車であったことを思い出さえます。

デオ600形。阪神小型車の中古車であったデナ500形を1980年代に車体載せ替え更新したもの。車体は武庫川車両工業製であり、当時の阪神電車に通じるムードを持っていました。ただ、なぜかヘッドライトケースが阪急仕様。2007年まで残存した最後のつりかけ電車でしたが、地味さから意外とファンの記録は少ないような気がします。実際、自分も吊掛時代の叡電(2度訪問。89年と90年)ではデナ21形の乗車と撮影を最優先してましたし(苦笑)。
しかし、今の目で見ると味のある車。
阪急的というか阪神的な車体と薬師山氏のシンプルな表現の相性はばっちり。それでも「叡電」にしかみえない表現のかずかず。製作者のセンスが光っていましょう。叡電の中でも「特に地味な存在」であったがゆえの難しさを軽くクリしちゃった作品です。
屋根のカーブは1x2カブスロ奢る。埋め込みの貫通幌。横組の貫通扉窓。凝った表現も見逃せません。

薬師山様の撮影画像より。側面・屋根のツボの抑え方がまた印象的。グロベンは関西私鉄では珍しかったですね。

町中をゆく。叡電には街もあれば山もありますが、心なしかデオ600形は「街」が似合う印象なのでした。生まれが阪神電車であったことも大きいのかも知れません。近代的車体と釣り掛けのミスマッチも今はもう思い出(余談:ミスマッチというと、デビウ当時のデオ720形はもっと「凄かった」 あれもどなたか造られるのかしら?)。

デナ21形(京都電燈→京福電鉄→叡山電鉄)は1929年に製造された叡山電車の代表車。
丸みのついた大きめの窓、やはり丸みの強い前面は先の木造車デナ1形ゆずりの優雅さ。しかし全体に近代化され乗務員扉がつき、3扉に。
1978年のポールからパンタへの変更(これは日本で最後のこと。ポール終電の最後は叡電)を経て、その後に更新改造や前面貫通化などを経る。1994年に全車引退していますが、最後まで優雅な面影は十分に残しておりました。また、車内がニス塗り・白熱灯だったのに感激したものです。


デナ21形。薬師山様の撮影画像より。
さて、薬師山様の作品はデナの特徴の多くを割愛しているのに、しっかりデナ21形に見える。
側窓は無理のない順組で、窓の丸みもない。でも大きめの窓が並んだ「明快な感じ」は伝わってくる。優雅さや気品は「プロポーションの良さ」ゆえに、脳内補完できちゃう!
乗務員扉は省略ですが、3扉のリズム感は明確です。もし乗務員扉再現のために側窓減らしたら、デナ21らしさはかなり損なわれてしまうのではないでしょうか? そこの微妙さを抑えてる。
重めの腰板。重めの幕板。上下方向のバランスもベストに見える。シルヘッダーや雨樋も省略なのに古風な感じが伝わってくる……。
その意味で、旧型電車モデルの新たな可能性・方向性を感じさせるのです。何を省いて何を強調するべきか。答えは一つじゃないのですから。
また、拙作のデナ1に影響与えた丸み持った前面表現は申し分なし。

もみじのトンネルを抜けて。デナ21形は町中よりも、むしろ山の中のほうが似合う感じでした。また八瀬行きよりは鞍馬行きの運用に入ってたイメージも強いです。

向かって右の窓がHゴム化で変形しているのも、今見ると趣深い。「原型」と懐かしく感じる姿ってまた別なのですよね。
なお、拙作同様標識灯(尾灯)は省略です。スペース的に致し方ないのですが……。
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薬師山様作品の並び。デオ900形、デナ21形、デオ600形。作風とスケールが揃う安心感です。

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